4:事故敷地――これまでの曰く その壱『一軒家』
【文字数】4028字 【推定読了時間】約9分
奇妙な家がある。
広々とした造りの二階建て。
家だけ見れば、なんの変哲もない一般的な住居だ。
しかしこの一帯をマップアプリで見れば、おかしいのはすぐにわかる。
このあたりは行楽地になるような風光明媚な土地で、山々に囲まれた盆地には各種宿泊施設が点在し、商店や飲食店が軒を連ねている。
そういった街並みから広い公道の一本をなぞっていくと、すぐに丘陵に入る。さらにすこし進むと公道から分かれて細い砂利道が延びていて、その果てにこの家がある。
静かな林の一角で、周囲は平地、すこし歩けば川遊びができるような沢があった。
そんな場所に家が一軒ぽつんとある。
つまり、リゾートタウンに広く好立地が余っている。
高級旅館やホテルでも建ちそうなものだが、しかし手つかずのまま、家が一軒あるだけ。
地形に問題があるわけではない。交通の便が悪いわけでもない。
しかしこの家のほかにはなにも無い。
それどころか、このあたりを航空写真で見ればだいたいが林の緑に染まっているのだが、この家のぐるりだけ土色をしている。
草木が生えていないのだ。
誰かが抜いているわけではない。整備している人はいない。
この家には長らく誰も住んでいないのだ。
そのはずなのだ。
数年にわたり放置されていたというのに、しかしこの家の周辺だけ、何者かがいまも整備を続けているかのように、あるいは日光が何かに遮られでもしているかのように、木は生えず、雑草さえ芽吹かない。
遥か昔に遡れば、実のところ、このあたりにも建物はあった。
しかしどれも取り壊され、土地も放棄されて――この家の周辺を除いては――いまや自然に帰っている。
なぜそうなったのか。
それには曰くがある。
この一軒家を建てたのは、ある金持ちのご隠居だ。
終の棲家にするべく建てたこの家は、中流家庭で育った彼の、その生家がモデルになっている。だから派手なところがない。ただし延床面積だけで百坪近く、どの部屋も広々として、書斎などが加えられてはいたが。
家が建ってすぐに老人は移り住んだが、しかし間もなく、体を悪くして入院した。
見舞いに来る家族、なかでも家を相続することになる長男には殊更に「あの家には決して近づくな」と警告したという。しかしその理由を問うとなると口を濁してしまって、とうとう具体的なことは語らないままに亡くなった。
はっきりとは語らなかったが、ただ、生前は豪胆であった父がなにか恐れているようだったのが印象に残っていて、だから私たちはあの家に近づかず、すぐに売ることにしたのです――と長男は語った。
その老人が恐れたこの家、そしてこの土地を調べていくと、この家が建つ以前にある事件が起こっていたのがわかる。
以前にこの土地に建っていたのは西洋かぶれの屋敷だった。
現存する一軒家よりも大きな屋敷だ。
住んでいたのは若い夫婦と幼い娘がひとり。
ここで起こった事件のあらましは容易に知ることができる。警察の公式発表をはじめ、夫婦の知人友人や家政婦に取材された内容が、当時の新聞や雑誌で記事にまとめられているからだ。
異変は飼い猫から始まったという。
凶暴になり人を傷つけるようになった。
捕まえようとしても逃げ、いなくなったかと思うと、ふと、キッチンに現れるという。
ことに娘はひどく怖がって、たとえ猫の姿がなくても、大人がそばにいても、キッチンには絶対に近寄らなくなった。
やがて猫は捕まった。
動物病院で診せたが病気や障害は見つからず、理由はわからずじまいで猫は処分された。
ことは収まったかと思えたが、ほどなくして娘が消えた。
数時間後に発見されたときにはすでに娘に息はなかった。
死因は急性心不全。
ではその原因はなんだったのかというと、まるでわかっていない。
しかも発見された場所が、娘が絶対に近づかなかったはずの、キッチンの、床下収納だった。そこで丸くなって死んでいたという。
謎だけを残して、娘を失った夫婦は早々にこの土地を去り、その後の消息は知れない。
さらに過去を遡ると、また別の建物があったとわかる。
そこでも人が死んでいた。
少女が死んだ屋敷が建つ以前、そこには長らく廃墟が残されていた。
屋敷よりも大規模な、かつては高級旅館だったものだ。
当時、旅館の廃業後すぐに解体作業が始められたのだが、不幸な事故が連続して中断と再開を繰り返すことになった。廃墟で幽霊を見た、妙な音を聞いたという作業員はすくなくなく、そんな怪談話はやがて解体現場の外にまで広がってしまう。当初の解体業者は手を引き別の解体業者に変わったが、状況は変わらず頓挫した。
幽霊がどうのという悪い噂や、旅館で起こった事件の記憶が風化するのを待って、それから事情を知らない新たな解体業者に頼んで更地に戻したから、次の屋敷が建つまでにかなりの時間を要することになったのだ。
そもそも高級旅館が廃業になったのは、殺人事件が起こったからだった。
無理心中である。
経営者の男が妻と幼い娘を殺して自害した。
経営者の親戚筋の弁では、彼は無理心中など起こすとは思えないような為人だったというが、事件の数ヶ月前から性格を変えていたという話もある。
まるで取り憑かれたようだと囁かれていたそうだが、その根拠は判然としない。たとえば誰かに呪われたとか、怪異に魅入られたとか、土地に障りがあったとか、そういう記録はない。
ただ旅館を建てるにあたって大量のごみを片した、という経営者の日記は残されていた。とくに粗大ごみが多く、だが新しく持ち込まれたわけではないようで、どれも年代を感じさせるものだった。それらが自然に帰りきらずに残ったのだろう。また、雑草は繁茂していたが育った樹木はなく、そこかしこに家の基礎の朽ちたようなのが見つかったことから、以前には小さな村があったのではないか、という憶測も書き記されていた。
――『村』。
たしかに集落があってもおかしくはない充分な面積に、すぐそばに川もある。だが村があったという記録はない。高級旅館が経つ以前の公式記録は一切ないのだ。人々の生活の痕跡だけがあって、国の登記簿にはなんの記録も残されていなかった。
土地の歴史を遡っていけば、こういった曰くがあるのがわかる。
この土地には、記録されるだけでも、これだけの因縁が積み重なっているのだ。
話をここ数年に戻すと、現存する一軒家を建てた老人が亡くなったあとには、相続が一度あって所有者が変わって、すぐに土地が上物付きで売りに出されている。だが年々と値が崩れているのに、まるで目に見えないかのように誰も寄りつかないでいた。
それがつい三年ほど前、所有者が移った。
ある小金持ちが買い、そのドラ息子が道楽で使っている。
このドラ息子というのが酔狂で、津々浦々の心霊スポットを巡って動画にして配信するという趣味に興じていた。
そのドラ息子というのが、Bである。
最初の動画を投稿したのは、Bが高校生のときだ。
友人とともに自殺の名所の吊り橋を深夜に渡る、という内容で、友人同士でシェアするために投稿された。
心霊動画としてはありきたりだったが、素人の動画としてはそれなりに視聴回数を稼いだ。
というのも、Bは小学生の頃からショートフィルムを自主制作するなどカメラの扱いに慣れており、加えてBがオカルトに造詣が深くそれらしいセリフを喋ったり解説したりで、動画の出来が即席にしても上々だったのだ。
それに味を占め、Bは動画配信者になった。
それを理由に美大に進学し、あまつさえ曰く付きの物件を親に買わせた。
この土地の歴史――曰くについても調べあげていて、ドキュメンタリー風に編集して動画にし、すでに投稿している。
所有してからおよそ三年、今日に至るまで怪奇現象を撮影するために家の外にも内にも定点カメラをつけているが、まだ成果はない。
毎週短い料理動画を撮って配信しているが背後で冷蔵庫が勝手に開いたりはせず、視聴回数も伸びない。
よく云われるように怖いのはむしろ人間らしい。熱狂的なファンだか過激なアンチだかはときおり来ているようで、Bの高級なステーションワゴンのフロントガラスに手形をつけていったりする。
元から心霊スポットとして知られ、実際殺人事件が起こっているのだから、住所を特定するのは難しくないのだった。
幸いBはまだ人に襲われずに済んでいる。
彼は大学に通うのに勝手のいい別のマンションを持っていて、そこが生活基盤になっているから、この家は動画制作のスタジオとしてしか使われておらず、ほとんど休日にしか滞在しない。
そもそもあまり来ないから人に遭遇しないのだ。
幽霊については言わずもがなである。
人には襲われたくはないが、顕著な怪奇現象が起こらないことについては、Bは肩透かしを食らったような気になっている。
Bは不満足だった。
いつもそうだ。
ささいな物音とかさっと過ぎ去る人影とか空気が重いとかではない、明らかで劇的で、人知の及ばないほど不可解な怪奇現象が起こってほしかった。
それを撮りたい。
動画にしたい。
そうすれば視聴回数も登録者数も格段に伸びるだろう。
Bはもっと認知されたかった。
すでに投稿している動画にしても、もっと見られていいはず――見られるべきだと彼は思っている。
視聴者や同業者や美大の同級生は動画の視聴回数は多いほうだと言うが、しかし、褒めそやされたとしても、Bの期待にはいつも届かない。
伸びきらない。
あともう一歩が足りない。
この一歩を跳ぶために必要なものはなにか、それをBは模索しつづけている。動画ごとに手を変え品を変え、毎度別種の恐怖を試している。視聴者がどう反応するか、視聴回数がどう変化するかを試している。
これから試すための恐怖のストックは常にいくつもあって、なかには格別の、とっておきの恐怖も準備できていた。
視聴者の度肝を抜く準備はもうすでにできている。
あとはタイミングを待つだけだった。
そしてBの期待通りに――彼にとって幸か不幸かは別にして――この夜、この場所には、新たに曰くが重ねられることになる。