マエストロ、新たな人種を目にする
秋。市場は収穫祭に合わせて大量の商品が並べられ、商人たちが一斉に声を張り上げ、物を売っている……らしい。
エミールは相変わらず屋敷の敷地内から出たことはない。既に齢は七歳になった。前世なら鼻水を垂らして裸足で駆け回るのを卒業し、補助輪付き自転車という新たな足を手に入れて小さい冒険をする年頃である。
しかし、デシャン家の保護者たちは用心深いのか、束縛する性質なのか、エミールを外に出さなかった。
もともとインドア派な彼だが、こうも屋敷で燻っていてはストレスも溜まる。楽器を弾くことによってある程度緩和できたが、根本的に解決しないのでは意味がなかった。
そもそも何故デシャン家の保護者たちはエミールを外に出さないのか。
それは母、メアリーの仕業である。
メアリーは末子であるエミールを大層可愛がった。アルベルトから聞いたが、エミールが産まれた時はかなり難産だったらしい。母子共に危険な状態だったらしく、一度死亡寸前までいったメアリーは、そんな経緯もあってエミールを並外れて溺愛しているのだ。
アルベルトも過保護なメアリーに強く言えないようで、「メアリーが心配しないくらい出来た息子になれば良い」と判断し、この件は半ば放置気味となっている。
さらに兄と姉たちからも溺愛されているので、エミールの外出時期は永遠に来ないであろうかと思われるほど延びた。兄のルークはそこまでではないが、アリシアとルルイエの溺愛っぷりはメアリーに継ぐ勢いである。
家族の半数以上から「外に出るのは早い」と言われ、エミールはほとほと困っていた。
「私は家族以外の人と話すことができるのだろうか……」
エミールが窓の外を見ながらしみじみと呟くと、ミューズが傍に寄ってきて首を傾げた。
「私やお手伝いの人と話しているじゃあないですか」
「家中の者は殆ど家族同然だろう。この世界に産まれた時から顔を合わせているんだ。他人という気がしない」
「え? それって私も家族の一員って事ですか? えへへ、お姉ちゃんですかね」
「お前はペットだな。自分の尻尾を追い回るアホ犬だ。盗っ人にも尻尾を振って餌を貰いに行く様な奴だ」
「なんですかそれー! 酷いです! それに私は猫派です! せめてラグドールみたいな猫ちゃんにしてくださいよ!」
「ペットは否定しないのか……。それにラグドールは穏やかな性格で賢いんだぞ。正反対じゃないか」
ミューズはそれを聞いて「へぇー、やっぱり私みたいじゃないですか」などと宣っていたので、エミールは早々にため息一つ、話を打ち切った。
眼前では三角帽子を被り、片側の肩にマントを引っ掛けた男性が大股で通りを闊歩して行くのが見えた。
見える人影は疎らで、本当に収穫祭などあったのかと疑いたくなるが、人々の顔色が幾分か明るいので、実際にあったのだろう。
「ん……? なんだあれは」
「どうしました?」
エミールが路地先に異変を感じ、目を細めると、ミューズがエミールの頭を押し下げるようにして覗き込んだ。
脳天にミューズの顎が突き刺さっており、すこぶる痛い。
「あそこだけやたらと人が少ないのが気になってな……。というより、さっさとどけ、重い」
「女性に重いなんて言っちゃ駄目ですよ。
あー、あれは獣人の方を避けているからですね」
「獣人?」
「動物の特徴を持ち合わせた人種のことです。あれは白狼族ですね」
「ほう」
改めて目を凝らしてみると、確かに動物の特徴を持っているようだった。見た目はただ毛深いだけの人間に見えるが、耳の位置が頭上にある。ミューズは獣人と言っていたが、姿形は人間に似ており、それほど差異は無い。
しかし、格好は異民族といった感じで、とても貴族街を彷徨くような服装には見えない。
「獣人とはまたファンタジーなものだな。それで、彼奴はあそこで何をしているんだ?」
「収穫祭の時期は貴賤なしに門が開かれるのですよ。その為、ああやって他所から来た獣人の方が貴族街に迷い込むことがあるんです」
「迷い込んだにしては落ち着いているようだが……」
観察を続けていると、その獣人は徐ろに鞄から笛を取り出し、吹き始めた。周囲の人間も気づいたようだが、奇妙な物を見るようにして脚を止めずに去っていく。
「オカリナか……? ミューズ、窓を開けてくれ。音を聴きたい」
「はいはいっと。あれはオカリナではなくて、白狼族が扱う伝統的な楽器、ウカルですよ。オカリナに似ていますが、少し音色が違います。アナザステラ特有の楽器ですね」
ウカルと呼ばれる楽器はオカリナに似ていたが、元となる材質のせいか、少し音が硬く感じられた。しかし音量は大きく、音がよく通るので、雑踏の中での演奏ならば適していると言えた。
「なかなか良いな。それにしてもミューズが広めたもの以外にも楽器があるのか……」
「どちらかと言うとウカルのような楽器の方がこの世界のオリジナルですね。中でも獣人を中心に広まっているそうです」
「そうか……。ならば近いうちに獣人の元に訪ねないといけないな」
新しい楽器、未知なる楽器となると一度は見ておきたい。エミールがわくわくしていると、ミューズは困ったように眉を顰めた。
「うーん、それは難しいかもしれません」
「何故だ?」
「獣人って嫌われているんですよね。早い話、差別されているんです。数が圧倒的に少ないので、戦争には及んでないですけど、不仲であるのは確かです。そんな獣人に会うなんて、たぶん過保護なご両親が許してくれませんよ。
同じ言語を操るし、人間と殆ど変わらないのに、なんで嫌うんでしょうねぇ」
ミューズは抜け抜けと言い、エミールは彼女の馬鹿さ加減に頭を抱えた。
「お前はやっぱりアホ犬だ。差別されるに決まっているだろう」
「え、えー? 何故ですか?」
「前世の地球では肌の色が違うだけで差別されてきた歴史があるだろう。人と違うということは、それだけで差別の対象になるのだ。そもそも呼び名からして人間と獣人、と変えているだろう。ここにお前と人間の差異がある。
お前は人種として区別しているだけだろうが、人間は違う。呼び方で差別化しているんだよ。少なくとも、彼らを同じ人間としては見ていない」
「そうだったんですか……。獣人は奇跡が複数回重なった上に生まれた種なんです。人間よりよっぽど貴重な種なんですよ。それなのに虐げられるのは可哀想です……」
「そうだと思うなら今後、力の使い方を間違えるなよ。これはお前の責任でもある。もちろん人間のせいでもあるがな」
「はい……」
ミューズを叱っている間に、獣人の演奏は終わってしまったようだった。全て聞けなかったせめてものお詫びに、とエミールは獣人に届くように大きな拍手を送った。
獣人はそれに気づくと、気待ちのいい笑顔でそれに応え、一礼して去って行った。