とあるモブの(自称)侍女の一日[午前編]
《AM5:00》
――――――
侍女の朝は早い。
午前五時前には起きなければならない。どんなに眠くても、だ。
と、いっても、私の場合、ちょっとした裏技がありますので、朝が辛いと思ったことはありませんが。
私はベッドの下から這い上がるように起き上がると、そのベッドの上ですうすうと寝息を立てている主の顔を眺める。
いつ見てもあきない顔ですね。その顔を見るだけで安らぎます。
っと。主の顔に見蕩れている場合ではありませんでした。主が起きる前に準備しなければいけないのに。
床に落ちているゴミを拾い、あらかじめ持ってきた小さな袋の中に入れたあと、洗面所に行って、洗剤や石鹸の量を測る。
なるほど。昨日は石鹸2.2g洗剤は……使っていないようですね。ということは、今日帰ってきてから洗濯のようですね。わかりました。
仕事を終えると再度寝室へと戻り、ベッドの上、主を跨がるように座る。この際、体重を主にかけないようにして、主が起きたときのポーズを決めます。どうすれば顔を真っ赤にしてくれるか、主の研究は侍女にとって必要不可欠なのです。
そうですね。……今日はこの体勢にしましょうか。
主のお腹に両手を当てるように置き、主が起きたらすぐ、谷間が見えるように前屈みになる。表情はミステリアスをイメージさせるかのように目を細くし、唇に意識を向けやすいように顔の角度を調整します。
今日も完璧です。
だから、今日こそは――
主のお腹にほんの僅かに体重をかけると「うっ」と少し苦しそうな呻き声とともに、ゆっくりと主の瞼が上がる。
そして、互いに数秒、視線が絡み合うと。
『なぜここにいる?』
と聞かれる。相変わらず美しい声を持っている。その声を聞くだけで天にも昇る気持ちになります。なので、照れ隠しの意も込めて。
「なぜって私達は結婚しているからですよ、エリク様」
そう言って、お目覚めのキスをしようと顔を近づけようとしたところで、力任せにベッドから押し出され、私の主――エリク様はギルドに向かう準備を始める。
不思議とまったく悲しい気持ちにはなりません。むしろそれは、喜び、安心を感じさせてくれる。
身支度を整えるエリク様を見ると、自然と笑顔が溢れてしまう。それは私らしくないとわかっているのに。
――あぁ。
幸せな一日が今日も始まるのですね。
《AM6:00》
――――――
エリク様とともにギルドに向かうと、エリク様はいつも決まった受付に向かいます。
とある女性受付がいつもエリク様の対応をして、その間に、私がギルドの奥でその女性従業員と同じ制服に着替えます。
その時間、5秒。
私にとって、ほんの一時でもエリク様の近くにいないことは恥です。
ずっと私だけを見てくれたらどんなに嬉しいことか。しかし、そんなことが夢物語であることくらい、私でも知っている。
エリク様にはエリク様の生活がある。
エリク様にはエリク様の守りたいものがある。
エリク様にはエリク様の想いがある。
私だけに目が向けられることなんて、例え奇跡が起こっても起こりえない。
エリク様が誰か一人だけを見つめるということは、エリク様の時間を永遠に奪うことと同義である。
そんなことはあの女性達だって望んでいないし、当然私も望んでいない。
私達は、エリク様に振り向いてもらいたい。
しかし、それだけでなく、エリク様の邪魔をしたくない、という思いも一緒だ。
だから、私はエリク様を見続けるのです。
エリク様の代わりに、私の時間を犠牲にする。エリク様に代わって、私がエリク様を見つめていこうと決めた。
しかし、いつしかそれは私にとって犠牲ではなくなった。
ずっとエリク様を見続けたおかげで、いろんなことが見えてきました。
「それは一生を誓ってありえませんよ、エリク様」
『――だから心を読むな!』
今ではこうして、顔を見るだけで、何を考えているか読み取れるようになりました。
エリク様のお役に立ちたくて。
何度も観察し続けたことで身につけたエリク様のための技能。
でも。
「エリク様、私がそのようなことをすると思っているんですか?」
『思ってるよ! 逆に、思わない方がおかしいんだよ! それと、俺の心を読むな!』
その技能を身につけたところで、どれだけ私がエリク様を慕っているのか。
エリク様がそれを読み取ってくれないことを、読み取れないことを、少し寂しく思ってしまうのは、私の時間だけでは足りないほどの器だからなのでしょう、エリク様は。
《AM7:00》
――――――
仕事を受諾したエリク様を受付から見送っていると、エリク様はそのままギルドを出て、真正面に建っている新しいギルドの中へと入っていった。
話によると、向かいに建つギルドはエリク様のおかげで作られたのだという。
さすがエリク様、と思うと同時に、そこのギルドマスターが羨ましく思う。
プライベートでもよく一緒にいるのを見ている。
仲良く町を歩いて、エリク様のブレーキ役になっていたり、反対に、エンジン役になっている。
その二人を見るといつも羨ましくなって、ついついエリク様をからかってしまう。
私は不本意ながらいつもエリク様に嫌がられる役だ。
わかってはいるのだが、ときには彼らのように笑顔で笑い合いたいときがある。
『おい、ヘイゲル! グダグダ言ってねぇで傭兵としてお前が来い!』
『今日ハ先約ガアルト何度言エバイイ!』
『知るか! 来やがれ!』
私の耳についている盗聴器から活き活きとしたエリク様の声が聞こえてくる。
私が目の当たりにしたことのない、明るい声です。
「ありがとうございました」
私の前にいる冒険者に言っているようで、そうではない。盗聴器越しに聞こえるリザードマンに向けての言葉。
私の知らないエリク様をいつも引き出してくれることへの感謝の言葉。
面と向かってなんて言えない。だって、言ってしまえば、きっとそれはエリク様にも伝わってしまうから。
『ミレアちゃんは好きな人が誰なのか、そろそろ教えてほしいんだけどなぁ?』
「申し訳ございません。そういうことには答えない主義なので」
『ちぇ~』
きっと言ったところで無駄だろう。この人はエリク様のことを知ったところで、すぐに忘れてしまうに決まっています。
エリク様はそういう人なのですから。
『よし! それじゃ、次はオルウェンでも誘うか!』
『誘ウ? 強制連行ノ間違イダロ?』
『は? 何言ってんの?』
そうですか。オルウェン様も一緒なら安心ですね。
冷静な彼ならエリク様が無茶しないようにしっかり止めてくれるでしょう。
エリク様はいつも余計なことばかりして、問題を難しくするきらいがありますからね。
「いってらっしゃいませ」
そう言って私は、ギルドを挟んで、愛しき人の無事を祈って頭を下げるしかない。
私が今、エリク様にできるのはたったのこれしかないのです。
《AM9:00》
――――――
エリク様の仕事の様子を聴きながら目の前の冒険者達を裁いていると、冒険者にしては若すぎる少年がやってきた。
その後ろには、太陽に見間違えるほど黄金に輝く髪を持つ少女が、ひっそりとついてきている。
ジン様にミーシャ様ではございませんか。
エリク様以外にはほとんど興味のない私ですが、それでもこの二人の活躍は嫌にでも耳に入ります。
二人は何かを話し合うと、結論に達したらしく、ジン様が懐から仕事と思われる紙を取りだした。
チラリ、とエリク様の仕事を受領した先ほどの女性従業員を見てみますと、その一列にだけ行列ができています。
あれでは行けませんね。
では、他にいないのでしょうか、と辺りを見渡す。すると、先輩であるフミさんが、猫耳をピコピコしながら寝ているのが見えます。
またギルドマスターに怒られますよ、と心の中だけで忠告したあと、カップル二人に向けて、
「次の方どうぞ」
と、あえて大きな声で言った。
案の定、二人はのこのこと私の下にやって来て、先ほどの紙を私に渡す。
おや、これは……。
その紙に書かれている内容とエリク様が引き受けた内容は違うけども、奇しくも方向どころか目的地までもが同じではないでしょうか。
エリク様はいつも。
『アイツと関わるとろくなことがない』
と、話しているけれど、きっと今回もまたエリク様は苦労なされるのでしょう。
「くすっ」
小さく笑ってしまった私を怪訝な表情で見つめる二人。
あなた様方が何を考えているのかは、エリク様に特化してしまった私には到底わかりませんが、覚えていてほしいものですね。
二人がこれまでピンチをくぐり抜けられたのは、二人の実力以上に、たった一人の力が関係しているのだと。
「仕事を受領いたしました。それではお気をつけて」
『ありがとうございます』
二人が頭を私に下げると、耳元から、
『おい、今何か危険な予感がしたんだが?』
『それはきっと気のせいですよ。私の【危険察知】が感知していませんので』
『ビビッテンノカ?』
という、三人の声に思わず吹き出しそうになるのを堪える。
「頑張ってください、エリク様」
盗聴器に言ったところで、聞こえるはずもないのに。それでも、この言葉が届けばいいのに、と私はいつも思っております。
《AM10:30》
――――――
十時半前になってから、盗聴器から、焦り声や怒りの声、悲鳴が飛び交い始めた。
『ふざけんな! 簡単な仕事って話はどこだ!?』
『どうしてあなたといるとこうも大事件を持ってくるのですか?』
『疫病神ガッ!』
エリク様、もうしばらく辛抱してください。きっと、もうすぐ救世主がそちらに到着するはずですから。
機械越しからでもわかります。エリク様の頑張りが。伝わってきます。
きっとエリク様方がいなければ、その町はほんの数秒で塵と化していたところでしょう。
仕事を捌きながらもエリク様の応援をしていると、ぴょんとデスクの下から子どもが飛び跳ねて顔を出した。
『こんにちは~!』
緑の長い髪をした少女が、無邪気な笑顔を浮かべて挨拶をくれた。
「えぇ、こんにちは」
それに対して、微笑みをもって返します。
本当は子どもに対しては同じく無邪気な笑顔を返すべきなのかもしれませんが、私はそれができません。
エリク様のために作った顔、表情しか、私には作れません。
子どもに羨望の眼差しを向けるのは自分でもどうかと思いますが。
『ミレアさん、今日も頑張りましょう!』
その少女の後ろで、髪の長い少女とは真逆に、赤い短めの髪をした女性がやけにはりきった様子で立っていた。
『別に来なくてもいいんですけどねぇ』
『何ですってぇ!?』
その女性を見た途端、これまで終始笑顔だった女性受付員が明らかな敵対態度を顕わにする。
『私が来ちゃいけない理由なんてないでしょう!』
『ありますよ。私の仕事の邪魔です。笑顔でいられません』
『はん! それはシルヴィ! アンタの仕事の情熱が低いからでしょ。それじゃ、エリクに嫌われても仕方ないわね!』
また始まりましたね。
この二人だけがなぜか仲が悪いんですよね。
私の場合。
行動が大胆というか過激すぎて、よく注意をこの人たちからされることはよくあります。
ですが、会っただけで喧嘩とまではさすがにいたしません。
片方の耳からは命の奪い合いが行われているのに、どうして彼女らはこんなにも小さな平和な争いをしているのでしょう。
えぇ、えぇ。
彼女らにとっては、一、二を争うことなのは重々承知しているんですがねぇ。
一時期、王城で仕えていた身としては、この国はなんて平和なのだろうか、と感慨に浸ってしまいます。
ですが、そんな彼女らの下にいつも帰りたいと、帰ってくるのがエリク様。あなた様なのも私は知っています。
ですから私も、そんなエリク様を支えるために、いくらでも嘘を重ねましょう。
「アカシアさん。それより早く料理を作る準備をしませんか? エリク様が帰ってくる前に」
『そうね! こんな争いをしている暇はないのよ。誰かさんとは違って!』
『わたしも作る~!』
『リンちゃん。こんな人達の手伝いはいけませんよ』
なかなかひどいことを言いますね。
私これでも、ちゃんと料理できるのですが。
ついつい面白半分で媚薬をほんの少し入れてしまうだけ。
それに、アカシアさんの料理を何とか食べられるくらいにまで、レベルを下げているのは、実は私なんですよ?
それに気付かないエリク様を見ては、楽しむ私をエリク様はどう思っているのでしょう?
本心を聞きたいですね。




