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『普通の恋が、したかった。』  作者: vastum


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第37話 夜の通話

金曜日の夜。


文化祭準備が本格化してから、一週間が終わろうとしていた。


朝比奈湊は、自分の部屋の椅子へ座りながら、大きく伸びをした。


疲れている。


かなり。


授業。


放課後の準備。


帰宅後の課題。


全部重なると、さすがに少ししんどい。


でも、不思議と嫌じゃなかった。


むしろ最近は、毎日が妙に充実している。


その理由を考えなくても分かる。


栞だ。


隣の席。


放課後。


帰り道。


文化祭準備。


その全部に、自然と栞がいる。


スマホが震えた。


湊は反射的に手を伸ばす。


『生きてる?』


栞だった。


湊は思わず笑う。


『ギリ』


すぐ既読。


『同じ』


『今日疲れたな』


『かなり』


その短いやり取りだけで、妙に安心する。


最近、疲れた時ほど栞と話したくなる。


たぶん、声を聞くと落ち着くからだ。


『通話する?』


送ったあと、湊は少しだけ止まる。


最近は自然に電話するようになった。


でも、やっぱり毎回少し緊張する。


既読。


少し間。


『する』


その一文字だけで、疲れが少し飛んだ。


数秒後。


着信。


湊は深呼吸してから通話ボタンを押す。


「もしもし」


『もしもし』


電話越しの栞の声。


それだけで、部屋の空気が少し柔らかくなる。


最初の頃ほど緊張しなくなった。


でも、やっぱり少しだけ特別だ。


『今日、ほんと疲れた』


栞が小さく言う。


「背景かなり進んだからな」


『腕痛い』


「ずっと描いてたもんな」


『湊も段ボール運んでた』


「藤堂が働かせる」


電話越しに、栞が少し笑う。


その笑い声を聞くだけで、湊の口元も自然に緩む。


『でも』


栞が続ける。


『今日、ちょっと楽しかった』


「分かる」


本当に。


疲れている。


でも、楽しい。


その感覚が最近ずっと続いている。


「文化祭準備って、もっと面倒だと思ってた」


湊が言う。


『私も』


「でも今、普通に好きかも」


『高校生っぽい』


「またそれ」


『最近ほんとそう思うから』


栞の声は、少し眠そうだった。


たぶん本当に疲れている。


でも、その力の抜けた感じが妙に心地いい。


『湊』


「ん?」


『今日さ』


「うん」


『倉田くんの、“帰りたくない”ってやつ』


「ああ」


『ちょっと分かった』


湊は少しだけ黙る。


それは、自分も同じだった。


最近の放課後は、終わるのが少し惜しい。


みんなで騒いでいる時間。


準備している時間。


そして、栞と並んでいる時間。


それが全部、心地いい。


「俺も」


素直にそう返す。


『なんかさ』


栞が静かに言う。


『最近、学校行くの楽しみ』


その言葉が、ゆっくり胸へ落ちる。


湊は少しだけ天井を見た。


自分も同じだ。


前は、学校なんてただ通う場所だった。


浮かないように過ごす場所。


でも今は違う。


朝、教室へ入るのが楽しみだ。


栞がいるから。


みんながいるから。


放課後があるから。


「……俺もかなり」


そう返すと、電話の向こうで栞が少し笑った。


『よかった』


少し沈黙。


でも、気まずくない。


最近、通話の沈黙にも慣れてきた。


無理に話さなくても落ち着く。


それが、かなり心地いい。


『湊』


「ん?」


『今日、また見てた』


「何を」


『私のこと』


湊は一瞬止まる。


「……見てない」


『嘘』


「そんな分かる?」


『かなり』


またそれだ。


でも今日は、そこまで否定したい気分でもなかった。


『背景描いてる時、ずっとこっち見てた』


「ずっとは見てない」


『たまに目合った』


「……それは」


図星だった。


栞は少し笑う。


『なんで見るの』


その質問に、湊は少し黙った。


なんで。


そんなの、好きだからに決まっている。


でも、まだその言葉は口にできない。


代わりに、少し考えてから言う。


「安心するから」


電話の向こうが静かになる。


湊は急に不安になる。


変なこと言ったかもしれない。


でも、少しして。


『それ、ずるい』


小さな声。


「え」


『なんか、嬉しくなる』


その言葉で、湊の胸が熱くなる。


電話越しだから、顔は見えない。


でも、たぶん栞も少し照れている。


そんな気がした。


『私も見るよ』


栞がぽつりと言う。


「……何を」


『湊のこと』


湊は完全に黙った。


無理だ。


夜の通話でそういうこと言われると、本当に心臓が持たない。


『固まった』


栞が少し笑う。


「仕方ないだろ」


『最近、反応分かりやすすぎ』


「栞のせい」


『責任重大』


その会話が、妙に楽しい。


疲れていたはずなのに、気づけばかなり元気になっていた。


『そういえば』


栞が話題を変える。


『文化祭終わったあと、ほんとに遊ぶ?』


「ああ」


『何する』


「まだ考えてない」


『適当』


「でも、どっか行きたい」


栞は少し考えるような間を空けた。


『私も』


その“私も”が嬉しい。


最近、本当に同じ感覚が増えた。


楽しい。


嬉しい。


また行きたい。


そういう気持ちを、お互いちゃんと言葉にしている。


『湊』


「ん?」


『最近、距離近くなったよね』


その言葉に、湊は少し黙る。


距離。


たしかに。


最初は名前を呼ぶだけで緊張していた。


今は、休日に映画へ行って、夜に通話している。


「……うん」


『変な意味じゃなくて』


「分かってる」


『でも、前より自然』


たしかにそうだった。


隣にいること。


話すこと。


電話すること。


全部、前より自然になっている。


でも。


慣れた訳じゃない。


今でも、ふとした瞬間に意識してしまう。


『今日もさ』


栞が小さく言う。


『ちょっと近かった時、心臓うるさかった』


湊は思わず笑ってしまう。


「また?」


『また』


「俺も」


電話の向こうで、栞が少し笑った。


その笑い声が、夜の静かな部屋に優しく響く。


気づけば、通話は一時間近く続いていた。


時間が経つのが本当に早い。


『そろそろ寝る?』


栞が聞く。


「明日も準備あるしな」


『土曜なのに学校』


「文化祭前だから」


少し沈黙。


それから、栞が静かに言った。


『でも、明日も楽しみ』


その言葉が、湊にはすごく嬉しかった。


「……俺も」


それだけで十分だった。


『じゃあ、おやすみ湊』


「おやすみ、栞」


通話が切れる。


部屋が静かになる。


でも、不思議と寂しくない。


明日になれば、また学校で会える。


隣の席。


放課後。


文化祭準備。


その全部が待っている。


湊はスマホを机へ置きながら思った。


最近、自分は“終わってほしくない時間”をちゃんと持てるようになっている。


そしてその中心には、いつも栞がいた。

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