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ファーニィと共に生活するようになって、十日あまり。
心を掴む前にまず胃袋を掴んだのが功を奏し、計画通りファーニィは俺のことを『おにいちゃん』と呼ぶようになった。
このまま順調にいけば、更にもう一歩進んで『にーに』と呼ぶのも時間の問題といえるだろう。
痩せ細っていた体もこの十日間で見違えるようになり、十分な栄養を取れているからか、肌艶もかなり良好だ。
また、俺という存在がファーニィの冷え切っていた心を芯から暖め、枯れかけていた花が水を吸い本来の美しさを取り戻すかのように、その顔には笑顔が咲いている。
まあ、俺が狩りに行こうとしたり、少しそばを離れるだけでも寂しさから眼に涙を浮かべてしまったりもするのだが……そんなところも可愛らしくてたまらない。
妹を持つ者だけに赦された、恍惚と不安。
俺はファーニィが涙を堪えるたびに「大丈夫だ」と言い、安心させるように背に腕を回し頭を撫でては、恍惚と不安を存分に味わっていた。
ファーニィと過ごす毎日があまりにも充実し過ぎていて、しばしばいっそこの村に永住しちゃおうかな、と考えてしまうこともあったが、俺にはファーニィの眼を治すという使命があるのだ。嫌になるぐらい頼りがいのある兄を目指す俺としては、本来の目的を見失うわけにはいかない。
ファーニィをポケットゥという街へ連れて行き、金にがめつい神官に眼を治してもらう。
そのためにはまず金を稼がなくてはならない。
当初の計画では、山を越えた先にいるという石人形を少しづつ狩っていき地道に稼いでいこうとも考えていたのだが、それだとファーニィと過ごす時間が少なくなってしまう。
いまの俺にはファ ーニィなしの生活など考えられない。そしてまた、おそらくはファーニィも俺なしでの生活など考えられないでいるだろう。
ならば狙うは一攫千金。
そう。ゴールド・ゴーレムを見つけ出し、狩るしかないのだ。
そのための準備は着々と進めてきた。
まず俺がいなくてもちゃんと食事を取れるよう、狩った獣の肉で燻製や干し肉を作り、寒さを凌ぐためにファーニィのベッドには毛皮を何枚も重ねてある。
その上、村長のチャベスにファーニィの面倒をみるよう、きつく言いつけておいた。
救世主たる俺の頼みを、ちんけな村の村長ごときが断れるはずがない。
チャベスはふたつ返事で頷くと、村人みんなでファーニィの面倒をみると約束してくれた。
“村人みんな”。この言葉には、様々な意味が込められている。
俺がゴールド・ゴーレムの討伐に向かうことをどこからか聞きつけたのか、最近やけに村の連中が媚びを売ってくるようになっていたからだ。
おそらくは莫大な金になる、ゴールド・ゴーレムのお零れに預かろうとしているのだろう。
俺が黄金で造られたゴーレムを仕留める、とまったく疑っていないのか、あれこれと理由をつけては取り入ろうとしてくるのだ。
ゴールド・ゴーレムを運ぶ荷馬車を提供してくる者。
保存食が詰まった荷袋を用意する者。
目の部分が空いた新しい麻袋を縫って持ってくる者。
などなど。
その中でも、特にあからさまだったのが村長の娘である。
このババアは、いままでファーニィに量も少なく冷え切った食事(しかも自分は太ってる)しか用意してこなかったくせして、俺がゴールド・ゴーレムの討伐に向かうと聞いた途端、華麗に手のひらを返してみせた。
具体的には、俺の“妹”であるファーニィに対し、勝手に世話を焼くようになっていたのだ。
ファーニィが俺のことを初めて『おにいちゃん』と呼んだ翌日。
ぶっちゃけそろそろ一緒にお風呂入っても問題なかろう、と考えながら意気揚々と帰って(ファーニィの家に)みれば、そこには体を震わせながらざっぱんざっぱん井戸の水をぶっかけられているファーニィと、俺を見て卑屈な笑みを浮かべるババアがひとり。
「ファーニィちゃんの体汚れてたから、綺麗にしておきましたよ。ガイアさん」
ババア的には俺に対するポイント稼ぎのつもりだったようだが、生憎とその行為はマイナス評価にしかならない。いっそ俺の逆鱗に触れてしまったと言っても過言ではない。
確かに水をかけられ、小汚い布で体を拭かれたファーニィは綺麗になっていた。
話を聞けば、体の汚れを落としたのはファーニィ自身の意思でもあるらしい。
兄である俺に綺麗になった自分を見てもらいたい。
そんな幼い少女の淡い恋心にも似た桃色の想いは、前世で少女漫画を読みふけっていた俺だからこそ理解できる乙女心だ。
だが、しかし。……しかし、だ。
ファーニィと一緒にお風呂に入る。
そんなビッグイベントを迎えるべく逸る気持ちを抑え、ぶひぶひと鼻息荒く帰ってみれば、ファーニィはすでに体の汚れは落とし終え、風呂に入る必要性が薄くなっている。
体を温めるため風呂に入ることを俺が提案しても、ファーニィは恥ずかしがって首を横に振るばかり。
こちとら魔法を駆使してでも大きな風呂を作り、大切な妹と一緒にきゃっきゃうふふと風呂に入るつもりだったのだ。
それなのに……ババアがしゃしゃり出てきたせいですべて台なしになってしまった!
「おにいちゃんのせなか、あらったげるね」
「体ぐらいファーニィじぶんであらえるよー」
「おにいちゃんの……えっち……」
すぐそこまで現実として迫っていた、キラキラと輝く素敵な妄想世界。
あのババアは、あろうことかそんな楽園のように幸せな世界へ土足であがり込んだうえ、全力でぶち壊してくれたのだ。
その時に味わった絶望は計り知れない。
そんなわけだから、絶望に沈んだ俺が死のずんどこよりチョビスケくんたちを再度呼び戻し、歩く死体から骸骨戦士にクラスチェンジした不死の御一行でもって執拗なまでにババアを追い回したとしても、いったい誰が俺を責められよう。
無論、その後ちゃんと助けてやったがな。
そんなこんなで村人たちの打算まんさいな援助を受けた俺は、やっとこさゴーレム狩りに向かうのであった。
「よし。行ってくるぞチャベス」
日が昇ったばかりの朝方、俺は荷馬車の御者台に座っていた。
「はい。ゴールド・ゴーレムと出会えることを祈っておりますぞ……ああ、そうですガイアさま、儂としたことが大事なことを伝え忘れておりました」
「ん? なんだ?」
「先日村に訪れた行商人から聞いたのですが……最近は不使者以外にも凶悪なモンスターが出ると言っておりました。なんでも、討伐に向かった騎士団を壊滅させるほどの力を持つ、恐ろしく強いモンスターだとか。ガイアさまがお強いのは存じております。ですが、どうか道中、お気をつけくだされ」
「うむ。胸に留めておこう。ではチャベスよ、俺がいない間、ファーニィのことは任せたぞ」
「この儂にお任せくだされ。ガイアさまに神獣の加護があらんことを」
見送りに来たのはチャベスひとりだけ。
出発の時間をわざわざ朝方に選んだのは、ファーニィが寝ている間に出発したかったという理由が大きい。
目的の岩場まで一日半はかかるそうだ。となると、道のりだけでも往復で三日。狩りに一日費やすとして、戻ってくるのに早くても四日はかかってしまう。
四日間も俺がそばにいないと知ったら、ファーニィは涙を堪えることなどできずにずっと泣き続けてしまうに違いない。
兄としては大切な妹が涙を流すなんて耐えられない。しかし、ここはぐっと耐え、心の上に刃を置いて耐え忍しかないのだ。
すべては……ファーニィの眼に光を取り戻すためなのだからっ!
「ああ。期待してまっ――」
「お、おにいちゃーーーんっ!! まって、まってよーーー!!」
俺が出発するべく馬に鞭を入れようとしたその時、向こうからファーニィがやってきて大きな声をあげた。
隣でババアが手を引いているいるところを見るに、きっとファーニィに俺を見送らせるべく連れてきたのだろう。
ちっ、ババアめ。小狡くポイントを稼ごうとしやがって。
「ファーニィ……どうしてここに?」
「はぁ、はぁ……お、おにいちゃんっ! ……はぁ……もっ、モンスターとたたかいにいくって……ホント?」
よく眼が見えないのに関わらず、せいいっぱい走ってきたからか息が切れている。
「……ああ。本当だ。山の向こうに悪いモンスターがいてな。いまからお兄ちゃんが行って、やっつけてくるんだ」
「なんで……おにいちゃんがいくの?」
「そ、それはな……えっと……そ、そう! 戦えるのがお兄ちゃんだけだからなんだ。みんなが安心して暮らせるように、お兄ちゃんはモンスターを倒しに行くんだよ」
「……うそ。おにいちゃんうそついてる。……もんすたーとたたかうの……ファーニィのため……なんでしょ?」
ファーニィの言葉で、隣にいるババアが急に慌てはじめた。
バラしたのはテメーか。
ケジメをつけるため、ババアには帰ってからきっちりアンデッドをけしかけるとして、いまはファーニィと向き合うべき時だ。
俺は御者台から降りると、ファーニィの元に歩いていき、細い肩にそっと手を置く。
「……ファーニィの言う通りさ。本当はお兄ちゃん、山の向こうにいるモンスターを倒してお金を稼ぐつもりなんだ。ファーニィの……眼を治すためにね」
俺はファーニィに正直に話した。
兄として、妹に嘘をつきたくなかったからだ。
「……なん……で? ファーニィ……そんなことおにいちゃんにたのんでないよ。なのになんで……おにいちゃんはあぶないことするの?」
「ああ。ファーニィは頼んでなんかいない。だからこれは、お兄ちゃんが勝手にやろうとしてることなんだ」
「いや。ファーニィ……おにいちゃんとはなれたくない! おにいちゃんがいれば……ファーニィずっと目がみえなくてもいいもん! ずっとこのままでいいもんっ!」
「馬鹿を言うなっ!」
「!?」
俺が突然大きな声を出したことに、ファーニィが驚いた顔をする。
「『ずっと目がみえなくてもいい』だって!? そんなことを言うな!」
「……でも……でもぉぉ……」
ファーニィの眼に涙が浮かぶ。
「いいかい、ファーニィ、」
俺はできる限り優しい口調でファーニィに語りかけた。
「風に乗り、天を舞う鷹の雄々しい姿を憶えているか? 暖かな日差しと共に、咲き誇る花々の美しさを憶えているか? 太陽の光りを受けて黄金に輝く麦畑を。夜空に散りばめられた星々の煌めきを。そして……キラキラと七色に輝く虹の橋を憶えているか?」
「…………うん。……ファーニィ……ぜんぶおぼえてる。ちゃんと……おぼえてる、よぉ……」
「……俺はな。ファーニィにもう一度――いや、何度だって見せてやりたいんだ! ファーニィの眼に、再びこの世界を見せてやりたいんだよ!」
ファーニィが俺を見上げ、その拍子に涙の雫が零れ落ちる。
「いいや、俺だけじゃない。ファーニィのお父さんだって見せてやりたかったに決まってる! 俺は、そんなファーニィのお父さんが志半ばで果たせなかった想いを……継いでやりたいんだよ。ファーニィのお父さんの代わりに、ファーニィの眼を治してやりたいんだよ!」
「グス……おと、うさんの……かわり……に?」
「ああ。お父さんの代わりにだ。だってそうだろ? 俺はファーニィの“お兄ちゃん”なんだぞ」
「…………うん」
「それに……ファーニィの眼を治したら、ファーニィのお父さんも俺のことを『お兄ちゃん』として認めてくれるような気がするんだ」
できればこのまま、いろんな意味で家族になることを認めて下さいお義父さん。
娘さんは俺が幸せにしますから。
「そんなことしなくてもぉ……お、おにいちゃんはぁ……ずっとファーニィのおにいちゃん……だよぉ」
「ファーニィのお兄ちゃんでいるために……お兄ちゃんとして胸を張るために、モンスターを倒しにいかなくちゃいけないんだ。大丈夫。俺はいままでゾンビやスケルトンの大群、トロルのボスに盗賊団。それに凶悪なメスオークだって倒したことがあるんだぞ。山の向こうにいるゴーレムだって、簡単にやっつけてみせるさ。だからファーニィは良い子にして待ってるんだ。俺がいないからといって、泣いたりしたらダメだぞ」
安心させるようにそう言うと、ファーニィは顔を伏せ、少しだけ考え込む仕草をみせた。
やがて、顔をあげると涙を手で拭い、口を開く。
「……おにいちゃん、」
「ん? なんだ?」
「おにいちゃんは……ぜったいにかえってくる?」
「もちろんさ」
「けが……しない?」
「しないしない! もししてもすぐ治っちゃうよ。心配しなくていい。お兄ちゃんに死角はない。無敵だ」
「ん。……だったら……ファーニィまってる。おにいちゃんがかえってくるの……いいこにしてまってる。だから――」
ファーニィはいまにも泣きだしそうな顔で、
「かえってきたら……ずっといっしょだよ」
と言い、むりやり笑顔をつくった。
お兄ちゃんを心配させまいとつくった、ぎこちない笑顔。
愛する妹からそんな笑顔を向けられてしまっては、兄として涙を堪えられるわけがないじゃないか。
俺は不覚にも涙で麻袋をしとどに濡らしてしまい、ついでにぶひぃーと鼻をすすってしまう。
見れば俺だけでなく、チャベスとババアも目頭を押さえながら嗚咽を漏らしまくっていた。
こうして俺は、大切な妹とその他二名に見送られながら出発したのだった。
ゴーレムがいるという、岩場を目指して。
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