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52. 辺境で待つ人々

 

 ——ブラッドレイ辺境伯夫妻が王都へ出立してから、一ヶ月が過ぎた。


 領主不在の間は、領主の祖父アーロン・ブラッドレイや、家令のサイモン、そして領官長や騎士団長といった面々が領地を取り仕切っている。



 ある日、家令のサイモンが執務室に戻ると、机の上には仕分け待ちの郵便物の山があった。

 

 宛名と差出人を確認し、慣れた手つきで仕分けていく。

 一通の封筒を手に取った時、サイモンの目が穏やかに細められた。

 それは、アーロンへ宛てたブラッドレイ辺境伯夫人アンジェリーナからの手紙だった。


 「これは、アーロン様がお喜びになりますね」


 そう呟いて、アーロンに渡す手紙の山の一番上に置いた。


 続いて手に取った封筒を見たサイモンは、ペーパーナイフで封を切った。

 老眼鏡をかけて、便箋を開くと真剣な表情で読み進めていった。

 やがて、読み終えると、元通りに封筒へ入れ直して上着の内ポケットへしまった。



*


 その頃、アーロンは軍の訓練場で木刀を手にし、新兵たちと打ち合いをしていた。


 「どうした!この老いぼれに一撃入れられるやつはおらんのか!」


 現役を退いたとは思えないアーロンの気迫に、若い兵士たちは一瞬怯む。

 しかし、意を決した一人がアーロンへ向かっていくと、それに勇気づけられた他の者も続く。


 「ウオオオッ!」


 「甘いっ!」


 突進してきた兵士の木刀を弾き、隙ができた脇腹を打つ。

 その後に続く他の兵たちの攻撃も軽くいなして、木刀を打ち込んでいく。


 十数人いた新兵たちは、あっという間に地面に倒れて呻いていた。

 


 「……ふう。情けないのう。わしは引退した身じゃぞ」


 「アーロン様、お手柔らかに頼みますよ。相手は新兵ですよ」


 ため息をつくアーロンに、騎士団長のバルド・グランツが呆れた様子で言った。

 

 「『北方の守護者』を相手にしたら、俺でも勝率は五分だってのに……」


 「ほう。騎士団長がそのような情けないことを抜かすか。これはもう一度鍛え直さねばのう」


 目を細めたアーロンの言葉に騎士団長が「げっ」と声をもらす。


 「——アーロン様」


 そこへ、サイモンがやって来て声をかけた。


 「おお、サイモン」


 「やはり、こちらにおられましたか」


 「うむ。イーサンやアンがおらんのは落ち着かんのでな」


 そう言ってアーロンは豪快に笑う。

 サイモンは、倒れた状態からようやく起き上がり始めた兵士たちを見た。


 「……ほどほどになさって下さいね」


 「それで、何か用があって来たんじゃろ?」


 「はい。まずは、こちらの手紙を。他のものは執務室にございます」

 

 そう言って差し出したのは、アンジェリーナからの手紙だった。


 「これは、奥様からの手紙ですか」


 興味津々の騎士団長が後ろから覗き込む中、アーロンは便箋を開く。


 「……ふむ。先日送った豆が無事に届いたそうだ」


 そう言ってアーロンが口元を緩めた。


 「王宮の夜会で振る舞う甘味のために、お送りした分ですね」


 「さすが奥様が考えた甘味だ」


 騎士団長が感心しながら頷く。


 「……マチルダ殿も相変わらずよくしてくれているらしい。アルティス侯爵夫人とも親交を深めているようだ。侯爵夫人は、アンと年が近いからな。良き友人になって下さるだろう」


 手紙からは、アンジェリーナが侯爵夫人レティシアを慕っている様子がうかがえ、アーロンは嬉しそうに目を細めた。


 「旦那様のことは、何か書いてありますか?」


 「うむ。ほとんど毎日、近衛騎士団の鍛錬に呼ばれているようじゃな」

 

 そう言って、アーロンは顔を顰めた。


 アンジェリーナは、


 『旦那様は近衛騎士団長様からの信頼が厚いのですね』


 と感心しているようだが……。


 「ほとんど毎日って……奥様との時間が取れないじゃないですか」


 騎士団長も呆れて言いながら頭を掻いた。


 「やれやれ。近衛騎士団長にも困ったもんじゃわい」


 アーロンがため息をつき、サイモンと騎士団長も同意するように頷く。


 「では、アーロン様。そろそろお部屋に戻りましょう」


 「そうじゃな。返事を書かねばならんしな」


 サイモンに応えると、アーロンは軽やかな足取りで訓練場を後にした。



*



 自分の執務室に戻ったアーロンは、椅子に腰掛け背もたれに身を預けると、一息ついた。


 「さて、サイモン。他に見せたい手紙があるんじゃろう?」


 アーロンがそう言うと、サイモンは上着の内ポケットから開封済みの封筒を取り出し、中の便箋を開いて差し出した。


 「王都別邸の執事長からの報告書でございます」


 「うむ」


 アーロンは便箋を受け取ると静かに読み始めた。


 「……ほう。アンの父親が金を無心しに来たか」


 アーロンが鋭く目を細め、低い声で言った。


 「借用書を書かせたことで、これ以上無礼な真似はできないと旦那様は思っていらっしゃるようですが……」


 「甘いのう、あやつは」


 アーロンは呆れたように首を振った。


 「ああいう奴は、その程度で態度を改めんものだ。アンのことを見下している輩じゃからな。イーサンに何かすることはなくとも、アンには必ず何かしらしてくる」


 「夜会で、でございますか」


 サイモンの問いかけにアーロンは頷いた。


 「貴族は全員出席する夜会じゃ。アンの実家の者達も出るじゃろう」


 「旦那様は、奥様をお守りできるでしょうか」


 サイモンの言葉に、アーロンは深く息を吐いた。


 「……それができぬなら、あやつは領地へは帰れん」


 アーロンの放った言葉が、静かな部屋に重く響いた。


 

次回更新は

11月6日(金)20時です。


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