第9話 ヨウキ・アルアラ
大森林に入ってから、数日が経った。
最初に感じた重苦しい空気とは裏腹に、旅は思ったよりも順調だった。
木々は高く、枝葉は空を覆い隠している。
昼間でも薄暗く、湿った土の匂いが常に鼻の奥に残る。
普通の森ではない。
けれど、俺たちは進めていた。
「おらぁっ!」
ギラの大剣が、猪型の魔物を正面から叩き伏せた。
大きな音を立てて魔物が倒れる。
「よし!」
「ギラ、右!」
ヨウキの声が飛ぶ。
横から別の魔物が飛び出した瞬間、ヨウキの姿が消えた。
重力支配【グラビティーロード】。
自分にかかる重力を軽くして、一気に距離を詰める。
次の瞬間には、ヨウキは魔物の懐に入っていた。
「せいっ!」
斧が振り下ろされる。
軽く振ったように見えた。
だが、当たる瞬間だけ異常な重さが乗る。
地面が割れ、魔物は一撃で沈んだ。
「相変わらず速いな」
俺が言うと、ヨウキは得意げに笑った。
「だろ! 俺、足は速いんだ!」
「足だけじゃないだろ」
「そうだけど、褒められると嬉しい!」
「素直だな」
ギラが大剣を肩に担ぎながら笑う。
「でもよ、俺の一撃もなかなかだっただろ?」
「ギラのは力任せ」
枕の上で寝転んでいたテラが、片目だけ開けて言った。
「力任せでも倒せばいいだろ!」
「まあまあ」
「褒め方が雑なんだよ」
「くるしゅうない」
「いや、なんで上からなんだよ!」
ヨウキが腹を抱えて笑う。
「ギラとテラ、ほんと面白いな!」
「俺は面白くしてるつもりねぇ!」
「そこが面白い」
「テラまで言うな!」
そんな声が森に響く。
大森林の中にいるとは思えないほど、いつもの空気だった。
もちろん、油断はできない。
魔物の気配は濃い。
浅い場所とはいえ、一歩間違えれば危険な森であることは分かっている。
だが、それでも俺たちは戦えていた。
ギラが正面から受ける。
ヨウキが速さで崩す。
俺が氷で動きを止める。
テラが魔法で仕留める。
まだ連携と呼ぶには荒い。
けれど、少しずつ形になってきていた。
「なあ、エイト!」
ヨウキが振り返る。
「このまま行けば、案外ユートピアまで行けるんじゃね?」
「油断するな」
「出た!」
ヨウキが笑う。
「エイトの油断するな!」
「毎回必要だから言ってる」
「でもさ、ちょっとは思うだろ?」
ヨウキは森の奥を指差した。
「俺たち、けっこう強いし。このまま進んで、クックに会って、ユートピア見つけてさ。父ちゃんにも会えたら最高だなって」
「……そうだな」
俺は短く答えた。
ヨウキは嬉しそうに笑う。
「だろ!」
その笑顔は、本当にまっすぐだった。
ヨウキはいつも明るい。
声が大きくて、勢いで動いて、細かいことはあまり気にしない。
けれど、軽いだけではない。
父を探したい。
ユートピアを見つけたい。
自分も冒険者として胸を張りたい。
その思いは、いつだって真剣だった。
---
その日の夜。
俺たちは大きな木の根元で野営していた。
焚き火の火が、暗い森の中で小さく揺れている。
ギラは肉を食べたあと、すぐに横になった。
テラも枕に埋もれるようにして眠っている。
「……二人とも寝るの早いな」
ヨウキが小声で笑った。
「テラはいつも通りだろ」
「ギラも大概だけどな」
ギラは小さくいびきをかいていた。
テラは眠りながら、枕の端を抱えている。
見た目だけなら本当に幼く見えるが、戦えば圧倒的な魔力を見せる。
不思議なやつだ。
俺とヨウキだけが、焚き火の前に残っていた。
火の光が、ヨウキの横顔を照らす。
いつも騒がしいヨウキが、珍しく静かだった。
「なあ、エイト」
「なんだ」
「俺さ、最近すごく楽しいんだ」
「急だな」
「急なのはいつものことだろ?」
「自覚はあるんだな」
ヨウキは小さく笑った。
「父ちゃんを探すために旅に出た。ユートピアを探すって決めた。ずっとそれだけ考えてた」
「……」
「でも、今はちょっと違うんだ」
ヨウキは焚き火を見つめたまま続ける。
「ギラと馬鹿みたいに笑って、テラに適当にあしらわれて、エイトに真面目な顔で止められて」
「俺は止めてばかりか?」
「うん。かなり」
「そうか」
「でも、それがいいんだよ」
火がぱち、と音を立てた。
「父ちゃんも、こんな感じだったのかなって思う」
「仲間と旅をしていたのか?」
「たぶん。詳しくは知らないけどさ、父ちゃんが話す冒険って、いつも誰かがいたんだ」
ヨウキは少しだけ目を細める。
「強い魔物を倒した話。迷子になった話。仲間と喧嘩した話。飯を取り合った話。そういうの、楽しそうに話してた」
「いい父親だったんだな」
「ああ。俺の自慢の父ちゃんだ」
迷いのない声だった。
「俺、父ちゃんに追いつきたいんだ」
ヨウキは拳を握る。
「いつか会えたら言いたい。俺も仲間とここまで来たぞって。俺もちゃんと冒険者になれたぞって」
「言えるさ」
「だよな!」
ヨウキはいつもの明るい笑顔に戻った。
「人生、最高だな!」
「急に大きいな」
「だって本当にそう思うんだよ。クックにも会いたい。ユートピアも見たい。父ちゃんにも会いたい」
「全部だな」
「全部だ!」
「欲張りだな」
「欲張りでいいだろ?」
ヨウキは笑う。
「欲しいものがいっぱいある方が、前に進める気がする」
その言葉に、俺は少しだけ黙った。
欲しいもの。
俺には、まだはっきりした願いがない。
過去を超えたい。
前の人生のようには終わりたくない。
自分の足で生きたい。
けれど、何を叶えたいのかと聞かれると、答えはまだ出ない。
ヨウキは違う。
真っ直ぐだ。
欲しいものを欲しいと言える。
会いたい人に会いたいと言える。
見たい世界を見たいと言える。
それは、単純なようで強いことなのだと思う。
「エイト」
「なんだ」
「お前も見つかるよ」
「何が」
「欲しいもの」
ヨウキは当然のように言った。
「エイトは考えすぎだからさ。旅してたら、そのうち見つかるだろ」
「簡単に言うな」
「簡単じゃなくても、見つかるって」
「根拠は?」
「勘!」
「だろうな」
俺がそう言うと、ヨウキは笑った。
その笑い声は、夜の森の中でも妙に明るかった。
---
翌日。
俺たちはさらに奥へ進んだ。
最初のうちは、昨日までと変わらなかった。
魔物は出る。
だが倒せる。
ギラが前に出る。
「テラ、見てろ!」
「……ん」
ギラの大剣が、角の生えた獣型の魔物を叩き伏せる。
テラは枕の上から片目だけ開けた。
「まあまあ」
「そこはすごいって言えよ!」
「お子ちゃまにしてはすごい」
「余計な一言が多い!」
「褒めた」
「褒め方!」
ヨウキが笑いながら、別の魔物の背後へ回る。
「ギラ、前!」
「分かってる!」
「エイト、足止め!」
「ああ」
俺は地面に氷を走らせる。
魔物の足が凍りついた瞬間、ヨウキの斧が横から入った。
「よし!」
魔物が倒れる。
ギラが親指を立てる。
「いい連携だったな!」
「今のは悪くない」
「エイトに褒められた!」
ヨウキが嬉しそうに言う。
「珍しいな!」
「珍しくはないだろ」
「けっこう珍しい!」
俺は少しだけ肩をすくめた。
そんなやり取りが、当たり前になっていた。
この四人で進むことが、自然になっていた。
だが。
その空気は、突然変わった。
風が止まった。
鳥の声も、虫の音も消えた。
木々の影が、急に濃くなったように見えた。
「……止まれ」
俺が言うより先に、ヨウキが足を止めていた。
いつもの笑顔が消えている。
「いる」
短い声だった。
全員が構える。
テラも枕の上で体を起こした。
「……めんどくさいの、来た」
前方の木々の間。
黒い何かが立っていた。
人型。
だが、人ではない。
全身が真っ黒で、目がない。
顔には、かろうじて口だけが見える。
腕の先は、槍のように細く鋭く尖っていた。
ただ立っているだけなのに、体が震える。
今までの魔物とは違う。
圧が違う。
「なんだよ……あれ」
ギラの声が低い。
黒い魔物の口が、ゆっくりと歪んだ。
次の瞬間、消えた。
「来る!」
ヨウキが叫ぶ。
衝撃。
ギラの体が吹き飛んだ。
「がっ……!」
大剣で受けたはずだった。
それでも、ギラは木に叩きつけられた。
「ギラ!」
俺が叫ぶ。
黒い影は、すでに次の場所にいた。
速い。
目で追うのがやっとだった。
「グラビティーロード!」
ヨウキが飛び出す。
重力を軽くし、森の中を跳ぶように駆ける。
黒い魔物とヨウキの動きだけが、かろうじて同じ速度の中にあった。
斧と槍の腕がぶつかる。
金属のような音が響いた。
「速ぇ……けど!」
ヨウキは笑わなかった。
必死だった。
俺も氷を放つ。
「アイスランス!」
氷の槍が黒い魔物へ飛ぶ。
だが、当たらない。
紙一重ですべて避けられる。
「テラ!」
「分かってる」
テラの周囲に巨大な魔力の塊が生まれる。
それが黒い魔物へ放たれた。
しかし、魔物はそれすら避けた。
魔力の塊は木々を削り、地面を抉るだけだった。
「……相性、悪い」
テラが小さく言う。
その瞬間、黒い魔物がテラの前に現れた。
「っ」
テラが防御魔法を展開する。
透明な障壁が重なる。
だが、槍の腕が突き刺さった瞬間、それは砕けた。
「テラ!」
ギラが無理やり立ち上がり、飛び出す。
ぼろぼろの体で、テラの前に立った。
次の一撃を大剣で受ける。
受けたはずなのに、ギラごと吹き飛ばされた。
「ぐぁっ!」
テラも巻き込まれ、枕から落ちる。
俺は歯を食いしばった。
テラの魔法は当たらない。
近距離戦は弱い。
ギラは力では受けられても、速さに対応できない。
俺は辛うじて見える。
だが、追いつけない。
ヨウキだけが、互角に動けていた。
「エイト!」
ヨウキが叫ぶ。
「一瞬止められるか!」
「やる!」
俺は魔力を集中させた。
「絶対零度!」
周囲の空気が凍る。
地面が白く染まり、木々の表面まで氷に覆われていく。
黒い魔物も一瞬、凍りついた。
「今だ!」
ヨウキが跳ぶ。
斧を重くする。
全身の勢いを乗せ、振り下ろす。
だが――
氷が割れた。
黒い魔物の口が、裂けるように笑う。
「――ヨウキ!」
叫ぶより早く、魔物の槍のような腕が伸びた。
一瞬。
本当に、一瞬だった。
ヨウキの腹を、黒い腕が貫いた。
「……あ」
ヨウキの体が揺れる。
斧が手から落ちる。
血が、地面に落ちた。
黒い魔物は腕を引き抜き、ケタケタと笑った。
ヨウキが膝から崩れる。
「ヨウキ!」
ギラが叫ぶ。
テラも、目を見開いていた。
俺は走った。
黒い魔物はすぐには追ってこなかった。
口を歪め、ただ笑っている。
ヨウキの体を抱える。
傷は深い。
深すぎる。
「ヨウキ、喋るな」
「……エイト」
「喋るな」
「聞けって」
ヨウキの声は震えていた。
それでも、目だけはまっすぐだった。
「俺、多分……ここまでだ」
「ふざけるな」
「ふざけてねぇよ」
ヨウキは少しだけ笑った。
いつもの笑い方だった。
明るくて、まっすぐで、馬鹿みたいに前を向いている笑顔。
「なあ、エイト」
「……」
「俺の心臓を食え」
息が止まった。
ギラが怒鳴る。
「何言ってんだよ! そんなこと言うな!」
ヨウキはギラを見る。
「ギラ……ごめんな」
「謝るな! まだ終わってねぇ!」
「お前、強いよ」
「今そんな話すんな!」
「スキルなくても、めちゃくちゃ強い」
ギラの顔が歪む。
「やめろ……」
「もっと強くなれる。絶対」
ヨウキは次に、テラを見た。
テラは何も言わない。
ただ、ヨウキを見ていた。
「テラ」
「……なに」
「パフェ……食いすぎるなよ」
「……めんどくさい」
テラの声が、わずかに震えていた。
「それ、いつものやつじゃねぇだろ……」
ヨウキは笑った。
「エイト」
俺は何も言えなかった。
心臓を食う。
それは、暴食【ハートイーター】の本質。
命を奪い、力を奪う。
俺が一番使いたくなかった力。
「俺の力なら……あいつに届く」
ヨウキは苦しそうに息を吸った。
「俺が見れなかった世界を……見てくれ」
「やめろ」
「ユートピアを……見つけてくれ」
「やめろ」
「父ちゃんに会えたら……言っといてくれ」
ヨウキは空を見上げた。
「ヨウキは、最高の仲間と旅してたって」
ギラが歯を食いしばっていた。
テラは唇を噛んでいた。
黒い魔物は、まだ笑っている。
時間がない。
ヨウキの手が、俺の腕を掴んだ。
「頼む」
その一言に、迷いはなかった。
恐怖も、後悔も、諦めもない。
ただ、託しているだけだった。
「……ごめん」
それしか言えなかった。
ヨウキは、少しだけ笑った。
「謝んなよ」
かすれた声で、続ける。
「エイトは……ちゃんと選べ」
「……」
「その力、間違えんなよ」
胸が締め付けられる。
ヨウキはゆっくりと息を吐いた。
「俺、楽しかった」
その言葉は静かだった。
けれど、重かった。
「父ちゃんに会えなくても……さ」
少しだけ笑う。
「今の旅で、十分だったかもな」
「……そんなこと言うな」
「いいんだよ」
ヨウキは首をわずかに振った。
「でもさ」
視線が、もう一度俺に向く。
「ユートピアは……見たい」
その目は、最後までまっすぐだった。
「俺の代わりに、見てきてくれ」
「……」
「俺が見れなかった世界を」
息が途切れかける。
それでも、最後に言った。
「頼んだ」
その瞬間、手から力が抜けた。
ヨウキの体が、静かに重くなる。
「……ヨウキ?」
返事はなかった。
ギラが歯を食いしばっていた。
テラは何も言わない。ただ、ヨウキを見ている。
黒い魔物の笑い声だけが、森に響いていた。
時間が、止まったみたいだった。
俺は、ヨウキを見下ろす。
さっきまで笑っていた顔。
さっきまで動いていた体。
さっきまで、ここにいた。
それが、もう動かない。
胸の奥で、何かが軋む。
嫌だと思った。
やりたくないと思った。
それでも――
やるしかなかった。
ヨウキの願いを、無駄にしないために。
俺は、震える手で胸元に触れる。
温もりが、まだ残っていた。
「……連れていく」
小さく呟く。
「お前の全部、俺が」
その瞬間――
胸の奥が、ざわついた。
黒い何かが、内側から滲み出る。
視界がわずかに歪む。
呼吸が重くなる。
理性の奥で、別の“何か”が目を覚ます。
――欲しい
力が欲しい。
届かないものに、届く力が。
守れなかったものを、守るための力が。
その感情に呼応するように、スキルが反応した。
意識せずとも、言葉が漏れる。
「――暴食【ハートイーター】」
発動。
世界が、変わる。
鼓動が早まる。
血の匂いが、濃くなる。
ヨウキの体に、引き寄せられるように顔を近づける。
止められなかった。
止めようとも思えなかった。
それが“正しい”と、本能が理解していた。
そして――
俺は、ヨウキ・アルアラの心臓を喰らった。




