妹は気絶した
今日、妹は一日で一生分の恥をかいた気がする。
極めつけにオルランドの笑顔を至近距離で浴びてしまって、処理の限界を超えてしまったようだ。
「あれ、ロミナ寝ちゃったみたいだ」
あれは寝たんじゃ無い。気絶したのだ。
腕の中で力尽きたロミナを、オルランドは長い指で優しく撫でる。
「ここに来るまで、かなり暴れたからな。愉快な妹だ」
「ふふ……可愛いね」
オルランドは妹をずっと見つめたまま、その頭を慈しむように撫で続けた。そして吸い寄せられるようにおでこへ顔をうずめると、猫の匂いをすぅ……と吸い込んでいる。
奴がやると絵になるが、やってることは変態だな。
「オルランド、そんなに猫好きだったか?」
「好きなのは猫じゃないよ。ロミナだから可愛いんだよ」
「ロミナのこととなるとおまえは本当に人が変わるな。いつかバレるぞ」
「バレたっていいよ。もう婚約解消するんでしょ?」
オルランドは満ち足りたような表情を浮かべたまま、機嫌良さげに呟いた。
「婚約解消はセシリオが叫んだだけで、まだ決まってはないんだが」
「じゃあ、絶対に婚約解消してもらわないとね」
「どうやって?」
「あの婚約者には、もっとクズになってもらう」
そんなことをサラリと口にする、オルランドの黒い微笑み。他では見せないこの姿に、俺は若干引いている。
「クズか」
「うん。そうだな……浮気相手とのあいだに子供でもできたら一番良いよね」
「しかしまだ彼らは学生だぞ」
「学園でもベタベタしてるらしいし、やることはやってるよ」
(だから、なぜお前が知っている……?)
ロミナの婚約者であるセシリオと、浮気相手のリディア。二人は学園内でも人目をはばからずじゃれ合っているようである。学園に通う生徒間ではすでに周知の事実。しかし、なぜかオルランドも当たり前のように知っていた。
さすがオルランド、ロミナのことならリサーチも完璧だな。
「あの浮気相手――リディアとかいう子に念を押してみようかな。『アレグレー子爵家はこのところ羽振りが良いようだよ』って。彼女の家は貧しいようだから、セシリオのことはきっと逃がさないだろうね。何をしてでも」
「おお……さすがの黒さだな」
「冗談だよ。半分本気だけど」
うん……目が笑ってないんだが。半分どころか、こいつに冗談の部分なんてあっただろうか。
リディアを唆すくらいのこと、オルランドならやりかねない。おそらく、ロミナの婚約解消が成立するまではあらゆる手を尽くすだろう。そういう奴だ。
「リディア、いい働きをしてくれたよね。まさかセシリオ本人から婚約解消を言い出してくれるとは思わなかったよ」
「そのせいで、妹はだいぶ恥ずかしい思いをしたようだが」
「可哀想なロミナ。俺と婚約し直そう。そうすればセシリオとのことなんて皆すぐ忘れるさ」
「ブレないな、おまえは」
セシリオにリディアをけしかけたのもオルランドだ。
いかがわしいパーティーに潜入し、そこで目をつけたリディアの前で、セシリオのことを褒めちぎったのだ。『あんなにいい男はいない』『結婚すれば幸せになるだろうな』と……抜群の演技力と爽やかな笑顔で。
もちろん、リディアという女のしたたかさを見込んでのことだ。
オルランドのような男が褒めるくらいなのだからと、リディアは面白いくらい簡単に食いついた。セシリオには、ロミナという婚約者がいると知っておきながら。
あとはもう坂道を転がり落ちるように……すべてがオルランドの思惑通りに進んだ。すべて、ロミナが知り得ないところでの話だ。
「……俺はおまえが怖いぞ」
「怖くなんかないよ。フェリックスはロミナの兄だしね。俺はずっと君の味方だよ」
こいつは怖い。ロミナのこと以外、何を考えているのか分からない。
昔からロミナだけを見て、ロミナのことばかり考えて、ロミナに寄り付く男をことごとく排除してきた。そう、今回も。
ただ、だいぶ腹黒い男ではあるが、あのセシリオとかいう愚か者よりはマシだろう。傷心中のロミナを救えるのはもうこいつしかいない。どんな奴と婚約しても、きっとオルランドに邪魔をされるのだから。
ロミナもこいつに憧れているのなら、そろそろオルランドの執着に気付けばいいのに。と思って俺は今日連れてきた。この屋敷に。オルランドは感謝するがいい、ロミナを猫にしたこの俺に。
(正直、なぜロミナがそこまでいいのか、俺にはさっぱり分からないんだが)
もちろん、兄から見たロミナは可愛らしい。少しばかり要領が悪くて空回りするところも、ちょっと垢抜けない風貌も、たまらなく愛おしく思う。
しかし一般的に見れば、至って普通の少女なのだ。茶色い髪に、茶色い瞳。訓練の甲斐あって魔術は得意だが、学園の雑踏に紛れ込めば見失ってしまうくらい平凡な学生。特に性格がいいわけでもなく、悪い訳でもない。
ただただ凡庸。それがロミナ・モントンという令嬢だ。
一方で、俺はオルランドを観察した。
腕の中の猫を見つめながら顔を緩ませる彼は、我々の頂点に君臨するような男だ。眉目秀麗、文武両道。侯爵令息という肩書き付き。
選ぶ側として圧倒的強者にも関わらず、オルランドはロミナにしか興味を持たない。謎だ。
まあ……ロミナのことを大切にしてくれるのなら、理由なんてどうでもいいのだが。
「猫のあいだ、ロミナのことよろしくたのむよ」
「もちろんだよ。任せてよ、お兄様」
オルランドのこんなに嬉しそうな顔を見るのは久しぶりだ。輝かんばかりの笑顔には、男の俺から見てもただならぬ破壊力を感じる。
ああ……これから一ヶ月、ロミナの心臓が持ち堪えますように。




