帰宅前に《1》
――楽しい日々は、あっという間に過ぎていった。
遊び、見学し、学ぶ。
心地の良い疲れを感じながら、美味しいものを食べ、温泉に入り、そして眠る。
幼女達だけをどこかに遊びに行かせた時などは、エルドガリア女史以外の導師方に挨拶したり、レイラの幼い頃のとんでもエピソードを聞いたり。
恥ずかしがるレイラというレアな姿を見られたことが、正直一番の収穫だったかもしれない。
羊角の一族の里は、本当に楽しく、思っていた以上に長居してしまったが……帰りの日は訪れる。
「うぅ……みんな、絶対また来てほしいです!」
ちょっと泣きそうな様子で、レイラの妹であるエミューが、そう言った。
「うん、絶対また会おうね!」
「おともだちになったからね、またいっぱいあそぼうネ!」
「……この里は楽しかった。きっと、再び訪れる機会はある」
エンの言葉の次に、レイス娘達が別れを惜しむように、エミューの周りをクルクルと回る。
その幼女達の隣では、レイラと彼女の師匠であるエルドガリア女史が顔を見合わせていた。
「レイラよ。これから長い時間を掛けて、アンタの中の感情を探っていきなさい。それもまた探求の一つさね。アンタ自身のことも、学問として落とし込みゃあ、その好奇心も疼くだろうさ」
「……はい、お師匠様ー。あなたの弟子として、しかと自分自身のことに決着をつけて参りますねー」
「あぁ、次に会った時の、アンタの研究報告を楽しみにしておくよ」
そうして彼女らが別れの言葉を交わしている横で、俺はレフィへと口を開く。
「レフィ、俺、ちょっと魔界王んところに用事が出来たから、先に帰っててくれ。ペットどもの様子を見といてくんねぇか?」
「む、わかった、任せよ。何か豪華な餌でも食わせておこう」
「頼むよ、留守を完全に任せきっちまったからな。しっかり労ってやっといてくれ」
俺達の言葉を聞き、イルーナがニコニコ顔で言う。
「帰ったら、リル達にいっぱいモフモフしたいねー!」
「モフモフ、さいこーだもんネ!」
「……オロチのツルツルも、最高」
と、先程まで泣き出しそうだったエミューが、今度は少し好奇心を覗かせた顔で、不思議そうに首を傾げる。
「イルーナ達は、ペットを飼ってるです?」
「そうなの! あのねあのね、犬と猫と、鳥とヘビと水玉!」
「水玉? ……へぇ~、いっぱい飼ってるんですねぇ! お世話が大変そうです」
「ううん、実はそうでもないの! あの子達はね、賢いから自分で餌も取るんだよ!」
「かしこいよー! たぶん、シィよりかしこい!」
シィの言葉に同意するように、レイス娘達がうんうんと首を縦に振る。
あの、君達……我が家のペット達が非常に賢いことは確かだが、そう聞くと何だか悲しくなる部分があるので、言うのをやめようね。
思わず苦笑を溢していると、シィの次にエンが口を開く。
「……ん。特にリル――犬のペットは、本当に頭が良い。私達の言葉は、普通に理解出来る。だから今度、将棋を教えようと思う」
「ショーギ、です?」
「……ボードゲームの一種。とても面白い」
「! ヒト種でなくとも、知能の高い種はこの世にいっぱいいますが、そのペットはボードゲームを理解出来る程に賢いのですか! すごいです! 研究したいくらい!」
感心した様子のエミューに、ポツリとレイラが呟く。
「……今、エミューの頭の中で、リル君の姿が大変なことになってそうですねー」
「……黙って聞いていたが、あの子らの言っているペットは、魔王が配下にしていた眷属達だろう? そりゃあもう、賢いことは賢いだろうが……」
何とも言えない顔で、そう言うお師匠さん。
そういやこの人は、例の戦争で俺のペットどもを見てたか。
「とりあえずエミューには、我が愛するペットの名誉のために、犬ではなく狼だということだけは教えておいてあげようか」
「おにーさん、この会話をリル君が聞いたら、きっとちょっと悲し気な瞳で、『いや、そういう問題じゃ……』って言うと思うよ」
「あはは、そうっすね。リル様はそんな感じっすね」
「こう、何と言うか……やっぱり彼奴は、不憫じゃのう」
そんな冗談を一通り言い合った後には、若干湿っぽかった空気は完全に吹き飛んでおり、我が家の女性陣は笑って『ダンジョン帰還装置』を起動し、帰って行った。
* * *
俺もまたお師匠さんとエミューの二人に別れを告げ、羊角の一族の里を出た後、飛んで魔界へと向かう。
一人で飛ぶのも、何だか随分と久しぶりな感じがする。
ここんところは、ずっと誰かと一緒にいたからな。
そう、エンも先に帰してしまったので、本当に一人である。
珍しいとすら言えるこの時間で、俺が考えるのは、変わった環境のこと。
レフィのこと。
レイラのこと。
子供のこと。
これからの全てのこと。
全ては、瞬く間に変化していく。
現時点でも目まぐるしいものだが、きっとここからの変化は、さらに劇的になることだろう。
俺達自身のこともそうだが、それを取り巻く『外』の環境もまた、現在刻々と変容を遂げているからだ。
恐らくだが、今は歴史の転換点だ。
後世にて、歴史書にでも刻まれ、受験生がぐちぐちと言いながら覚えるような、重要な時期に差し掛かっていると思われる。
我が家の者達のためにも、俺は、この流れに身を投じる必要があるだろう。
――エルドガリア女史の話を聞き、一つ、胸に重く来た言葉があった。
それは、『一家の大黒柱』。
そうなのだ。
これから俺は、その心構えを持っておかないといけない。
みっともなくとも、大黒柱として、格好つけなければならない。
別に威厳なんざを求めている訳じゃないが、それでも、今まで以上に踏ん張らねばならないことは増えるだろう。
きっと、どこの父親も、そうやって子供のために足掻き、苦労し、やがて『本物』になっていくのだろう。
俺にも、男として、その時期がやって来たのだ。
……誰か、子持ちの男の知人に、子育てノウハウでも聞いてみるか。
……アーリシア国王だな。あの人が良さそうだ。
うむ、魔界から帰ったら、次に彼のところへ訪れてみることにしよう。
そうして、これからのことを考えながら大体丸一日程飛び続けると、ついこの前も訪れた魔界王都『レージギヘッグ』の街並みが見えてくる。
アポも何も取っていないが、とりあえず割と行き慣れてしまった魔界城までそのまま飛んで向かい――すると、下から兵士らしき誰かがこちらに飛んでくる。
「止まりなさい、そこの魔族! ここは飛行禁止――って、ユキ殿?」
「お、ハロリアか! 久しぶりだな!」
俺を止めに来たのは、知っている顔の女性。
魔界王直属の近衛隠密兵、ハロリア=レイロート。
以前、俺が初めて魔界に来るきっかけを作った、魔界王都までの道案内をしてくれた女性だ。
「フフ、お久しぶりです、ユキ殿。と言っても、私の方はあなたの活躍を見ていましたので、そこまで久しぶりな感じはしませんがね」
「活躍?」
「例の『屍龍大戦』ですよ。裏の情報収集要員として、私も参加していましたから。――それより、ユキ殿は魔界王様にご用が?」
「あぁ、ちょっと前に会ったばっかだが、また一つ用事が出来たから、話がしたいと思ってさ。悪いんだが、連絡を取ってくれないか?」
「了解しました、お任せください。あなたならば、魔界王様もすぐにお会いになられるかと」