【番外編】メリーナの恋(後編)〜教官の特別授業〜
「……反省文は書き終わったようだな。今日はこれまで」
ダラス教官はそっと白い手袋越しに私の提出した羊皮紙に触れると、それだけを告げて踵を返し、教室を出て行ってしまった。
残された私は、拍子抜けした心地のまま、しばらくその場に座り込んでいた。
自分の胸にそっと手を当ててみる。
ドクドクと、不規則に跳ね上がる鼓動。少しだけ熱を帯びた呼吸。
あの時、彼が近づいてきた瞬間――何か恐ろしいこと、あるいは甘いことが起きるのではないかと、期待していた自分がいた。
(……っふふ!)
静まり返った教室で、思わず笑みがこぼれた。
今まで同級生の男子たちを子どもっぽいとどこか小馬鹿にしていた私が、まるで初恋に浮かれる初心な小娘のように胸を躍らせている。
あの熱い眼差しは、一体何だったのか。教官が私をどう思っているのか、確かめたくてたまらなくなった。
――けれど、それからの日々、彼との間には教官と生徒という最低限の距離しか生まれなかった。
あの眼差しは私の勘違いだったのだろうか。……嫌だ。あの熱が、私への恋心ではないなんて絶対に嫌だ。
そう思いながらも、持ち前のプライドが邪魔をして、自分からダラス教官へ歩み寄ることはできなかった。
そんなモヤモヤとした気持ちで過ごしていたある日の休み時間。窓の外をぼんやりと眺めていると、
「メリーナ、最近なんだかおかしくない? もしかして……恋?」
ルディウスが唐突にそんなことを言い出した。
驚いて振り向くと、隣のエミルも心配そうに眉をひそめている。
「ルディウス、いきなり何を言い出すんだ。……でも、確かに最近のメリーナ、ぼーっとしてることが多いよな。何か悩みでも頼れることがあれば言ってほしいけど」
二人の観察眼にポカンとしてしまい、私は顔が熱くなるのを感じて両手で頬を覆った。顔に出ていただなんて。
「……うん。実はね、ちょっと気になる人がいて」
思い切ってそう呟くと、二人は身を乗り出した。
「やっぱり! 僕の勘は当たるんだ! いったい誰!? どこのクラスの奴!?」
「えっ!? ホントに!? ……ルディウス、メリーナをあんまり問い詰めるなよ」
あわてる二人を見て、私はクスッと笑ってしまった。
「ふたりとも、気にかけてくれてありがとう。でも、まだどうにもなってないの。……何か進展があったら、一番に話を聞いてくれる?」
「「勿論!」」
二人からの力強い言葉が嬉しくて、心が少し軽くなった。
◇◇◇
しかし、それから何日、何週間が過ぎても、二人の間に特別な変化は訪れなかった。
そうしてダラス教官の特別講義の期間は終わりを告げ、彼が軍本部へと戻る日がやってきてしまった。
やっぱり、あれは私の思い過ごしだったのかもしれない――。
不甲斐なさと寂しさを抱えたまま、あの日二人きりになった空き教室へ足を踏み入れる。
すると、そこには先客がいた。
夕日の中で佇む、ダラス教官その人だった。
視線が交差する。
彼はあの日と同じ、私を射抜くような熱い眼差しを向けたまま、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。
ドクン、と胸が大きく跳ね上がる。
目の前に立った彼は、低く静かな声で切り出した。
「明日、ここを去る」
静寂が二人を包み込む。私は息を呑み、必死に平静を装いながら問いかけた。
「……それで?」
先を促す私をじっと見つめ、ダラス教官は意を決したように言った。
「……君さえ良ければ、卒業後、私の妻になってほしい」
あまりにも急で、あまりにもストレートな求婚。
「……私たち、お互いのことを何も知りませんよね?」
私が目を丸くして尋ねると、彼はどこか不器用そうに、けれど誤魔化しのない誠実な瞳で答えた。
「確かに。……だが、私はずっと君を見てきた。唐突なのは百も承知だ。嫌ならば断ってくれて構わない」
その無骨な誠実さが、たまらなく愛おしかった。
私は返事の代わりに少しだけ背伸びをして、ダラス教官の唇へ、触れるだけの軽いキスを贈った。
「ッ……!?」
あの冷徹な教官が、驚きで目を見張る。
「はい。卒業したら、私はあなたの妻になります。……待っていてくださいね」
私が悪戯っぽく微笑むと、彼は一瞬だけ男らしい笑みを口元に浮かべ、名残惜しそうに教室を後にした。
◇◇◇
その後、事の顛末をエミルとルディウスに報告した時の二人の顔と言ったら!
開いた口が塞がらないルディウスと、泡を吹いて倒れそうになったエミル。思い出しても笑いがこらえきれない。
(ふふ、見ていなさいダラス教官)
これから私は卒業までの間、あの人に相応しい、最高の女性になってみせるのだから。




