1.彼の隣にいるのは
花香を纏った春風が、少し開いた窓から遊びにくる。サロンへの日差しを遮る為に掛けられたレースのカーテンが大きく膨らんで、ゆっくりと元の形に戻っていった。
そちらに一瞬だけ目を向けた婚約者は、すぐにわたしに視線を戻す。琥珀色の瞳が細められ、形のいい唇が優しい形に弧を描いた。
今日はお茶会。
並んで座ったソファーの前のテーブルには、紅茶とお菓子が用意されている。
わたし──エミリア・フューラー侯爵令嬢と、レオシス・ローヴァイン公爵令息との婚約者同士の交流の時間。
通う学園では毎日一緒に過ごしているのだけど、二人きりで会えるこういった時間をわたしもレオシス様も大事にしていた。
「春らしい、いい風だね。次のお茶会はうちの庭で開こうか」
「お庭ではデルフィニウムが見頃だって、お義母様がおっしゃっていたわ。レオ様のお屋敷はお庭でも温室でも、いつでもお花が美しいのよね」
「フューリー侯爵家だって美しい庭を持っているだろう? 噴水と水路なんて特に見事なものだし」
「わたしは噴水より、花壇の方が好きなんだもの」
「はは、じゃあやっぱり次のお茶会はうちの庭だ。その時に一番美しい花のそばで、楽しい時間を過ごそう。リアの好きなお菓子も用意しておくよ」
お花も、お菓子も大好きだ。
でもそのどれもが、レオシス様と一緒だと特別なものに変わるのは……わたしが、レオシス様を深く想っているから。
レオシス様がわたしの肩に手を回す。
その手の指先にわたしの金髪を絡めては解く事を繰り返した。
「そうだ、リアに伝えなくちゃいけないことがあったんだ」
「何かしら?」
「あのね──
***
──エミリアってば!」
強い声に肩が跳ねた。
驚きに心臓がばくばくと騒がしい。胸を片手でおさえつつ、一体何があったのかと顔を上げると、わたしの目の前には眉を下げた親友の姿があった。
グレーテ・メルディン伯爵令嬢。
肩の下までまっすぐ伸びた黒髪が煌めいて、とても綺麗。銀縁眼鏡の奥に光る赤い瞳は、わたしを心配するように翳っていた。
「……グレーテ?」
「ずっと呼んでいたのに反応しないんだもの。大丈夫?」
「ええ、ちょっとぼんやりしていたみたい」
いまが放課後で、ここは学園のカフェテリア。
大丈夫、ちゃんと分かっている。先日のお茶会の事を思い出していたら、自分でも知らないうちに物思いに耽っていたらしい。
わたしの前の席に座ったグレーテは、まだ心配そうに眉を下げている。
そんな彼女に大丈夫だと微笑んで見せるけれど、グレーテの表情が変わらないところを見ると、うまく笑えてはいなかったらしい。
「まぁ……なんとなく、気持ちは分からないでもないけれど」
そう呟いたグレーテが、カフェテリアの窓向こうにある中庭へ目を向ける。
その視線を追いかけてわたしも中庭を見ると、胸の奥がつきりと痛んだ。
中庭にいたのは、レオシス様。
長く伸びたピンク色の髪をいつものように高い位置で結んでいる。
その隣には一人の女生徒。聖女となったばかりのパウラさんが花開くような笑みを浮かべてレオシス様とお喋りをしていた。
先日のお茶会でレオシス様に伝えられたことがある。
『新しく聖女となる少女を、ローヴァイン公爵家の寄子である子爵家に迎えることになった。学園と貴族生活に慣れるまでの間、世話係として彼女についてほしいと国王陛下からお願いをされた』
他の寄子である家に、学園に通う同世代の令嬢令息がいなかったのだから、寄親である公爵家のレオシス様が世話係になる事は致し方ないことだと分かっている。
お願いと言っていたけれど、これは王命だ。
聖属性の魔力を持つ聖人・聖女はこのアルドリッジ王国にも百人ほどしかいない。そんな希少な聖女を大切に扱うことにも異論はない。
聖属性を持つ彼女達は、一般的な魔法を使うことはできない。
彼女達の使命は王都や各地にある聖泉へ浄化の祈りを捧げること。聖泉は女神様を祀る神殿の中にあり、聖泉が清らかであればあるほどに、この大地が豊かになるといわれている。
だからこれは、当然のこと。
慣れるまでの間とレオシス様も言っていた。これからずっと一緒にいるわけではない。
レオシス様の愛がわたしに向けられていることも分かっている。だってわたしを見つける度にその顔が綻ぶもの。
それでも──寂しい気持ちは拭えない。
いつも一緒に過ごしていたから、余計にそう思うのだ。
何度目になるか分からない溜息を零すと、パン! と高い音がした。
その音へ目を向けると、グレーテが顔の前で両手を合わせている。手を叩いた音だったのか。
「ねぇ、ケーキでも食べない?」
「……そうね。美味しいケーキと紅茶が欲しいわ」
気分転換に誘ってくれているのだろう。その気遣いが嬉しくて、先程よりも自然に笑えている気がした。
テーブルに置かれた魔法ベルをグレーテが鳴らす。
すぐにやってきた給仕におすすめのケーキセットを注文して、わたしはグレーテの教えてくれる王都にできた新しいお店の情報に耳を傾けた。
好奇心が旺盛な彼女は、色々な事を調べたり聞いたりするのが好きなのだ。
王都だけじゃなくて、地方都市、周辺国の情報などにも詳しいから、知りたいことがあったらグレーテに聞けば間違いない。
新しくできたというカフェはケーキにこだわりがあるそうだけれど、グレーテもまだ食べていないらしい。
そこに一緒に行くという約束をしながら、ふと中庭へと目をやった。そこにはもう、誰もいなかった。
心が爛れていく感覚がする。
でもケーキと一緒に、その感情も飲み込んだ。
過去に投稿した短編【わたしは愛を疑わない】を長編に直しました。
よろしくお願いします!




