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第7話 初めてのスープ。

「ちょっと!止めて頂戴!」

アナベルは久しぶりに嫁ぎ先のゴーチェ家に向かっていたが、御者にそう声をかけた。

「どうなさいましたか?奥様?」

驚いた侍女が私を見る。

「今…エリクが知らない女と歩いていたわ!」

ガチャガチャと馬車のドアノブを回す。慌てていて、上手く開かない。

「お坊ちゃまが?ですか?」

のんびりと聞き返す侍女にいら立つ。


うちの息子と見知らぬ女は、舗装された道路を曲がって、どんどんと郊外に向かっている。領地は一歩入ったら畑が広がっている。まさか…誘拐?アナベルはいざとなったらこれで戦おう、と、日傘を握りしめて、小走りで二人の後を追った。

「勘違いではないんですか?」

アナベルの後を、スカートを持ち上げた侍女と、護衛を兼ねた御者が続く。


「…いいえ…自分の息子を見間違えるもんですか!!!」


黒の葬式帰りのようなワンピースを着たこげ茶の髪の女と手をつないで、息子のエリクが何か話しながら前を歩いていく。もう…アナベルは走り出した。


「待ちなさい!うちの子を何処につれて行く気なの?」


はあはあと息を切らしながら、エリクにしがみつく。驚いた顔で振り返った息子が、

「あ、お…かあさま?」

と私を呼んだ。

「まあ、初めまして。奥様でいらっしゃいますか。私、先月からエリク坊ちゃまの家庭教師をしております、デボラと申します。」


そう言って…誘拐犯かと思ったその女は、スカートをつまんで綺麗なお辞儀をした。


「だ…なんで、こんなところを歩いているのよ?」

息を整えながら、エリクを抱きしめたまま、アナベルがデボラと名乗った女を睨む。


「お坊ちゃまは野菜がお嫌いで、手を付けません。友人に勧められた本を読んだところ…成功体験が良いようですので、野菜の収穫作業に向かう途中でございます。お母様もご一緒にいかがですか?」

顔色一つ変えずに、その女がよくわからないことを言うので、もちろん付いて行くことにする。怪しい…。


「…大体…うちの子に、子爵家の息子に…あなた、畑仕事をさせるつもりなの?」

アナベルはエリクと手をつないで歩き出す。


「はい。今後、領主になられる方ですから、農民がどのように野菜を作っているのか見ておくことも勉強になります。」

「……」

「それに、皆さんが苦労して作った野菜を頂くということが理解できればと思いまして。」

「……」

いちいち筋が通っている気がして…アナベルは黙り込む。

「収穫後に、野菜を洗って、切って、野菜スープを作ろうと思っています。厨房の方にお伺いしましたら、一番簡単な一番おいしい料理らしいです。」

「え?」

「ご一緒にいかがですか?」


そう言うわけで…私も野菜の収穫に付き合い、綺麗に洗って、皮をむいて、サイコロぐらいに刻む、という初体験をした。エリクが意外なほど楽しそうだから、まあいいか、そう思った。


私もエリクもそうだが…先生と呼ばれるデボラという女も初めて包丁を握る様で、厨房の料理人が私たち3人につききりで教えてくれた。

「そうそう、お坊ちゃま、上手ですよ!」

「いえ、奥様!!…包丁はこう握って下さいませ!」

「先生…なんでもおできになるかと思っていましたが…料理は初めてなんですね?」


…私は親の決めたフィルマンと結婚した。夫婦になったのだから、いい関係を築いて行こうと努力して来た。あの人は…残念なことに、私のことも、結婚そのものについても何の興味もない。夫にそっくりな息子を産んだが、それで責任を全うしたとでも思ったのだろう、夫は執務室から出てこなくなった。

何度も実家に相談して、夫を説得してもらおうとしたが…夫の両親に疎ましがられることになった。私は夫との関係の修復を諦め、エリクのことも半ばあきらめて、お茶会だのサロンだので気晴らしをしていた。


「…エリクは上手ねぇ…」

「あははははっ。おかあさま、にんじんが、つながって いますよ?」


私が切っていたニンジンを見て、エリクが笑っている。この子が笑っている顔なんて…見たことがあったかしら?


いろいろな野菜を切って、ベーコンも貰って同じ大きさに切りそろえ、料理人に見守られながらことことと煮込む。

「さ、奥様、ここに、お塩を少々です。」

そう言われて、塩を放り込む。

「げっ、」

「あっ、」

驚愕の顔をした料理人たちを、キョトンとして見る。


「あら?ちょっと塩じょっぱくなってしまったわね?」

「でも、おかあさま、おいしいね?」

「そう?ありがとう、エリク。」


あの後、慌てた料理人たちが、追加で野菜を刻んで放り込んでくれた。なかなか美味しい野菜スープが出来た。

私たちはみんなが中庭に用意してくれたテーブルで、お話をしながら昼食をとった。

お腹がぽかぽかと暖まる様な…不思議なスープだった。


家庭教師だというデボラという女は…思ったより年若い女の子のようだ。ただの野菜スープを高級レストランでコンソメスープを食べるようなしぐさで、上品に食べていた。口数は多くない。


今まで来ていたシッターや家庭教師は、みなお決まりの様にフィルマンに媚びを売りに来ていた。仲が良くない夫婦仲をあざ笑うように。後釜を狙うように。


…この子は?どうなのかしら?


そんなことを考えながらその子を眺めていると、やはり友人に聞いたという話を始めた。


「昔々、ソロモンの王が、自分の子供は一番初めに何語を話し出すだろうか?と思って、乳母にも侍女たちにも、何も話しかけないように命じたそうです。」

「……」

「やはり古代語だろうか?ラテン語だろうか?王はそんなことを思って楽しみにしていたそうです。どうなったと思われますか?」


「そうねえ、でもやはりお国の言葉を話したんじゃないのかしら?」

エリクの口をナプキンで拭いてあげながら、その少女のなぞなぞのような話に答える。


「…その子は…人間に成れなかったらしいです。」


ゾッと、鳥肌が立った。今の今、温かなスープを摂ったばかりなのに。

話が分からずにキョトンとするエリクを思わず抱きしめる。


「興味深いお話ですよね?」


表情一つ変えずにお話を終えた少女は、

「私は今回、エリク様は言葉が遅いと伺ってまいりました。私もあまりお話が上手ではございませんので、もしよろしければ、お母様の手をお借り出来たら幸いです。」

そう言って、にこりとお見本のような微笑みを浮かべた。


私はその後入っていた予定…お茶会やらサロンなどをすべてキャンセルした。


エリクと本を読み、一緒にお散歩をし、使用人たちと一緒にお菓子を焼いたりした。

もちろん、毎日本宅でエリクと過ごした。


使用人たちはエリクのことを心配してくれていたらしく、ほっとした顔で私たちを見守ってくれた。どうも、最初にやってきたシッターに、南部訛りがうつるから、坊ちゃんに話しかけないように、と釘を刺されていたらしい。デボラ先生の話を思い出して、また、ゾッとした。


デボラ先生も、今日は一緒にクッキーを作っている。

あまり器用な方ではないようだ。と、いうか、そんなことはしたことがないんだろう。仕草からして、いいところのお嬢さんのようだ。

「せんせい?これは なんの かたち?」

エリクがデボラ先生が切り抜いた形を見て、聞いている。

「猫、です」


…まあ…見えなくも…ないか?


エリクが笑っている。この子は良く笑うようになった。それに、言葉もすらすらと出てくるようになってきた。もちろん、エリクの話すのは、フール語だ。


良かった…私はとんでもない過ちを犯すところだったのかもしれない。


このところ、私たちが中庭で何か新しいことを始めていると…二階の執務室のカーテンが揺れる。今日の様に台所でにぎやかにしていると、廊下を横切っていく。


旦那様は、何か言いたいことがあるのかもしれない。エリクのクッキーが焼きあがったら、思い切って、旦那様にも差し上げようかしら?


あら、じゃあ、世の中で一番おいしい野菜スープがいいかしら?



さて、今度はエリクと、何をやろうかしら?そう思える今が私も楽しい。











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