褐色娘のおつかいです!
「とゆーわけで、各地を回って食料をできるだけ買い込んできてくださいねー。魔術師さんたちは好きに使っていいですから。さっき大きめの都市に二百ほど連続で連れて行っておいたので、魔力と貨物量を調整すればなんとかなると思います。あと、ここに私の紋章入りで一筆書いておいたので、何かあったら使いなさい。権力者ならこれでだいたいなんとかなります。んじゃ、私は勇者様に会いに行くので」
まためんどくさいことを言い出した賢者は、頼みごとだけ丸投げして勇者の村に行ってしまった。
考えは確かに面白い。というか、ド素人の賢者が大雑把にやってもイモ一山が大量の絹や陶磁器に化けたのだ。褐色娘が本気でやればかなりボロい商売になるは間違いなかった。
行商人にとって輸送は悩ましい問題だ。生物や生鮮品は長い間は持ち運べないし、それ以外でも壊れやすいもの・劣化しやすいものはたくさんある。場所によっては野盗などに襲われる危険もあるし、そのために護衛など雇っていては利益など出るものではない。船だとちょっとしたことで難破などして、商品も命も全部もっていかれてしまうこともある。
その輸送の問題を全部解決できるのだ。それはたしかに、面白い話だった。
「でもなあ……」
馬車に買い込んだ麦を積みこみながらぼやく。
褐色娘たちは西草の街にやってきて買い込みをしていた。本来、このあたりは他の商会の縄張りで、よその人間が買い付けに来るとボラれるのだが、こっちは輸送費がほとんどかからないのだ。ちょっとくらい高値をつけられてもまったく問題がない。
むしろ、賢者は高く買ってこいとすら言っていた。こっちは輸送費やらをカットして設けているのだから少しくらいは生産者に還元すべきだとかぬかしていた。
もちろん褐色娘は賢者のたわごとは無視してあの手この手で値切りまくった。それでも通常よりわずかに高くなったが、十分儲けが出る範囲である。商人としては楽すぎて張り合いのないくらいの取引だった。
儲かるのはいいのだが、褐色娘はいまいち面白く無い。それは主に、足代わりにつかっている魔術師たちのせいだった。
魔術師たちは賢者に言われたからだろう。褐色娘のような小娘の命令でもちゃんと聞いてくれる。あっちの国、こっちの街といきたいところに飛んでくれる。それはとてもありがたい。だが、移動の手段としてはともかく、旅の同行者としては最悪だった。
「昼飯、ここで出してくれるって言うけど。食ってく?」
「お好きに」
「あー、さっきの村よりこっちのが安かったなあ。でかい村だとやっぱ余裕あるのかね」
「さあ」
「お、香辛料が安い。買っとこ、小遣い稼ぎだ。アンタも買って北にでも行った時に売ればいい値になるぜ」
「けっこう」
大半が終始こんな調子である。
こちらとコミュニケーションを取ろうという気持ちがまったく感じられない。見下すのはいい。こっちとしても貴族や役人相手にへりくだるのは慣れている。だが、まともに話す気がないというのは、一番質の悪い手合いだった。
思えば、ここのところのん気な田舎者とバカ賢者としか一緒にいなかった。連中は褐色娘がやることなすことにいちいち驚いてあれこれと言ってくる。賞賛から感嘆、拒絶まで、思ったことはなんでも口にするアホどもだ。
そういう反応になれてしまっていた分、魔術師たちの無反応ぶりは腹がたった。商人というのは結局、人と人の間で糊口をしのぐ人種である。そういう人間にとって、他人と関わらう気がない者ほど、腹立たしいものはない。同じ無口な移動手段なら馬のほうがずっと可愛げがある。馬は言葉は喋らないが意志ははっきり示す雄弁ないきものだ。
まあいい。それならそれで構わない。道具に話しかけるほど暇じゃあない。褐色娘は最初そんな調子で流していた。だが、いくら世慣れているとはいえまだ十四の小娘。目の前で延々と自分を無視されて、黙っていられるほど大人ではなかった。
「おう、旦那! なんか魔術師が欲しがりそうなモンねえか。なんでもいい。なんかあるだろ。猫にやるマタタビみてーに魔術師がハイになってゴロゴロ喉ならすようなのが」
下見に来たついでに古い馴染みの商会に飛び込んだ。正面からぶつからずモノで釣ろうというのがこの小娘らしい反抗のしかたではあった。
「おお、なんだお前か。親父さんが心配してたぞ。隊が解散してから手紙も出してないだろ。今どこで世話になってるんだ? みたとこ食べるのには困ってなさそうだが」
「うっせーよクソジジイ! ボケ親父なんか知るか! 今あたしは取り込んでんだよ!」
「ああ、わかったわかった。魔術師か? お前わざわざ魔術師なんかとつるんでるのか」
「いろいろあるの。いいから教えろよー、あのクソどもの弱点を」
「魔術師だっていろいろあるぞ。金にきたねえとこもあれば清貧なとこもある。どこの誰かわからんと確かなことは言えんなぁ」
「ぬ」
値踏みするような視線。急に妙なことを言い出す人間がいれば何かが動いている。人でもなんでも動いていれば金になる。
褐色娘の父とこの男は行商を共にやっていた古い知己である。褐色娘もよく面倒をみてもらったものだ。だが、だからと言ってご親切になんでも教えてくれるわけではない。何かを得るは対価が必要だ。それだけは無償で叩きこまれた。
「分かった。取引だ、旦那」
椅子に座りなおして、ちゃんと正面を見る。かわいがってもらっていた子供としてではなく、一人の商人として向き合う。
「ふぅむ……。お前、なんで魔術師となんか絡んでいる? あの連中はめったなことじゃ贔屓の商人以外とは関わらん。お前みたいなうさんくさい小娘ならなおさらだ」
「ちっとお偉いさんに顔覚えられてな」
「それで?」
お偉いさんが誰かは言わない。救世の賢者となれば間違いなく金になる。この男が目をつけないはずはない。絶対に悟らせないように振舞わなければならない。
向こうも、上に居るのがだれかは聞かない。聞いても無駄だと分かっているし、それ相応の見返りしか用意しなければいい。
「お偉いさんの縄張りで賊が出てな。その中に魔術師が何人か混じってた。とっ捕まえたけど、罪人としてよそに渡すよりは子飼いにしようってのがお偉いさんの考えだ」
「ほう? 魔術師が賊か?」
こっちが多めにカードを切ればちゃんとそこに食いつく。切れるカードがあると分かる場所だからだ。
「仕事にあぶれたらしい。国とは距離おいてた学閥の魔術師連中だ。軍の魔術師枠は別の派閥が牛耳ってるからな。怪物退治とかの仕事がなくなって金に困ってんだよ」
「なるほど」
「傭兵でも同じ話は聞くけどな。あたしもそれで隊をやめたようなもんだし」
「そうだなぁ」
「で、お偉いさんはそいつらを手勢にして仕事をさせようってんだ。あたしはその世話を頼まれたんだが、せっかくだしあたしも魔術師とコネ作っといても悪くねえだろ?」
「ふふん」
嘘は言っていない。誇張はあるが虚偽はない。
商人は嘘をついてはいけない。0から1を生み出すことは商人はしてはならない。商人がやっていいのは、1をそれ以上に見せかけることだけだ。買ったほうにとってはそれは1ではなく10にも100にもなる。
そして、商人できるのは実はそれだけなのだ。褐色娘は父にそう仕込まれた。この男にも。
魔術師たちの事情は事実だ。賢者が直接問いただしたので間違いない。賢者が魔術師たちにいろいろさせようとしているのも、事実だ。そして自分があいつらとコネを作りたいというのも、まあ事実である。考えたらそんな気がしてきた。
自分が下手くそに飾り立てた真実を、この男はどれくらいで買うだろう。魔術師までが仕事にあぶれているというのは、それなりに価値のある話のはずだ。
男はだまって、店の丁稚に茶をいいつけた。この男は酒が一切だめで、代わりに茶にとてもうるさい。
やってきたお茶を一口飲むと、男は口を開いた。
「ま、ギリギリ及第点かな」
「う」
見透かされているのはわかる。こっちにまだ何かあるとすでにしられているのはわかる。だが、すでに切ったカードで手を打ってやろうというところまではもちこめたようだ。
男はやや身を乗り出す。
「その連中の特徴は?」
「特徴って? 全員男で、おっさんが多いな。一人だけ若いのもいたけど」
「そういうんじゃない。魔術師のローブは派閥ごとに特徴がある。袖やフードについてるラインや飾りを見れば位階もわかる。魔術師にもいろいろ種類があって、それによって欲しがるもんも変わってくる。おまえ、修行途中で実家飛び出したからその辺のことわかってないだろ」
「うう……」
「いい機会だ。一通り教えといてやる」
男そういうと、机の裏から分厚い紙束をとりだしてみせた。
「主立ったところはこんなもんか。まあ、細かい派閥もあるが、それは自分でどうにかしろ。魔術師ってのは契約だけはまもるから、そこを利用すればなんとかなるだろ」
「ああ、助かったよ」
褐色娘が礼を言うと、男は何杯目かのお茶を飲み干す。
「さて、代金をいただこうか」
「は・・・? さっきの話でトントンだろ?」
「あれっぽっちの話じゃあとてもたりんなあ」
「き、きったねえ! 後出しはなしだろ旦那」
「自分の話と相手の話の価値の差もわからん奴とは思わんかったなあ」
「このクソ爺……」
狙いはわかっている。褐色娘の上役を知ることだ。それがわかればさっきの話の価値は一気にあがる。どんな人間がどんなことを考えているのか。魔術師までつかってやるのなら、けっして小規模なことではない。儲け話のにおいがプンプンするはずだ。
甘かった。知り合いの旦那なら大丈夫だと油断していた。一人前の商人気取りで、この男の前に立つならば、もっと気をつけていなければならなかった。昔のように可愛がってもらいあめ玉でももらえる気分でいたのだ。
賢者のことをばらすわけにはいかない。賢者はやることなすことに人や金が動く、金のなる木だ。百戦錬磨の商人たちに目をつけられれば、あっというまに食い物にされてしまうだろう。あの賢者は思いつきで行動しているように見えるが、「賢者」という肩書きの価値はしっかりわかっている。商人たちに囲まれてしまえば、「賢者」を守るために身動きがとれなくなってしまうに違いない。それは、きっとおもしろくない。
それになにより、あれは褐色娘が手に入れた初めての金のなる木だ。ほかのだれにも渡してなるものか。
絶対に言わない。ほかのどんなことを話しても絶対に賢者のことだけはばらさない。そう決心して、男を見る。
「で、なにが知りたいんだ」
「そうだなぁ。おまえのお仕えしているお偉いさんとやらもきになるが……」
それきた。嘘をつくわけにもいかない。言わなければそれなりの身分のものだと思われるだろう。どうはぐらかすか。
「じゃあこうしよう」
何をいってくるのかと身構える。
「近いうちに実家に顔を見せてやれ、それでチャラだ」
「……は?」
「おまえがいないうちに弟が生まれたんだぞ? 一回くらいは抱いておいてやれ。オシメ変えとくとデカくなったときにからかいのネタになるしな。ちなみにワシもお前のオシメ変えたぞ」
「こ、このっ……」
褐色娘は顔を真っ赤にそめる。こちらは対等な商人気取りで話していたが、結局最後は知り合いの子供としてあしらわれたのだ。幼いプライドはズタズタである。
だが、ここでかんしゃくを起こすほどには子供にはなれない。褐色娘はあらんかぎりの罵詈雑言を飲み込む。
「わかったよ! いきゃあいいんだろ行けば!」
それだけ言うと乱暴にドアをたたきつけて店をでていった。
魔術師たちのことをよく知れたのは良かった。
ガキだとなめられたのは腹立たしいが、やっただけの価値はある取引だった。
相手が何を必要としているか。何が欲しいのか。そういうことを知れれば取引の糸口はみつかる。薬や宝玉など、魔術にどうしても必要なものが存在する。今、賢者の紐付きになった彼らにはそれらを調達するルートがない。
さらに、魔術師にも上下関係や派閥があるとわかったのも成果だ。ローブの色や飾りに気をつけて彼らのことを観察する。位階が高くても気の弱い者、半端な実力なのに声が大きい年長者。色々なやつがいて、人間関係が見えてくる。そういった関係をわかっていればどこに自分が滑り込めばいいかもわかってくる。
取引してしまえばあとは簡単だった。結局のところは気位の高い貴族たちとあまり変わらない。むしろ、魔術師は『契約』というものをえらく大事にするらしく、商取引でセコい真似をする奴はいなかった。土壇場になってダダをこね出すような連中とくらべるとずっと良い客だ。
彼らの魔術の世界に理解を示し、商売を通じて協力をする。すると、彼らは途端に豹変してあれこれと話してくれるようになった。あいも変わらず偉そうなのは変わらないものの、会話はできるようになった。どこでもそうだが、認められるまでの過程が一番大変なのだ。
コミュニケーションを取らないという魔術師と、コミュニケーションを取ろうという自分。勝利したのは自分のほうだ。褐色娘は自分の戦果に満足していたが、一つだけ頭を悩ませているものがあった。
(あー……行きたくねえなあ)
あの店の旦那に一本取られて実家に顔を出すと約束してしまった。口約束でも約束は約束だ。約束を守らない商人は信用されない。信用のない商人とは誰とも取引できない。
実家に帰る理由はもう一つある。褐色娘の顔の効くルートで食料をあらかた買い尽くしてしまったのだ。実家の商家に顔をつないでもらって、別のルートを開拓しなければならない。褐色娘がつながりを持っている商家や商会は他にもあるが、関係の深さと販路の大きさを考えると実家が一番安全だ。
別に父親と仲が悪いわけではない。ただ、実家に帰ったときに感じる居心地の悪さは何度かえっても消えないのだ。
「くそ、あのクソジジイ……」
実家に向かう船の上でブツブツと文句をいう。実家のある街には魔術師の誰も行ったことがなかったので、船で向かうことになったのだ。一緒に魔術師のなかで一番若いのを連れてきている。なにか掘り出し物があれば買い付けもついでにやるつもりだ。
連れの魔術師は若い。まだ少年と言ってもいいような顔立ちだった。年は一番ちかいはずなのに、魔術師たちの中で一番かたくななのはこの少年だ。それなりに話はするけれども、いまいち打ち解けない相手である。
「なぁ、あんた」
「……何だ」
「実家とか、故郷とかってある?」
世間話でも振ってみる。実家の話題で親の愚痴でも出来ればもうけもの。なければ土地ネタで盛り上がる。そのくらいの引き出しはある。
「黒林の国の方だ」
「へー? 親も魔術師なのか?」
「……ああ」
「あたしも親が商人でさー、ガキの頃から仕込まれてた。魔術師もそういうもんか」
「別に……そういうわけでもない。才能がものを言う世界だ。親がどんなに偉大な魔術師でも子供はまったく才能がないときもある。俺のところも兄は普通の役人だ」
「ほー。じゃああんたは才能があったわけか。すげーじゃん」
「違う。才能があったわけじゃない」
「でも、その金色の刺繍ってえらい魔術師しか付けられないんだろ? まだわけーのに一番魔法うまいみたいだし、すげーと思うよ」
褐色娘は普通に褒めたつもりだった。だが、少年は珍しく声を荒げて反論してきた。
「すごくなんかない! あの方の……賢者殿に比べたら、俺なんか無意味なもんだ」
「お、おう……」
なんと言っていいものか困った。賢者の力の一端は褐色娘も見ている。山賊に逆らう気力もなくさせたあの力。あれを見てしまうと、そりゃ他の魔術師なんか無意味なものかもしれない。だからといってはいそうですねといえるほど無神経でもなかった。
気まずい沈黙が流れていく。陸が早く見えてこないだろうかと褐色娘がいらいらし始めたとき、水夫が突然騒ぎ出した。
「……なんだ?」
「海賊だよ。クソ、こんな陸の近くでか」
褐色娘は腰の短刀を確かめながら立ち上がる。船首ちかくまで走って周囲を見回すと、一隻の船がこちらに向かってきているのが見えた。
「おい。《転移》で逃げられるか?」
「無理だ。これだけでかい船は俺ひとりじゃ跳ばせない。……賢者殿ならともかく」
「ああもう! あたしたちだけでもってことだよ!」
「できるわけないだろう! 俺は魔術師だぞ。凡俗を守り導くのが役目だ」
褐色娘は頭を抱えた。賢者と同じ部類のバカだ。しかも、賢者の場合は有り余る能力でバカがバカでも済んでいるが、こいつの場合は魔法の実力がそこまでとは思えない。
なにしろ、この少年はあの山賊戦で、唯一攻撃に参加していなかったヘタレだ。どれだけ実力があるかはしらないが使い物になるかわかったものではない。
「バカじゃねーのかてめえ! 自己満足で死ぬのは一人でやれ」
「……いやだっ!」
「ああもうっ!」
口喧嘩をしている間に海賊船が近くまでやってきていた。真横までやってきて大砲をこちらにつきつける。
褐色娘が頭を抱えて屈みこんだのと、大砲の轟音が鳴り響いたのはほぼ同時だった。身を構えるが、くるはずの衝撃はやってこない。
恐る恐る顔を上げてみると、少年が魔法で大砲の弾を撃ち落としていた。高速で射出される大砲の弾を、空中で撃ち落とすというのは素人考えでもものすごい技術だ。無数の小さな弾に別れる榴弾や、マストなどを破壊するための鎖弾も例外ではない。打たれた瞬間に弾がどんなものかを見抜き、それにふさわしい術を使っているのだ。
「お、おお! すげえ、すげえぞお前!」
褐色娘も、水夫たちも少年の活躍に喝采をあげていた。
ある意味、これは賢者よりも優れた『技術』である。賢者ならこの程度の弾丸はひと睨みしただけで消し去ることができる。だが、それは圧倒的な魔力と能力にモノを言わせた力押しで、技術があるわけではない。少年は逐次弾丸を見極め、使うべき術を判断し、船に着弾するまでに呪文を発動し終わっているのだ。純粋な魔術師の技術としては超一流のものであった。
だが、海賊もまけてはいなかった。こちらに魔術師がいるとわかるや、砲撃を続けながら小舟やロープを使ってこちらの船に乗り込もうとしてきたのだ。少年は砲撃を防ぐのに精一杯でそちらにかまう余裕がない。
水夫たちや雇われの傭兵たちも抵抗していたが、ついに何人かの海賊の侵入をゆるしてしまった。
海賊たちは魔術師を狙うように命じられているのだろう。甲板に上がると一直線に少年のところへと駆け寄ってくる。水夫たちが少年を守ろうと立ちはだかり、剣と剣がぶつかり合う音が鳴り響く。
褐色娘はちょろちょろと甲板の上を逃げ回っていた。持ち前のすばしっこさとずる賢さで、戦いの空白のような場所に滑りこんでは逃げまわる。
そのとき、褐色娘は甲板の反対側からも海賊たちが乗り込んでくるのを見つけた。
「あぶねえ!」
その一言で少年は敵に気がついたらしい。後ろを振り返って杖を海賊へとむける。海賊たちはぎょっとしてそこで足を止めた。魔法になれぬ一般人にとって、魔術師に杖を向けられるのは死を目前にしているのに等しい。
だが、少年は魔法を放とうとはしなかった。杖をにぎりしめて構えているだけだ。
あの技巧をもった少年ならば、一瞬で海賊たちを倒すことができるはずだ。
「なにやってんだ。早く殺せ!」
褐色娘がどなっても、少年はぶるぶると震えるだけだ。海賊もそれをいいことに動き始めた。
しかたなく、褐色娘はそこらに転がっていた剣を一本手に取る。少年を狙っている海賊どもにめがけて闇雲に投げつけた。敵がひるんだその隙に海賊と少年の間に割り込む。
「バカが! 守るとか言ってたのは口だけか!」
腰の短剣を抜いて身構える。父親に護身術は仕込まれている。ただ力まかせに剣をふる海賊なら負けはしない。だが、複数となるとどうしようもない。どうするべきだろうか。
褐色娘が途方に暮れていると、背後からわっと声が上がった。新手だろうか。目の前の敵から目をそらせずにいると、周囲の空気が変わっていくのがわかった。
海賊たちが攻めるのではなく逃げを打っている。こちらの傭兵たちは強気で攻め返していた。水夫たちの声から、近隣の商会が結成した海賊退治のための船団がやってきたと分かった。
海賊たちの判断は速い。あっという間に船からは一人もいなくなり、海賊船も帆を上げて逃げ出してしまった。
気が抜けて、ぺたんと甲板にすわりこむ。少年も、背を丸くしてその場にうずくまっていた。
なんとなく声をかける気にならず、その場でぼうっとしていた。周囲ではけが人の手当や傷ついた船具の修理が始まっている。
「俺は……人が撃てないんだ」
絞りだすように、少年が言った。褐色娘は別段興味なさげに返す。
「そーか」
「人を助けようと思って、魔術師になったんだ。怪物を倒して人を助けたくて。でも、もう魔王はいない。俺のいた派閥の魔術師は基本的に全員軍人だ。でも、人なんか殺せない。殺したくないんだ。魔王が倒れてからきな臭い雰囲気で、戦争も近いような感じだった。……だから逃げた。それで巡り巡ってこのザマだ」
少年はひどく落ち込んでいた。海賊が目の前にいたのに、何もできずに小娘に助けられては、若い魔術師のプライドが傷つかないはずがない。
「別にいーじゃん。大砲の弾叩き落としてただけでも大したもんだぜ。船のみんなはぜったいにお前に感謝してるよ」
「だが、くそっ……」
「あのなー、別に敵を倒すだけが魔術師の仕事じゃねえだろ? 怪物倒さなくなって、人殺さなくなって、誰かを助けられるって。お前がイヤそーにやってる食い物の運送でな、たくさんの人間が腹へらして死なずにすむんだ。今度お前、むこうに食い物もってく役やってみろよ。こっちゃ商売でやってるのに地面にあたま擦りつけて感謝されんだぞ。ガキどもが泣きながらイモ食うんだぞ。自分がすげーえらい人間だって勘違いできるぞ」
褐色娘の言葉に、ようやく少年は顔を上げた。
「そういう、ものか?」
「少なくとも、賢者はそう考えてるよ。きっとな」
魔術師に限らない。傭兵だって畑を耕せるし、荷物だって運べる。新しい時代には新しい時代にあった力のふるい方がある。いつもそんなことを言っている。
「そういうものか……」
少年はなにか憑き物がおちたような顔で海の向こうを見ていた。その先に、まだ見ぬ世界の幻でも見ているかのように。
魔術師も人間なんだな。
褐色娘はそんなことを思った。いけすかないエリート気取りでも、なやみ苦しむこともあり、どうしようもなく何かを欲しがることもある。立場が少し違うだけで、同じ人間なのだ。
そんなことを、思った。




