罠
昼食を食べた後、山下の指示により全員が寮へと戻された。自習とのことである。
自習と言われても、いったい何をすればいいのだろう。テレビを観ていたら、怒られるのだろうか……そんなことを思いつつ、仕方ないので人道学園のパンフレットを見ていた。
と、そこで先ほどの会話を思い出した。
(この学園は、デボン共和国と深い繋がりがあるようなのですよ)
先ほど、灰谷が言っていたことだ。
念のため、パンフレットを隅から隅まで見てみた。しかし、デボン共和国のことはどこにも書かれていなかった。写真もチェックしたが、それらしき外国人の姿などない。
これは、どういうことなのだろう。
その時、ドアをノックする音が聞こえてきた。
開けてみると、見知らぬ若者がいる。ジャージ姿で、年齢は二十歳前後だろうか。髪は短く、頬がこけている。ただし、目には異様な光が宿っている。
若者は、その怖い目で天城を正面から見つめ、口を開く。
「あのう、君が天城光一くんだよね?」
「はい、そうですけど……」
そうとしか言えなかった。いったい何者なのだろうか……と考える間もなく、若者は天城の腕をつかんだ。
「ちょっと来てくれるかな。山下先生に、大至急つれて来るように言われたんだ」
「えっ、僕をですか?」
いきなりの行動に、天城は目を白黒させながら尋ねた。
「うん、そうなんだ。じゃあ、行こうか」
有無を言わさぬ勢いだ。しかも力は強い。半ば引きずられるような状態だったが、天城はなおも尋ねる。
「ちょっと待ってください。山下先生が、僕に何の用なんですか?」
「さあ、俺は聞いてない。なんかね、プライベートな事情だから言えないんだって」
「プライベート?」
「なんだかよくわからないんだけど、とにかく大事な用なんだって。だから、すぐに来てよ」
言いながら、天城を引きずるようにして進んでいく。その強引すぎるやり方に、天城は困惑しつつも答える。
「わ、わかりました」
男に連れられ、天城は山の中を歩いていく。
「あの、山下先生はどこにいるんですか?」
しかし、若者は答えない。それどころか、歩くスピードがさらに速くなっているのだ。このままでは、見失ってしまう。
「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ! もう少しスピードを──」
緩めてください、と言おうとした瞬間、天城は石に躓いた。バランスを崩し、思い切り転倒する。
呻き声をあげながら、膝を押さえた。だが、すぐに顔をあげる。このままだと、若者の姿を見失ってしまうかもしれない。
その瞬間、愕然となる。若者の姿は、どこにもないのだ──
「す、すみません! どこですか!」
叫んだが、若者はどこにもいない。
「すみません! 僕はここです!」
もう一度叫んだが、応える声はない。姿を現す気配もない。
天城は立ち上がり、周りを見回した。もはや、自分がどこから来たのかもわからない。
完全に遭難してしまったのだ……。
なんだよ、これ?
その時、天城は思い出した。入学早々、急斜面から落ちた。いや、正確には落とされたのだ。
あの時は、灰谷がきてくれた。だが、今回も来てくれるとは……と思った瞬間、後方から草を踏みしめる音が聞こえてきた。
振り返ると、やはり灰谷だった。
「やっぱり、こうなりましたか」
「は、灰谷くん……」
安堵のあまり、天城はその場で崩れ落ちる。本当によかった。もし灰谷が来てくれなかったら、完全に迷子状態になっていた。
「ひとりでは戻れないでしょう。さあ、立ってください。一緒に寮に帰りましょう」
言いながら、灰谷は手を伸ばした。半ば強引に、天城を立たせる。
その時、天城の口から言葉が漏れた。
「これって、どういうことなの……」
「どういうこと、と言いますと?」
「知らない人が、僕を呼びにきた。山下先生が呼んでいる、だからついて来いって言われたんだ。だから、言われた通りについて行った。そしたら、いきなり……」
呟くような口調で、今起きた出来事を伝えた天城。
すると、灰谷はくすりと笑った。
「まだわからないのですか? 間違いなく、あなたを狙っている者がいるのですよ」
その通りだ。灰谷に言われ、ようやく事の重大さが飲み込めてきた。
思わず、大声で尋ねる。
「ね、ねえ! 僕はどうすればいいの!?」
「さあ、どうしましょうかね」
灰谷の返事は呑気なものだった。どうでもいい、と思っているらしい。
天城は顔を歪める。
「そんな! 他人事だと思って──」
「はい、間違いなく他人事ですよ。あなたは、僕にとって他人です。そのあなたに何が起きようが、僕にとっては他人事です。違いますか?」
灰谷の言葉は間違いではなかった。しかし、その正しさが逆に気に入らない。天城は、なおも喚き散らす。
「じゃ、じゃあ、なんで僕を助けてくれたの!? 他人事だなんて言うんだったら、助ける必要なんかなかったじゃないか!」
その時、灰谷は溜息を吐いた。
「呆れた人ですね。助けてもらった恩人に、そんなことを言うんですか」
「ご、ごめん」
天城の勢いは消え失せ、すぐに謝っていた。確かに、灰谷の言う通りなのだ。
灰谷は、これまで何度も自分を助けてくれた。そんな人間に、駄々っ子のような感情をぶつけてどうする……。
「ひとつ教えてあげましょう。神は、自ら助くる者を助く……という言葉があります。これを覚えておいてください」
そう言うと、灰谷は学園があると思われる方角を向いた。
「とにかく、今は寮に戻りましょう。このまま山の中にいたら、確実に死にます」
「でも、学園には僕を殺そうとしてる奴がいるんだろ? そんなところに戻ったら──」
「では、このままひとりで下山しますか? そんなことをすれば、待っているのは確実な死ですよ」
その言葉に、天城は黙るしかなかった。確かに、灰谷の言う通りなのだ。
ここは山である。天城には、山歩きの経験などない。ましてや、下山など不可能だ。
そんな天城の心を見透かしたかのような言葉が飛んできた。
「今のあなたには、寮に戻る以外の選択肢がないのです」
「そうみたいだね」
「ひとつだけ忠告しておきましょう。下手に騒ぎ立てると、かえって命取りになりますよ。ここはおとなしく、何も気づいていないバカのふりをして、やり過ごすんです」
灰谷の言葉に、天城は頷いた……が、そこでひとつの疑問が浮かんだ。
「ねえ、君はなんでここに来たの? この学園の何を知っているの?」
「前にも言いましたが、時期が来たら、僕にわかっていることをお話ししましょう。しかし、今は無理です」
「そ、そうか……」
「その代わりに、もうひとつだけ教えてあげましょう。向こうは、あなたを事故死させるつもりのようです。つまりは、いきなりナイフを出して後ろから刺したり、襲いかかり首を絞めて殺すようなことはしてきません。これは断言できます」
「本当に?」
「はい。ただ、あなたが下手に騒いで事を大きくすれば、向こうもヤケになって襲ってくる可能性があります。だから、下手に騒ぐなと僕は言っているのですよ」
そう言うと、灰谷は急に足を早めた。これ以上は話したくないのだろうか。
どんな思惑があるのかは知らないが、このままだとまた迷子状態である。天城もまた、歩くスピードを早めた。どうにか、彼のペースについていく。
思ったよりも早く、学園へと戻ることができた。
その夜、天城はなかなか寝つけなかった。
目をつぶると、様々な映像が浮かぶ。見たこともない男、山の中、そして灰谷……。
(あなたを狙っている者がいるのですよ)
彼に言われた言葉が蘇る。では、誰が狙っているのだろうか?
今のところ、一番怪しいのは山下だ。そもそも、あの急斜面から落ちた時……帰ってきた天城を見る目は異様だった。なぜ、お前が? とでも言わんばかりの様子だった。
山下が、自分を狙っている。
何のためかはわからないが、事故に見せかけ殺そうとしているのだ。おまけに、協力者までいるらしい。
どうすればいい?
わかるわけがなかった。頭の中を、様々な考えが駆け巡る。だが、どれひとつとして確証のないものばかりだ。
そんな状況にもかかわらず、天城は眠りに落ちていった。山歩きで、疲れていたせいだろうか。
天城は、泥のように眠った。




