第九話
朝の光が、小さな窓から差し込む。ミリスはゆっくりと目を開けた。
「……ここは……?」
見覚えのない天井。木の壁。粗末な寝具。
体を起こそうとして止まる。
重い。
体が、思うように動かない。その時、気配に気づいた。
部屋の隅。
数人の男たちが立っている。
「……だ、れ……?」
声がかすれる。喉が乾いている。
一人の男が前に出た。他の男たちとは違う。妙に整った身なり。無駄のない動き。
そして、目。
冷たい。観察するような目。
「目が覚めたか」
男はゆっくり手を上げた。その指先に、淡い光が灯る。ミリスの背筋が凍る。
「やめ……」
言葉の途中で、空気が歪んだ。見えない何かが、頭の中に入り込んでくる。
(魔法……!)
「っ……!」
思考が揺れる。
(逃げないと……)
わかってるのに。体が、動かない。
「無駄だ」
男が言う。
「俺の名はゼルグ。『支配』の魔法を扱う。抵抗すればするほど、苦しくなるぞ」
ミリスは歯を食いしばる。
(やだ……!)
「動くな」
その一言で体が、止まった。
(なんで……!)
心は動いているのに、体だけが、完全に従っている。
ゼルグはわずかに笑う。
「いい素質だ。壊すには惜しい、短剣を取れ」
手が、勝手に動く。
(やめて……やめて……!)
震える指で、短剣を握る。
涙がこぼれる。
「ほらな」
ゼルグが呟く。
「意志は残してやっている。その方が、面白いからな」
ミリスの瞳が揺れる。
(ふざけないで……!)
「お前は俺の玩具だ。命令に従え」
喉が勝手に動く。
「……はい」
その瞬間、自分の中の何かが、縛られた。
森の小道をゼルクの命令に従い、短剣を握りながら歩く。
集団で移動している商人とその子供たちが前方に見えた。
「そいつらを止めろ」
ゼルクの声が冷たく響く。
(いや……やりたくない……)
ミリスは心で思うが、手は自然に短剣を構えて動いてしまう。
後ろから近づきながら、最初の一歩を踏み出す。商人の一人が振り返る。
「えっ……な、なんですか?」
次の瞬間、ミリスの短剣が肩のすぐ横に刃が軽く当たり、商人は声を上げる。
「うわっ!」
人々の恐怖と、子供の泣き声が森に響く。
(だめ……こんなの……)
手が震える。けれど、ゼルクの命令が重くのしかかる。
「もっと大胆に動け」
ミリスは指示に従い、子供たちの後ろに回る。商人が必死に後ろをかばう声。
「やめろ!頼む!」
その叫びに、ミリスの胸が痛み、短剣を握る手も震える。
(ごめん……ごめんなさい……)
「クックック、やはり心の抵抗を見るのほど面白いものはない。」
ゼルクは笑みを浮かべる。
ミリスの体は自然に前方へ動き、商人たちを取り囲む。子供たちは泣き叫び、商人は必死に守ろうとする。
「やめろ!お願いだ! こっちに来るな!」
(いや……もう……こんなの……耐えられない……)
命令に従うしかなく、体は自然に動いてしまう。商人の一人が前に出て短剣をかすめられた瞬間、小さく叫ぶ。
「うっ……あっ……」
(だめ……こんなの……)
涙が滲む。罪悪感が胸を締めつけ、呼吸が苦しくなる。周囲の叫び声が重なり、胸の奥が締め付けられて苦しくなる。
ゼルクはこちらをずっとみている。微かに笑っているその姿に、ミリスは背筋が寒くなる。命令によって動くミリスの心を楽しんでいるのだろう。
(もうやだ……でも体が……)
心の奥で繰り返す葛藤。
「やめろ!やめてくれ!」
「誰か助けて!」
「子供に手を出すな!」
ミリスは短剣を持ったまま、人々に迫る。
「早く終わってはつまらん。一人一人じっくり切れ。」
ゼルクのその言葉の裏には、ミリスの葛藤を見て楽しむ影が潜んでいるように感じた。ミリスは抵抗しながらも動くしかない。人々は必死に叫ぶ。
(くるしい……なんで、ぼく……)
心の声が空に吸い込まれるように消える。ミリスの涙と震えが心の苦しさをものがたる。
ゼルクはその様子を見て、楽しげに観察する。直接手を出さず、ただ見て楽しむ。
アジトに戻る道すがら、足は重く、心はぐちゃぐちゃに乱れていた。
(やってしまった……ぼくは……何を……)
声にならない言葉が繰り返される。手にはまだ短剣が握られ、震えが止まらない。
(うっ……吐きそう……)
吐き気が波のように押し寄せる。けれど体は命令のまま、歩くしかない。
立ち止まることも、座ることも許されず、足だけが前に出る。心は悲鳴を上げ、涙が頬を伝う。
(どうして……こんなこと……)
胸の奥で罪悪感が膨らみ、頭の中が霞む。振り返れば、あの商人たちの叫び声が蘇り、子供たちの泣き声が耳を刺す。
アジトの扉をくぐった瞬間も、心は罪悪感と恐怖で混ざり合った。
そしてついに魔法がかけられた最初のあの場所に戻って来た。
「お前の心は面白かったぞ。簡単に壊れるなよ、また明日も遊んでやる。」
(あしたも?……もう、たえられない……)
体は魔法のせいで固まり、座ることすらできない。床に倒れ込みたい衝動が何度も頭をよぎるが、体はそれに従わない。
(もう……ぼく……)
吐き気が強くなり、胸が痛む。涙と苦しみで、まるで自分の存在そのものが重く、押しつぶされそうだった。
体は動くが、心は叫ぶ。
もういや
ごめんなさい
耐えられない
短剣を握る手の震えと、心の奥の涙が、罪悪感の深さを映していた。




