第208話 魔族との晩餐 下
クレア氏の先導のもと、屋敷の二階にある食堂へ通される。
王国の伝統様式に則った、貴族邸宅の大食堂だ。
重厚な雰囲気の中まず目に飛び込んできたのは、十数人が同時に会食可能な長いテーブル。
艶やかに磨き抜かれた暗褐色の天板は大木から切り出した一枚板で、入口から向かって奥側の席に五人分の食器が並べられている。
天井からは三基の豪奢なシャンデリアが吊られており、煌びやかな光で食堂を照らし出している。
食堂の横には厨房とパントリーがあるらしく、食堂の中は美味しそうな匂いが充満していた。
「皆さま、席にご案内いたします」
クレアと、部屋に待機していた給仕たちの案内で席へと通される。
部屋一面に敷き詰められた深紅の絨毯はフカフカで、歩いてもほとんど音がしない。
それどころか分厚い絨毯が部屋の音をすべて吸ってしまうのか、かなりの人数が動き回っているにも関わらず食堂の中は重厚感のある静寂に包まれていた。
席順は、アリスがテーブルの一番奥側。いわゆるホスト席。
彼女から見て右側にアソ氏とドウジ氏で、その反対側――左側が俺とカミラの席だ。
「王国の伝統を感じさせる、素晴らしい食堂だね」
席についたカミラが周囲を見回し、小さく呟き何度も頷いている。
先ほどから思っていたが、彼女は案外、こういう古めかしい内装が好みのようだ。
オルディスに帰ったら、自宅を王国様式に模様替えしそうな勢いである。
……もちろん、それだけではない。
この食堂に入ってすぐ気づいたのだが、この部屋全体に何らかの魔術が施されているようだ。
ざっと見渡しただけでも、防音、保温、調湿、耐火、耐爆などの魔術が確認できた。
いずれも魔術工房に張るような結界魔術だ。
それらが、壁や調度品の模様、絵画などにさりげなく施されている。
こうなると、さすがに見ることはできないが、おそらく壁紙の裏や天井裏、それに絨毯の下の床にも魔法陣が描かれていることだろう。
この食堂は、王国貴族が外国の要人との会食に使うには最高の環境と言えた。
……カミラはそういった魔術的な備えも含め、『素晴らしい』と評しているのだろう。
「さて、と。積もる話もあるだろうけど、まずは食事にしようじゃないか」
アリスの言葉と同時に、俺たちの前に食前酒が配られた。
◇
アソ氏とドウジ氏はベルザール魔王国極東地域の出身だそうだ。
このあたりはかつて『東方』と呼ばれており、数多の魔族たちが種族ごとに分かれ長年争いを続けていた戦乱地帯だった。
そんな戦火の絶えない地域を強引に平定した魔王国は、東方の有力な魔族たちを魔王軍に取り込みどんどんと軍事力を増強していった。
三十年ほど前のことだ。
そんな東方出身の魔族たちの中でも、鬼族は飛び抜けて戦闘能力が高い種族だった。
彼らは魔王国では王国でいうところの重装騎兵のような立ち位置で、先の大戦でも数千人規模で戦力が投入されたと聞く。
それゆえ王国軍兵士や騎士たちの中では、鬼族は特に恐れられた存在だったが……中には、その強さと勇猛さに尊敬の念を抱いた者たちもいた。
クロディス家の先代当主……アリスの親父殿もその中の一人だ。
親父殿は戦場で剣を交えたとある鬼族の男と交誼を結び、戦争が終わったあともたびたびクロディス家に招いては模擬戦に興じたり夜通し酒を飲み交わしたりしていたそうだ。
そして、その男こそがアソ氏の父親であるオンラ氏だそうだが……その縁がアリスに受け継がれ、こうしてアソ氏とその夫のドウジ氏が王国までやってきたということだった。
「さて……兄さま、カミラ殿。そろそろ本題に入ろうか」
アリスがそう切り出したのは、皆がメインディッシュを食べ終え、デザートが運ばれてくるかという頃合いだった。
「アリス殿。それについては、私から直接お話したくございますが……失礼」
テーブルの向かいに座るアソ氏が姿勢を正してから俺を見た……が、少しだけ視線を泳がせてから、視線を手に持った空のグラスへ落とした。
「もし、給仕のお方」
そこでアソ氏が背後で待機していた給仕の女性を呼んだ。
「少し喉が渇きました。お手数ですが、何か飲み物をお持ちいただけますでしょうか?」
彼女は丁寧な口調で給仕に申し付ける。
給仕は頷くとすぐにワインボトルを持ってきて、アソ氏のグラスに静かに注いだ。
「ありがとうございます」
彼女は給仕に微笑みかけたあと、すぐに俺に向き直った。
「ブラッド殿、失礼いたしました。お話が長くなるゆえ、少々口を湿らせておきたく思いまして」
彼女は微笑むと、そのままグラスを手に持って――
バリン、とグラスが砕けた。
テーブルにワインがこぼれ、アソ氏の服が濡れてしまう。
「あっ……」
「!?」
全員が息を呑む。
すぐに給仕とともにクレア氏が飛んできて、アソ氏のテーブルにこぼれたワインと割れたグラスを片付け始めた。
「アソ様、お怪我はございませんか!? すぐに換えのワインをお持ちいたします」
「申し訳ございません。私に怪我はございませんが、グラスを壊してしまいました。アリス殿、この度は大変な粗相を……」
アソ氏が申し訳なさそうな顔でアリスに頭を下げる。
だがアリスは鷹揚に手を振って、微笑を浮かべただけだ。
「気にしないでくれ、アソ殿。……食堂の弱体化魔術だけでなく、そのグラスも鬼族の握力でも割れないよう、あらかじめ魔術で強化させておいたんだけど……君の力を見誤っていたようだ。こちらこそ申し訳なかったね」
そう言ってから、アリスが俺の方に顔を向けた。
「兄さま。これが兄さまに依頼したい理由の一つだよ」
「……なるほど。だいたいの事情は把握した」
俺はすぐさま頷いた。
つまりは、自分の身体能力を弱体化させる聖剣が欲しいというわけだ。
確かにさっき彼女と握手した時に感じたが、彼女の握力は尋常でなかった。
あれでも相当に手加減していたのは、これまでの彼女の態度から分かる。
もしかしたら、先ほどの応接間も魔族の身体能力を低下させる魔術を張っていたのかもしれない。
だが、疑問はある。
「もちろん、依頼を受けることは吝かではない。だが……聖剣は相応に高価だ。単に弱体化の魔術を施すのならば、別に俺の聖剣である必要はないように思える。例えばペンダントやタリスマン、それに指輪のような形状の方が使いやすいんじゃないか? そうであれば、魔道具師の仕事になる。腕のいい者を紹介できるが、どうだろうか」
そんな俺の問いに、アソ氏が小さく首を振った。
「もちろん、その可能性は探りました。ですが、この怪力は単に魔術で力を弱めればよい、という性質ではないのです」
「……詳しく聞かせてもらえるだろうか」
「はい。……生来、私は普通の鬼族よりも力が強く生まれました。それは戦場にあっては『戦姫』と呼ばれ、齢が十二を数えるときにはすでに横に並び立つ者なき無双の強者と称えられておりました。……ですが」
アソ氏がぽつりぽつりと続ける。
「この無双の怪力は大変気難しい性質を持っていることが、すぐに明らかになりました。戦場のような気持ちが昂っているときは安定しているのですが、平時は時や日を選ばず、急激に力が強まったり弱まったりと非常に不安定になるのです。……そして力の制御は、歳を取るごとに困難となっているのです。先日はアリス殿のご紹介で高名な魔術医に診て頂きましたところ、あと一年もすれば……私はこの怪力を全く制御できなくなるとのことでした。頭はハッキリとしているのに、身体はどんどん化け物になってゆく。これほど口惜しいことがありましょうか」
「…………」
「今、私のお腹にはドウジとの子がおります。もうあと一年ほどで、生まれてくることでしょう。……ですが、このままでは到底我が子をこの腕に抱くことは叶いません」
彼女は震える声で言い終わると、衣服の裾で目の端を拭った。
隣に座るドウジ氏が無言で彼女の肩を抱く。
「兄さま。そういう訳で、ぜひともこの依頼を受けてもらえると嬉しいな。……僕からも頼むよ」
アリスは彼女たちの様子を眺めてから俺の方を向き、微笑とも苦笑ともつかない表情でそう言った。
……彼女もかつての戦場では『勇者』と称えられた英傑だ。
生まれ持った常人ならざる身体能力。
十三の子供には明晰すぎる頭脳。
魔族や魔物の軍勢を前にしてなお怯まない胆力。
冒険者や傭兵として生きていくのならいざ知らず、平和な世の貴族として生きていくにはあまりに強すぎる力だ。
もちろんその力ゆえクロディス家の家督を譲り受け、王国有数の大貴族として国内外にその影響力を及ぼしているのは確かだろうが……それまでに、様々な葛藤や苦労があったことは想像に難くない。
それを思えば、アリスが彼女たちに俺を紹介した理由が分からないでもなかった。
「ブラッド殿。どうか私たちに聖剣をお授けください」
「ブラッド殿。俺からもお願いいたす。どうか、我が妻のため聖剣を打ってはくれないか」
テーブル越しに、アソ氏とドウジ氏が深く頭を下げた。




