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閑話 3色の男たち



 執務室を追われたナタナエルは、不満気な表情を隠そうともせず廊下を歩く。周りを囲む側近たちは慣れた様子で、誰も口を挟もうなどとはしなかった。……が、


「ナタナエル! 貴様、レティシアになにをした!!」


「また僕を貴様呼ばわり――ぐえっ……!?」


 伯爵家長子の胸ぐらを躊躇いなく掴む青い袖を見て周囲は凍りつく。本来なら何者かの接近があった場合に盾となるのが側近の役目なのだが、相手が纏う圧倒的な気迫に中てられてしまえば指先1つも動かせなかった。


 鋭い目つきで伯爵家長子を威圧する青い男――エドワールは、ナタナエルが呼吸さえできないとも知らずに言葉を重ねる。


「レティシアは……、どこにいる……!」


 胸ぐらを締められたまま宙に浮かぶナタナエルが足で抵抗しているが、背後の壁に押しつけられたときには意識が落ち掛けていた。エドワールには相手から直接の真偽を聞き出す目的があるはずなのだが、このまま意識を落とそうとも関係ないのかもしれない。


 そんな恐怖に駆られるナタナエルへと、もう1つの手が伸ばされる。


「あらぁ、ナタナエル。そんなに不機嫌な顔をして、どうしたのかしら」


「ロザリー……! た、たすけ……」


「そうねぇ……、あなた、手を離してあげなさい」


 ナタナエルを目に留めるや腕を絡めるロザリーは彼を解放させようと青に視線を流す。その底を探らせない黒い瞳に捉えられただけで、騎士として鍛練されたエドワールの本能が咄嗟に身を引いた。


「貴様……、何者だ……」


「そういえば、あなたはパーティー会場から遠ざけていたんだっけ。……紹介が遅れたわ」


「なにを……!」


 泡を吹くナタナエルは頭の片隅にも置かず、昨夜の展開を振り返っていたロザリーが前触れもなくエドワールの頬に触れる。しなやかでいて肉付きがない指先、そのイヤに冷たい刺激が、エドワールの脳を揺さぶった。


「貴様……、いや、あなたは……、侯爵令嬢……」


 冷気の線が神経を走り、脳を直接上書きしていく不快感が駆け巡る。幻惑を見ているかのような一瞬が過ぎ去ったころには、エドワールの中にロザリーの情報が書き加えられていた。


 最低限の情報を書き終えた彼女はさらに線を走らせるが、エドワールの奥底にあるモノがそれを拒む。


「……っ! 失礼だが、気安く触れないでいただきたい」


「…………ふ~ん、『あなたも』なのね。赤いお嬢さんといい、随分だこと」


 人間を形成する根幹への干渉に失敗したロザリーは眉根を寄せたが、それも悟らせぬまま表情と共に消し去った。いつも妖しげな笑みを貼りつかせている彼女だが、なにもかもを冷断するような無表情になったところは、付き合いの長いナタナエルですら見たことがない。


「もういいわ、今回は諦めてあげる。……側近の方々、いつまでも固まってないでナタナエルを部屋まで運びなさいな」


 呼び掛けにようやく硬直から解き放たれた側近たちは、なにが起きていたのかもわからないまま、指示通りにナタナエルの四肢を4人で持ち上げる。仮にも次期領主に対するぞんざいな扱いには目を疑うが、それを気にも留めないロザリーは、去る前に言葉を残した。


「あのお嬢さんなら賊退治に行ったわよ――」


 必要な情報だけを得たエドワールは、侯爵令嬢に挨拶もなく走り去っていく。


「……あなた達と再会するときを楽しみにしているわね」





 エドワールは成人した身でありながら、未だに騎士として仕える者を定めていない。それには、本来なら次期領主であるナタナエルかその夫人に仕えさせられるはずが、王家の者が彼に目を留めたことが大きく関わっている。


 王国でも随一である騎士の家系に生まれたエドワールは、いまとなっては同世代の中では抜きん出た実力を身につけていた。いくら伯爵という選ばれた家系にある騎士といえども、それは並大抵の努力では成し得ないこと。では、なぜ彼はそこまでして力を求めたのか。……言うまでもない。



 レティシアを守ると約束したからだ。



 領主夫人となるレティシアの近衛騎士となるべく積み重ねてきた努力が、却って王家からの引き抜きを受けるという結果を招いてしまったのである。


「こうもままならないとは。貴族というものはどこまでも縛りつけてくれる……」


 領主館に設けられたレティシアの執務室を訪れたエドワールは、最も貴族の縛りを感じさせる惨状を前に瞳を伏せる。


 『次期領主とその婚約者』2人分の事務書類と関連資料、正式な領主夫人となった際に必要となる知識が纏められた本、それらが溢れかえる部屋にはそこかしこに大きな靴跡や傷が目立ち、持ち主が置かれていた環境の悲惨さを物語っていた。



 この部屋が、レティシアを縛りつけていたのだ。



「その言い方では、まるで貴族への反意があるようじゃないか」


 悲しみのあまりに口を衝いて出た言葉を聞かれていたのか、いつの間にか開かれていた扉から、咎めるような声が掛けられる。王家とも関わりを持つ身としてまずい内容を聞かれたと、咄嗟に振り返った先には、赤い文官服を纏う男がいた。


「なんだ、レオポルドか……」


「『なんだ』じゃないだろう。もしも他の者に聞かれていたら、王族への反意と見なされて処刑されていたぞ。……もう少し貴族としての振る舞いに気をつけろと昔から言っているだろう」


 扉から入ってきた赤い男の名はレオポルド、胸に付けている伯爵家の紋からもわかるとおり、彼は赤の伯爵家長子であり、レティシアの兄にあたる。彼とエドワールは同じ伯爵家長子として昔からの顔なじみで、レティシアの婚約話が上がってからは家の隔たりも関係なく密かに交友を重ねてきた間柄だ。


 そんな彼だからこそエドワールの失言は「いつものことか」と流してやれたが、成人を超えた今では年上として厳しく接するべきかと考え始めている。


 レオポルドがこれまでを振り返ってやれやれと首を振っていると、当のエドワールは反省の気もなく、いや、どこか決意すら固めているように、真っ直ぐな目を向けた。


「言われたところで、この意志は変わらないさ……」


「まさか……、戻らないつもりか……」


 レオポルドの確信を写すかのようにモノクルがキラリと光る。


「貴族として残ったところでオレの願いは叶わない。……それなら、オレは――」


「いずれはこの領主を、この国を支えることになる2人が相次いで失踪したとなればその損失は計り知れない。各伯爵家のパワーバランスが崩壊し、次第によれば内戦だ。……君の選択が、領地の混乱を避けられない事態を招こうとしていると自覚があるのか?」


 言葉を遮ってでも発されたレオポルドの問い掛けに、それでもエドワールの目は揺るがない。



「自覚はしている。覚悟も決めた。……オレは、彼女の下へ行く」



 領地への責務を放棄してでもエドワールには成し遂げたいことがあった。それはもはや、貴族としての自分すら捨て去るという覚悟を持って。


「…………はぁ、わかったよ。君は捨てたつもりでも貴族の側が逃しはしないため、生涯が刺客に追われるようなモノとなり、身分を隠し続けるためにどこにも頼れない孤独を過ごす。そんなことになっても私の妹と共にいたいのか。……ああ、わかったよ」


 全然わかっていないのだろうが、自分に言い聞かせるようにレオポルドは繋げた。


「ただ、一点のみ忠告がある」


「……なんだ」



「私の妹を……、レティシアをそんな目に遭わせたら、許さないからな」



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