この距離で、息ができない(翔太視点)
翔太と藍の恋物語です。
素人が書いたものなのでお手柔らかに
彼女が突然、何の前触れもなく俺の胸に飛び込んできたその瞬間、まるで世界のすべての音が、どこか遠くに吸い込まれていったように感じた。
風の音も校舎の窓を閉める金属音も、遠くて響いていた部活の掛け声も全てが一瞬で消え失せて、俺の意識には、ただ彼女の存在だけが残った。
制服の胸元に、藍の額がそっと触れている。
その髪がふわりと揺れて、俺の頬にかすかに触れたとき、ほんのりとしたシャンプーの匂いが鼻先をかすめた。
いつもは風の中をバイクで駆け抜けてるせいか、どこか乾いた空気をまとってる彼女の気配が、今はやけに近くて、やけにやさしくて、俺の中に、静かに、でも確かに染み込んでいった。
風にさらされていたはずの彼女の身体は、思ったよりもずっとあたたかくて、そのぬくもりが、制服越しにじんわりと伝わってくるたびに、俺の胸の奥で、何かがゆっくりと溶けていくのがわかった。
――藍が、こんなふうに誰かに触れるなんて。信じられなかった。
だって藍は、そういう子じゃない。
小さい頃からずっと一緒にいて、俺と同じくらい負けず嫌いで、走るのも、喧嘩も、木登りも、何でも本気で勝ちにくるやつだった。
俺が冷静に構えてると、藍はすぐムキになって、「なにその顔、ムカつく」って言いながら、よく肩をどついてきた。
誰にも甘えないし、弱音も吐かないし、感情を見せるくらいなら黙って背中を向けるような、そんなやつだった。
だからこそ、今、俺の胸に顔を埋めて、震えながら涙をこぼしてるこの藍が、現実なのかどうか、わからなかった。
「……ごめん……なんか、わかんないけど……止まんなくて……」
かすれた声が、俺の胸に染み込んでくる。
その声が、震えていた。
俺のシャツに、ぽつりと涙のしずくが落ちる感触。
それだけで、心臓が跳ねた。
――やばい。この距離、近すぎる。でも、離れられない。
いや、離れたくない。
むしろ、ずっとこのままでいたいとさえ思ってしまう自分がいて、そのことに気づいた瞬間、背筋がぞくりとした。
「……いいよ」
ようやく絞り出した声は、思ったよりも掠れていて、自分でも驚くほど、頼りなかった。
それでも、何か言わなきゃと思った。
彼女の涙を、ただ黙って受け止めるには、俺の胸の中が、あまりにも騒がしすぎたから。
そっと肩に手を置くと、その肩は、思っていたよりもしっかりしていて、昔、俺が高いところから飛び降りたときに、無言で差し出してくれた手と同じように、骨ばってて、あたたかくて、頼りがいがあって、今まで何度も俺を引っ張り上げてきた、あの藍の手だった。
でも今は、その手が、かすかに震えていた。まるで、頼られることに慣れていないみたいに、それでも、必死に何かをつかもうとしているみたいに。
その瞬間、理性が、ぐらりと傾いた。
「……翔太」
名前を呼ばれた。耳元で、かすれるように、でも確かに届いたその声は、いつもの藍の声じゃなかった。
強気で、ぶっきらぼうで、どこか男っぽいあの声じゃない。
今の声は、柔らかくて、弱くて、まるで、俺だけに向けられた秘密みたいに、胸の奥に、そっと落ちてきた。
その瞬間、心臓が跳ねた。跳ねたというより、暴れた。ドクン、ドクンと、耳の奥で鳴り響く音がうるさすぎて、彼女に聞こえてないはずがないと思った。この距離じゃ、絶対に。
「……藍」
名前を呼び返した声が、震えていた。
自分でも気づかないうちに、息が浅くなっていた。
彼女の髪が、頬に触れる。
その感触だけで、全身が熱くなる。
制服の下、肌の奥まで、火がついたみたいに。
このまま、腕をまわしたらどうなるんだろう。このまま、顔を上げさせたら――目が合ったら――俺、たぶん、もう――
「……」
ダメだ。言えない。
今、言ったら、壊れる。
この距離で「好きだ」なんて言ったら、きっと、もう戻れなくなる。
幼なじみとか、友達とか、そういう言い訳が全部、この一瞬で崩れてしまう気がして、怖くて、でも、離れたくなくて、俺はただ、黙って、彼女の震えを受け止めることしかできなかった。
そのまま、しばらく動けなかった。
時間が止まっているようで、でも心臓だけが、まるで別の生き物みたいに、暴れていた。
彼女の涙が、俺の胸を濡らしていく。それが、あたたかくて、切なくて、どうしようもなく、愛しかった。
次回は藍視点です




