第12章 追跡馬券生活 23
「俺は殺人者だ。行方をくらませ裏街道を歩き、人目を避けて生きるしかない。投資馬券と底辺の仕事をこなすサバイバルの日々を綴ってゆく」
4 愛と欲望と裏切り
その2
「奥さんですか?」
杉田は草野に話しかけた。安藤が暮らす場所へと二人で向かう道のりでのことだ。互いに非番の日に合わせて杉田が自家用の軽自動車を運転した。
「ああ……まあそんなもんかな」
草野は煙草に火をつけて言った。
草野の住処は裏通りにひっそりと建つ今にも崩れそうな、相当に古いアパートだった。玄関から顔をのぞかせた女は酷く怯えたような眼をしていた。青いあざが付いた腕がちらりと見えた。
「内縁のね……」窓を開けて煙を吐いた。
「籍を入れる気はないんですか」
「うーん。訳アリの女だからね」
彼女のことは触れられたくないというのが表情から見て取れた。杉田は話題を変えた。
「どうして俺に、その、父親のことを話したんですか? 普通に考えて、そんなことわざわざ言わなくても良かったんじゃないですか」
気になっていたことをぶつけた。
「知って欲しかったからさ」
「はあ……」
拍子抜けするような返答だった。どうもこの男は得体が知れない、女に暴力を振る舞うようだし……。杉田の思いを見透かしたように草野は続けた。
「あの女もさ、俺の親父と同類なのさ」
「どういうことですか?」
「殺人者だってこと」
「え……?」
杉田はあわてて急ブレーキを踏んだ。信号を危うく見落とすところだった。
「それ、どういうことですか?」
「15の頃だったかな。自分の実の父親がヤクザの親分で、反社会的な人間だってことが分かった時、背中がぞわぞわとケバ立つ感じがしてさ、なんとも言えない高揚感に駆られたよ。そして父親の経歴を調べた時、何人も人を死に貶めているだろうことが分かった。直接自分で手を下したのもあれば、構成員に命じたのもあった。俺はゾクゾクしたよ」
「なんでですか?」
「だってそんなこと普通出来ないじゃん。俺にとって親父はヒーローと言うか、特別な存在だって思うようになった」
「……それで、会ってたんですか」
「一度だけ会ったさ。すでに刑務所にいて、ただのしょぼくれた老人だった。クソだと思ったよ」
「そんな言い方って」
「その時にあんたのことも聞いた。いつかきっと会えると思ってたよ。こんな俺らがさ、クソ広い世の中で警察っていう組織に飲み込まれてるんだからな」
「なんで警察に?」
「言っただろう。俺は殺人者が好きなんだよ。殺人者の傍に行くとさ、どうしようもなくゾクゾクしてさ、熱病に罹ったみたいに胸が熱くなるんだよ。アイドルに熱中するみたいな感じかなあ。警察に入ればそういう奴らにたくさん触れあえると思ったんだよ。そんな気持ちをもっと分かち合いたいのさ。だからあんたに話さずにおれなかった」
杉田は草野という男に地獄の底から湧き上がるような異臭を感じた。そんな思考回路の人間がいるとは……。
「サイコパス……的な感じですか、大丈夫ですかアタマ?」思い切って杉田は釘を刺した。
「イヤだからさ、そういう人間が好きなだけさ。アイドルが好きだからって自分がアイドルになりたいと思うかよ?」
草野は吸いつくしたタバコを窓から捨てた。
「ちょっと、ポイ捨ては」
「非番だからいいんだよ。誰も文句は言わない……ああ、そういえば、あんたの親父はくだらない正義感で」
杉田は左こぶしを草野の目の前に振りかざした。
「やめろッ」
草野は一瞬の早わざに目をむいた。
「ああ……悪かった」
「それで、あの人は? ずいぶん青あざがありましたけど」
「ああ、優香か。まあ……あいつのことはおいおい話すよ」
車内はそれきり沈黙が続いた。
たどり着いた場所はこれまた草野の住むアパートに、さらに磨きをかけたようなボロさの今にも倒れそうな共同住宅だった。
出てきたみすぼらしい男、安藤は何やら慌てていた。
「あ、これはこれは杉田さん。あ、あのう今日は何の御用で?」
草野と杉田を交互に見て怯えている。
刑事の直感が働いた。
「何か都合の悪いことでも?」
言うと同時に二人は部屋の中へ踏み込んだ。
足の踏み場もない狭い部屋の真ん中に、しわくちゃの老人が虚空を見つめて正座していた。
続く




