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序章の終わり


 試合終了後。


 ヴィオレッタは生徒たちからわっと取り囲まれることになった。


「ヴィオレッタ様、流石ですわ!」

「あのティグレ様を負かしてしまうなんて!」


 きゃいきゃい騒ぐのはヴィオレッタと仲がよかった貴族令嬢たち。


「やっぱりヴィオレッタ様は素敵ですわ~!」

「やめてちょうだい、わたくしは手加減してもらっただけよ。それにほら……」


 ヴィオレッタが視線で指し示した先に、ユヅキがいる。

 貴族令嬢たちは瞬時に固まった。


「ひっ……」

「こっちをにらんでいらっしゃいますわ……」

「ね? わたくしを持ち上げるのもほどほどになさいね。でないとあなたたちが危ないわ」

「ヴィオレッタ様……!」

「なんておいたわしい……!」

「なにもできない自分をはがゆく思いますわ……!」


 貴族令嬢たちの間ではすでに災害のような扱いを受けているユヅキだが、当人は猫をかぶっている。


 ユヅキは自分がなにか陰口を叩かれていることを敏感に察知したのか、にこにこしながらアルテスと離れた。


 にこにことぎこちない笑顔をはりつけたユヅキが、ヴィオレッタの方に近づいてくる。


「ひっ……!」

「いやですわ、怖い……!」

「……ほら。あなたたち、もうお行きなさい。ここはわたくしが引き受けるわ」

「ヴィオレッタ様……!」

「ご武運を……!」


 さっと遠のくご令嬢たちを尻目に、ヴィオレッタはユヅキと真正面から向き合った。


 ユヅキはピンク髪をもじもじといじくると、やがて意を決したように、ヴィオレッタに言った。


「あっ、あの、すばらしい試合でした!」


 びくびくおどおど、まるで取って食われる前の可愛らしい子リスちゃんといった風情だ。


 彼女の恐ろしいところは、これが全部演技だということである。


 周囲から『ユヅキ、がんばって!』と男の声援が飛んでくる。おそらくどこかの貴族子息だろう。


「まあ、どうもありがとうございます」


 しゃべっているうちに、ヴィオレッタは自然と身構えた。

 いつもなら、ユヅキとしゃべるとゲームの強制力が働く。

 今なら、『別に、これくらい普通ですけど? 庶民に褒められる筋合いはございません!』といったようなことをしゃべっているところだ。


 ――あれ……?


 しかし、今回はいつまでたってもゲームの強制力がやってこない。


「ユヅキ様にそうおっしゃっていただけるとは思っておりませんでしたわ」


 ヴィオレッタの発言は、思った通りにできた。


 これまではヴィオレッタが何を言おうと見えない力が働いて、強引につじつまが合うようになっていたが、どうやらもう違うらしい。


 ユヅキは戸惑ったような顔をしつつも、話を合わせてきた。


「私、ヴィオレッタ様のしたこと、今でも何かの間違いなんじゃないかって思ってるんです」


 ――あなた! あなたが!! 仕組みました!!!


 ユヅキのふてぶてしい発言に度肝を抜かれて、うっかり突っ込みかけたヴィオレッタだった。


 ――危ないわ、もうゲームの強制力はなくなっているみたいだし、気を付けないと。


「ヴィオレッタ様……あんなことがあったあとだけど、でも……私、まだヴィオレッタ様のこと、お友達だと思っていても、いいですか……?」


 泣かせる台詞に、男連中のため息が聞こえた。


 ヴィオレッタはふっと微笑んだ。


 ――冗談じゃないっての。


 あやうく出かけた本心を何とか呑み込む。


「……わたくしにはもう、その資格がないわ。ユヅキ様、どうかアルテス様を助けてあげてくださいましね。それは、聖女になる予定のあなたにしか、できないことだから……」


 ヴィオレッタが言葉を詰まらせながら稽古場をダッシュで立ち去っても、ユヅキは深追いしなかった。


 稽古場を離れてしばらく廊下をいく。

 あたりには生徒の姿も見当たらない。

 ヴィオレッタはようやくひとりになることができたのだった。


 ――はぁ、疲れた。


 ティグレに勲章を返還し、ユヅキの株をあげ、ついでに自分の汚名もすこし返上してきた。


 まずまずの働きぶりだろうとヴィオレッタは満足し、大急ぎでほったらかしのサロンに足を向けることにした。


 すでにサロン客を何十分も待たせているはずだ。


 ――私の本業は、こっちになるんだから、しっかりしないとね。


 こうして『騎士勲章事件』は、幕を閉じるかに思われた。


「――おい!」


 廊下の曲がり角で待ち伏せしていたらしき人物に声をかけられ、ヴィオレッタは飛び上がりそうなほど驚いた。


 見れば、騎士見習いのティグレではないか。


 ヴィオレッタは思わず剣の間合いの外に出るくらい、後ずさった。


「さ、再戦の申し込みでしたらお断りですからね! だいたいあなた、わたくしとの約束を破って、よくわたくしの前に顔を出せましたわね!」

「それについては、すまなかった」


 素直に謝られてしまい、ヴィオレッタは拍子抜けした。


「俺は勝負に負けた。だから、あなたの言うことには従おう。さっきの手加減については納得できないが、実力を見せたくないあなたが、ついでに俺のメンツを守ろうとしたと受け取ることにする」

「あ、ああ、そうですの……分かっていただけたなら、よかったわ」


 君子危うきに近寄らず。


「それではわたくし、サロンにお客様を待たせているから、失礼いたしますわね」

「待ってくれ!」


 ティグレは険しい顏でヴィオレッタの前に立ちはだかった。


 よけて通ろうかと思ったが、この調子で大声を出されては、何事かと人が集まってきてしまう。


「なんですの、手短にお願い!」


 ヴィオレッタが急かすと、彼はもうヤケを起こしたかのように、彼女の足元に片膝をついた。


 ヴィオレッタは激しくうろたえた。


 片膝をついて座るのは、この国の騎士の最敬礼と言ってよく、やる機会はめったにない。主君でもない相手、特に貴婦人に対しては、告白をするときぐらいである。


 そしてヴィオレッタは彼の主君ではなかった。


「どうか忘れないでいただきたい。俺が本当にあの勲章を捧げたいと思ったのはあなただ、ヴィオレッタ嬢!」


 それは紛れもなく、熱い告白だった。


 ヴィオレッタはもはや恐慌状態だ。


 ――こんなところを見られたら、ユヅキ様が何をおっしゃるか……!


「分かりましたから、立って、お願い!」


 ティグレの腕を取り、強引に助け起こす。


「恋をしているわけでもない相手に、みだりにそういうことを行うものではなくてよ、ティグレ様」


 彼は何も言い返せず、耳まで真っ赤になっている。視線はヴィオレッタに釘付けだ。


 それでヴィオレッタは、がっちりと腕を組みあっている状況に気づいた。


 ――忘れてたわ。この方、手をつないだりするのに弱いんだった!


 おそるおそる、パラメータをチェックする。


 ティグレの好感度は100。

 状態は『ほのかな片思い』。

 しかも数値は数秒ごとに1ずつ上がっていた。


 ――うそ……ティグレ様、チョロすぎ……!?


 いくらヴィオレッタのパラメータが高いからとはいえ、ほんの少し腕を組まれただけでこんなに過剰反応してどうするというのか。


 ヴィオレッタが混乱を極めていると、彼はようやくヴィオレッタの手を慇懃に押しのけた。


「すまない、取り乱したようだ」


 やや落ち着きは取り戻したようだが、まだティグレは赤い顔をしている。


 ユヅキの怒り顏を思い出して、ヴィオレッタは焦りを深めた。


 フォローしておかないと、きっとまずいことになる。


「そうね、きっとティグレ様はわたくしに負けたショックで、ちょっと気が動転していらしたのね」

「いや、さっきのは本心で――」

「あなたにはユヅキ様というお仕えしなきゃいけないお方がいらっしゃるんだもの、きっとそうですわよね!」


 ヴィオレッタが口を挟ませないようにそう言い切ると、ティグレは黙ってしまった。


 ティグレのパラメータによると、ヴィオレッタの好感度は100と少しだが、ユヅキの好感度は114と、まだ少し彼女の方が勝っている。


 彼女のことを持ち出されたら、真面目なティグレとしては気まずいに違いない。彼のようなタイプは、自分のことをあちこちの女に惚れるような軟弱な人間だとは思いたくないだろう。


「わたくしの腕前に敬意を払ってくださるのなら、どうかあなたはアルテス様に忠義を捧げて。それがわたくしの願い」


 ティグレはまだ何か言いたそうにしている。


「あなたがアルテス様を守ってくれるなら、私も安心できるから。お願い。ね?」


 念を押すと、ようやくティグレの顔色が変わった。


「もしや……あなたは、まだアルテス殿下のことを……?」

「お慕い、しておりましたわ」


 ――ユヅキが出てくる前までの話だけど。


 その後の行いがひどすぎて、ヴィオレッタからアルテスへの好感度はすでにマイナス255を振り切っている。


 もろもろの怨恨は必死に心の底へ押し込め、ヴィオレッタはふいっと恥じらうように下を向く。


 しばらく無言で演技を続けた。


 すると、ティグレの方が折れてくれた。


「委細承知した。俺はあなたの分も、殿下のために尽くすことにする」


 生真面目な顏でティグレが言ったので、ヴィオレッタはほっとして全身から力が抜けそうになった。


「さようなら、ティグレ様。もうお会いしないわ。アルテス様とユヅキ様を、どうかよろしくね」

「……ああ」


 ヴィオレッタの、若干強引な別れの言葉も、なんとかティグレに承諾させることができた。


 ――めでたしめでたし……かな?


 ティグレがとぼとぼと廊下を行く。

 すすけた背中に向かって、ヴィオレッタはなんとなく、パラメータを確認してみた。


 ティグレのステータスと一緒に、ヴィオレッタへの好感度の数値がある。


 数値は120と、先ほどチェックしたときよりもまたぐんと増えていた。


 ――ちょ、チョロい……!


 危なかったと、ヴィオレッタは思う。あれ以上会話を長引かせていたら、本気で惚れられてしまうところだった。


 ――あれ……? 好感度が……『敬愛』?


 見たこともない状態変化だ。


 不思議に思い、ヴィオレッタ以外の人間に対する好感度をざっと眺める。


 すると、『親子愛』や『兄弟愛』、『同族意識』など、これまでにない項目がずらりと並んだ。


 ――パラメータが、一段階詳しくなったのかしら?


 これもゲームの影響を抜けたからだろうかとヴィオレッタはいぶかしんだ。


 ――まあ、いいわ。詳しくなって困ることってあんまりないものね。


 ヴィオレッタはいい加減にそう考えて、改めてサロンに向かうのだった。


***


 その日のサロンは大盛況だった。


 評判を聞きつけてやってきた貴婦人たちにプラスして、先ほどの試合を見に来た学園の生徒もみんな顔を出していったからだ。


 ヴィオレッタはオーダーをきく暇などなく、ひっきりなしに紅茶を淹れ続け、閉店までに二百杯以上提供することになった。


 忙しかったが、学園で親しくしていた令嬢と会話する時間も多少はあった。


「ヴィオレッタ様がサロンを始めたことはもちろん知っていたのですけれど、なかなか参加しづらくて……」


 貴族のご令嬢のひとりが言った。

 彼女は名をコロネと言い、どこかで見たようなくるくる巻き髪の女の子なのだが、ヴィオレッタとはずっと仲がよかった娘である。彼女も立ち絵がある、そこそこのポジションのサブキャラだったはずだ。


 ヴィオレッタはうんうんとうなずいた。


「あんなことがあったあとでは仕方がないわ」

「わ、わたくしも! 本当はずっとヴィオレッタ様のところにご挨拶に行きたいと思っておりましたわ!」

「うれしいわ、ワッフル様」


 と、今度はふわふわの細かなカールができた髪型のご令嬢に話しかける。


「すぐには難しいかもしれないけれど、これから少しずつ目を盗んで来ていただけるとうれしいわ」


 誰の目を、とはあえて言わない。

 言わなくてもみんな、分かっている。


「でも、無理はなさらないでね。わたくし、あなたたちの健闘を祈っているわ」

「ヴィオレッタ様……!」

「いなくなってしまわれて、本当にさびしいですわ~!」


 ヴィオレッタとしても学園に残してきたご令嬢たちの身を案じないでもなかったが。


 今は、自分のサロンをきちんと成立させることが先決である。


 これが評判を呼んで、王都の『社交界』にも地位を確保できれば、王城と関係を持たなくても、また、結婚ができなくても、ヴィオレッタはなんとか貴族らしい体裁を保って生きていける。


 ふと、ヴィオレッタの脳裏に、先ほどのティグレが思い浮かぶ。


 ――俺が本当にあの勲章を捧げたいと思ったのはあなただ!


 彼に熱心に言ってもらえて、本当はちょっとうれしかった。

 なんの障害もないのなら、結婚だって考えなくはない。


 ――でも、ユヅキ様は怖いし、仕方ないわよね。


 結婚はしたい。

 できれば、攻略対象ではない殿方と。


 短い時間ながらもなんとかサロンを回しきり、お客さんの馬車の行列をすべて見送るころには、日はとっぷりと暮れていた。


 後片付けをするヴィオレッタの後ろに、一台の辻馬車が止まる。


「すみません、もう終わってしまいましたか?」


 とぼけた声で尋ねるのは、栗色の髪をした、地味で目立たない青年だ。


 そして、ヴィオレッタが心待ちにしていた相手でもある。


 ヴィオレッタは振り向きながら、とびっきりの笑顔でこたえた。


「わたくしの『ティーサロン』にようこそ!」




序章はこれで終了です。

たくさんの方のご閲覧、ブックマーク、ご感想、ありがとうございました。


続編の予定は活動報告でお知らせします。


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