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会社帰りに読む怪談  作者: 怒れる布団


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11/11

11夜、バリウム検査、異常なし

 バリウム検査、異常なし


 健診センターのイノセ医師は、薄暗い操作室でモニターに映し出された透視画像を見つめていた。


 画面には、バリウムで白く浮かび上がった患者の胃が映っている。


 隣では放射線技師が座り、検査台の操作を確認していた。


「では、右を向いてください」


 イノセ医師はマイクのスイッチを押し、検査台の患者に指示を出す。


 しかし、胃の形は変わらなかった。


「右ですよ。もう少し身体を回してください」


 けれど反応がない。


 イノセは小さく息を吐いた。


 患者は四十代の男性だ。耳が遠いなどはカルテには書かれていない。


「聞こえていますか? 右を向いてください」


 少しゆっくりと言ってみたがそれでも患者は動かない。イノセは少しだけ苛立ってもう一度、発しようとした、その時、


 胃の上部に、妙な影が映った。


 不自然な凹凸。


 バリウムの付着不良だろうか。


 イノセは画像を拡大し、目を凝らす。

 すると胃壁が、内側に押し込まれていた。


「……何だ、これは」


 その部分には、二つの窪み、『目』があった。


 その下には鼻筋のような盛り上がりがあり、さらに下には、歯をむき出しにした口があった。


 まるで白い仮面のような『顔』だった。


 胃の中に何かが入っているのではなく、胃袋の外側から、誰かが顔を押しつけているように見えた。


「先生……これ、何ですか?」


 技師も目を見開いて画面を見つめている。


 質問にこたえられずイノセは撮影条件を確認するが問題はなかった。


「……今度は左を向いてください」


 訳もわからず、マイクで患者にそう告げると、胃の形がわずかに変わった。


 けれど、『顔』は動かない。


 いや、違う。目の部分が、さらに深く沈み込んだように見え、イノセは息を呑んだ。


 モニターの中で、口がゆっくりと動いた。


【見たな】


 声は聞こえない。


 だが、何を言っているのかが、はっきりと分かった。


「先生、今の……」


 技師は小さく呟いた。


「何か、見えたのか?」


「いえ……でも、今のは……」


 二人は黙ってそのまま画面を見つめ続けた。


『顔』は笑っていた。


【コイツは今朝、皿を食ったんだ】


 今度は、頭の中に直接声が響いて、イノセの背中に冷たい汗が流れる。


「先生、この患者さん、おかしいんじゃ……」


 技師が言いかけた、そのとき。


『先生……』


 患者の声がスピーカーから聞こえた。

 それは震えていて、泣いているようでもあった。


『お願いです。助けてください。ずっと、こいつがいるんです。私の身体に……』


 その時、画面の中の『顔』が、歯をむき出しにした。


【喋れるようになったからって、いい気になるな】


 そんな言葉が聞こえた。胃壁が大きく波打つ。それでも患者は黙らなかった。


『もう嫌なんです……俺の身体、自分で動かせないんです』


 技師は、青ざめた様子でイノセを見た。


【黙れ!】


『顔』が怒鳴ると、患者の声が途切れた。


「か、彼を助けなければ……」


 イノセは立ち上がり、検査室へ続く扉に手をかけた。


「先生、待ってください!」


 技師が、とっさにイノセの腕をつかむ。


「どうするつもりです……?」


 技師の問いにイノセの手は震えた。


 振り向けばモニターの中ではあの『顔』が自分を睨みつけているのが見えた。


【どうする?】


『顔』が確かにそう言った。


 イノセの手から、ゆっくりと力が抜ける。


 やがて席にもどってマイクを取った。


「……検査は終了です。台から降りてください」


 モニターの『顔』は、もう見えず、胃は、正常な形に戻っていた。


 技師も何も言わず席についた。


 検査台から降りた患者は、静かに検査室を出ていった。


 二人の間に沈黙が流れる。


 その時。


 ガチャリ。


 突然、操作室の扉が開く。


「うわっ!」


 技師は椅子から飛び上がり、イノセも驚いて振り返る。


 扉の隙間から、先ほどの患者が顔を押し付けるようにのぞかせていた。


「先生」


 かすれた声だった。


「タスケテくれないんデ…カ……?」


 途中から、声に別の何かが混じったようだった。


 男の目は、血走っていた。


 イノセは、返事ができない。


 膝がガクガクと震えた。


 けれど、その腹の辺りで、検査着が内側から、一瞬だけぐにゃりと盛り上がり、患者は、とっさに腹を押さえ、顔を伏せた。


「ううぁ……」


 小さな呻き声を上げる。


「……だ、大丈夫ですか?」


 イノセが恐る恐る声をかけると、患者は顔を上げた。


 その顔は胃壁に浮かんでいた顔と同じように、口元を歪めて笑った。


「……もう胃は無くなったみたいです」


 足音が、廊下を遠ざかっていく。


 技師は呆然と、患者が去っていった扉を見つめていたが、やがて、小さく口を開いた。


「……先生、気づきましたか?」


「……何のことだ?」


 技師は一度唾を飲み込んだ。


「あの患者さん……肝臓がなかったんです」


「は……?」


 医師は持っていたカルテを落とした。


「先生は、胃しか見ていませんでしたよね……」


 技師は、それだけ言うとそのまま黙りこみ、カルテを拾って部屋を出て行った。


 イノセはそのまま、長い間、椅子に座っていた。


 やがて、検査結果の入力画面を開く。


 所見欄にカーソルを合わせる。


 指先は、震えていなかった。


『異常なし』


 暗いモニターの隅で、白い歯が一瞬だけ光ったように見えた。


 その日、健診センターで処理された検査結果は、すべて正常だった。

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