母と兄
家庭教師の日──
あいかわらず、美羽はまともには椅子に座れない。尻を板につけずに、しゃがんだようなおかしな姿勢でシャープペンシルを握っている。
最初の数問は解いたが、すぐにいたずらがきを始めた。菜月が何もいわないのをいいことに、調子に乗って、もう3ページ目。
ぐるぐるぐると、渦巻き模様。それから、何かのキャラクターだろうか。うさぎの耳を生やした少年、空飛ぶ蛸、杖と三角帽子を身につけた髪の長い少女。
「……ねえ、美羽」
少し離れたところでひざを組んで椅子に座っていた菜月は、ロングスカートにのせた革カバー付きの文庫本からようやく目をあげ、ぼんやりと声をかけた。
「はいっ!」
びくんと身をふるわせて、美羽はうつむいて顔を伏せた。けれども、
「……莉子ちゃんとは、あのあとも会っているの?」
問われたのは、別のことだった。
「うん、」
美羽は、ほっと息をついて、小さな顎でこくんと頷いた。
「きのうも会ったよ。」
また授業をさぼって裏山へ行っていたのか、とは口に出さない。
「……そう。なにか言ってた?」
「うん。あなたも魔女にならない? って誘われた」
ぱさり、と音をたてて、菜月の膝から、本が落ちた。古い栞が、ぺらりとフローリングの床に。
「それで……?」
「ねえ、ナツちゃん」
美羽は、きれいなビー玉のような目をくるんと丸くして、菜月の顔を見上げた。
「ナツちゃんも、魔女になってよ。あたし、ナツちゃんと一緒がいいなあ。だめ?」
*
約束の一時間がおわり、菜月は美羽の部屋をでた。美羽は疲れてしまったらしく、ベッドで横になっている。
かわりに、よりこさんが玄関まで見送ってくれた。
「お疲れ様。……あの子、ナツちゃんにはよくなついてるみたい。いつもありがとうね。」
「いいえ。」
菜月は首をふって、ちょっと眉をひそめた。
美羽が、誰かになつかない、なんてことがあるのだろうか。
「わたし、あの子が……、」
よりこさんは、ちらりと閉まったドアに目をやって、声をひそめた。
「あの子が、よくわからないの。昔から、いつもじっとしてないようなところはあったけど。中学生になっても、授業もまともに受けられないなんて……。」
「はァ……」
自分も、中学生のころはあまりまともに授業を受けた覚えはない。宿題など、ほとんどやらずに居残りばかりさせられていた。
いま、そんなことを言ったら、この人は倒れてしまいそうだが。
「……お兄ちゃんは、……なのに。」
なんだろう。よく聞こえなかった。
菜月は曖昧に笑って、高橋の本家を辞した。




