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モテ期朱里の全開走行 結

 峠道は狭いが、片側一車線はほとんどの区間で確保されており、一人で走る分には、対向車を気にしないで走れる。

 この峠道をふもとまで先に降りた方の勝ちということになった。

「悪いけど、本気出すから」

 スタート地点に立つ前の、俊介の一言である。愛車はシルバーのフェアレディZ(Z34)

。スカイラインと並ぶ日産の代表的なスポーツカーであり、排気量は朱里の乗るRX-7の倍以上ある。

 特に峠のような道の場合、排気量が高い=速い、とは限らないし、そもそも朱里は車の性能の差など知らないのだが、やはり両車を隣に並べれば、かなりの威圧感は感じられた。

「二十一時四十五分きっかりにスタートな」

 に、従って、彼女は準備する。後三十秒。Z34(俊介の車)のエンジンは、すでにけたたましい咆哮をあげているのに対し、FD(朱里の車)は静かなものだ。

 十秒。

 朱里は、にわかにどうしたらいいのか分からなくなる。だって本当に車での競争などしたことはない。どうやるの?……抜く時は、対向車線出るしかないの?

 五秒。

 ……思考も追いつかないまま、とりあえずクラッチを切ってシフトを一速へ。並んでる車がどうしてあんなにエンジンをふかしているのか分からない。

 三秒。

 手がじっとりとぬれてくる。心臓が高鳴り、二秒を迎え、一秒を迎え……。

 クラッチを繋いだ瞬間のエンジン音の重さ。それが、俊介の車を一瞬で世界の向こうへと押し出し、レースはスタートした。

 対する朱里は普通の半クラッチからの走り出し。もっともエンジンパワーの得られる場所でクラッチを繋ぐと、急発進できるなんて知らない。瞬時に道の向こうへと消え去った日産のエンブレムを見て、朱里は真剣に不安になった。

 何せ負けたら付き合うことになってしまったのだ。神様が大丈夫だと言ったからやってはみたけど、自信などは欠片もない。……二速、三速へとシフトアップしていけばRX-7の軽量なボディはまるで大気圏を突き破っていくロケットのような加速を見せたが、スタートダッシュが違いすぎたか、一向にZ34の背中は現れない。

「どわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」

 隣では、いつだかに櫻花が見せた光景が広がっていた。先ほどの、慣性を感じさせないベルトコンベヤーなどではない。未経験者がいきなりマッハ越えの戦闘機に乗ったようなものだ。

 勾配と蛇行が連続する細い道。ニコラスは、窓から飛び込んできそうなほどに接近する木々が自分のまつげにかすりそうで、悲鳴を上げずにはいられない。

「ぶつかるぅぅぅぅぅ!!!!!!」

「ごめんなさい。ちょっと今わたし、答えてる余裕ないです」

 切羽詰った朱里の声の先、長いストレートのはるか向こうに、車幅灯が見える。朱里がアクセルを極限まで踏み込めば、景色がまるでぐにゃりと曲がるようだった。

「そんなスピードで走ったら曲がれないーーー!!!!」

「大丈夫です。ブレーキかけます」

 ちなみに、前に櫻花が悲鳴を上げた挙句に気絶した全開走行は、櫻花の車であり、軽自動車だった。今はそれよりもすべての点において恵まれている。分厚いタイヤで、大径のブレーキシステムに支えられて、赤のRX-7は百四十キロを超えるスピードから、ゴムの焼ける匂いを中央線に押し付けつつ、左へと消えていった。


 しかし、追いつかない。

 俊介も相当この峠を走っているのだろう。たまにポツリポツリと背中は見えても、なかなか追いつくことができないでいる。

「あの……ちょっといーですか?」

 百八十度、つまり曲がる前と曲がった後で真逆になるような極端なカーブ、いわゆるヘアピンカーブを二つクリアした朱里に声がかかった。

「わ!? 誰だ!!」

 ニコラスにとっては聞きなれない声。振り向けば、朱里の脇に、幽霊のようなものが寄り添っていて

「うぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 後は悲鳴しかない。

 しかし、朱里にそれを気にする余裕はなく、汗がハンドルに染みるのもそのままに、彼女は答えた。

「なんですか?」

「ごめんなさい、なんで左半分で走ってるんですか?」

「え、それは、交通ルールです」

 朱里の中で、速度超過は交通ルールの外らしい。まぁ、片側車線を走っていれば対向車線の迷惑にはならない、というところで線引きがあるのだろう。

「ごめんなさい、でも、あっちが道いっぱい使ってるなら、不利ですよね」

「対向車線、危ないじゃないですかぁぁ」

「まぁ、この時間、ライトがついてますからたぶん走ってくれば気付くと思いますし、だいたい、このままじゃ負けちゃいますし……」

「……」

 考えてる時間はない。もしそれで追いつくのであれば、今は、目をつぶってもらうしかない。

 朱里は覚悟を決めると、一度向こうを確かめてから一気に対向車線の向こうの壁へと寄った。

 速度が上がる。道が倍使えるのであれば、曲がる時の進入速度は段違いとなる。クラッチ、三速から二速へシフトダウンしてカーブへと飛び込めば、その速度は先ほどの比ではなかった。

「うっっぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 なお、隣ではニコラスがまさに死に掛けている。


 極端に蛇行の多い場所がある。

 右、左、右、左、左、右……、

 見通しの悪い場所。フロントガラスに映る風景は壁と森しかない。しかしだからこそ、前を走る俊介は気付かなかった。

 突如、彼の車を背中から照らす光。

「うわ!!」

 一瞬、その光にバックミラーが奪われたような錯覚を起こす俊介が、小さな悲鳴を上げた。

 しかも、その光はぐんぐんと追い上げてくる。

(速え!!!)

 ブレーキを踏み込み、タイヤのグリップを地面に伝えながら右へとハンドルを切る。彼女は俊介よりも速いタイミングでそれを行い、後輪を滑らせながら彼よりも短い距離でカーブを越えてくる。

 それが俊介にも分かった。このままでは早晩追いつかれる。背中からの圧迫感が半端ない。

(だけど……!)

 抜かれなきゃいい。最終的に前を走っていれば勝ちなのだ。

 峠道で人を抜くのは難しい。抜かせる意思がなければなおさらである。車を抜くというのは、車を速く走らせることとは別の技術なのだ。

 言い聞かせながらアクセルを踏み込む俊介。追う朱里。下り斜面を駆ける二台のスポーツカーはまるで崖を滑り落ちていく雪崩のように、タイヤを鳴らしながら加速していく。

「これ、どうやって抜くんですか!?」

「ごめんなさい、わかりません」

「ええええええーーーーーーーー!!!!」

 速度が出ているということは、それだけ追い越し距離も長くなるということで、インをつこうとか、アウトからかぶせていこうとか、そういう駆け引きをまったく知らない朱里には、とても相手を抜ける気がしない。

 しかし、もうゴールはそこまで迫っている。あとは、ワインディングをいくつか抜けて、ストレート、一度右へ、そしてストレートを降りるだけだ。

 実際、速いの自分の方らしいということは、朱里自身も分かっているようだが、だからとて最後のストレートで抜く自信、いや、度胸がない。

無理して抜いた先、右に曲がれるかの自信がなかった。

(負ける……!)

 そう思った時、突如神様が叫ぶ。

「速度落としてください」

「ええ!?」

 いや、叫んでない。

「いいから落としてください」

「負けちゃいます!!」

「落としてください」

「……」

 そういうところ、朱里は決して意固地にならないのは、今までの物語でも再三証明してきている。今回もごたぶんにもれず、朱里は従った。

 ブレーキが摩擦で加熱して……車がまるで、すべての重力から開放されたかのように、ふっと軽くなる。

 今の今まで躍起になって追っていた車は、まるでその速度を吸い取ったかのように速度を上げ、発射台を飛び立ったミサイルのようにストレートの向こうへ消えていった。


 朱里。速度三十キロ。

 すべてを諦めてしまえば、その速度も気持ちよい。朱里は神様の方を見た。

「これ、ひょっとして、引き返して山の向こうに下りて、そのまま逃げちゃえーってことですか?」

 だとすれば切り返さなければならないのだから、三十キロでも速いくらいだ。

「ごめんなさい……」

「謝られても……」

「たぶん、朱里さんの勝ちです」

「へ……?」

「僕、携帯電話なんです。もちろん電波は一定の周波数しか音声化できませんけど、何の電波が飛んでるかは分かるんです」

「はぁ……」

 彼女に寄り添う携帯電話の神様。具体的には後部座席から顔を出して、彼女の耳元で話しているのだが、その彼は斜め前を指差した。

「この直線を右に曲がったところに、警察車両があります」

「ええええええ!?」

 驚愕しながら右のカーブを曲がり、少し見通しの悪い所を抜けて視界が開けたところで、彼女は下り坂の向こうに赤色灯が回っているのを見た。

 歩くような速度でそれを追い抜く朱里。赤色灯の後ろにはシルバーのフェアレディZ。……ゴールはその三十メートル先。

 朱里は時速三十キロのままそのラインを越えて、勝利した。


「おめでとうございます」

「あの人、納得するかなぁ……」

「ごめんなさい、勝ちは勝ちだと思います」

 まぁ、そういうことにしておこう。一つ言える事は、

「もう二度と競争なんてしない……」

「約束は約束ですから、大丈夫ですよ。ダメならまた僕が手伝います」

「ありがとうございます……」

 それを最後に神様は引っ込んで……半ば放心状態でゆっくり帰っていた車だが、家に着いたところで助手席に人がいたことを思い出した。

「あ……ニコラスさん、大丈夫ですか?」

「え……?」

「車、怖かったですか……?」

「い、いや、そんなことも……ない……よ?」

「……」

「耐えられたよ? 付き合ってくれるのかな?」

 喉下過ぎれば熱さを忘れる。ニコラスは引きつりながらも笑顔を見せた。

「あ、あの……いつもこの運転でも……わたしの助手席乗れますか?」

「う、うん。大丈夫!!」

(え~~~~~~…………)

「だから、付き合って……」

「ごめんなさい、僕が先客です」

 にゅっと、急に現れる神様。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

「朱里さんの本命は僕なんですが」

「だ、誰だお前は!!」

 その声にかき消されたかのように神様は一度消えて、今度は助手席の向こうから、彼の首筋に触れるように現れた。

「朱里さんの守護霊みたいなものです」

「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 そしてまた消える。

「……」

 それからしばらく頭を抱えて顔を背けていたニコラスだったが、やがて車が止まっていることに気がついたのか、不意にドアを開け放った。

「ま、まぁ、ちょっと、とりあえず今日は帰ろうかな。じゃあね朱里ちゃん。今日はありがとう」

「ホテルまで送りますか?」

「あ、あぁー、いいよ。大丈夫。そんなに遠くないしね。またね」

 言いながら、窮屈そうに助手席側のドアをくぐると、振り向きもしないで颯爽と歩き去る。

 それを目で見送り、また現れた神様と朱里は、申し合わせたかのように顔を見合わせた。

「ごめんなさい。あの人、僕を怖がってそうだったから……」

「え、でも、なんかちょっと……今のは悪いです……」

「ごめんなさい……」

 いい人ではあったのだ。何のいわれがあって、脅かされなければいけなかったのか。

「でも朱里さんは、そうやってズルズル人間関係の深みにはまりそうですよね……」

「う……」

「今、いい人したら、ロイヤルスイート八十万で、大人の玩具を終日コースでしたよ……?」

「……」

 朱里、言い返せない。いい加減、もうちょっとNOといえる日本人になったほうがいいんじゃなかろうか……。

「朱里さんには無理ですよ。櫻花さんとのやりとりを見てる限り……」

「あのー、あまり心読まれるの、恥ずかしいんですけど……」

「ごめんなさい」

 神様は軽く頭を下げ、相変わらず無表情のかんばせのままで言った。

「まぁ、また見守ります。というか、僕が彼氏になりましょうか?」

「……」

「ごめんなさい……」

「ごめんなさい……」

「ごめんなさいごめんなさい……」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」


 ……いろいろあった興奮と疲れ、そしてニコラスに対するバツの悪さのせいか、朱里は神様の前でひたすら謝り通して、そのまま車中で朝を迎えたのであった。

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