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美女と野獣の最後の恋  作者: 猫塚ルイ


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第8話

禁忌の森を後にしてからの私は


まるで何かに憑かれたかのように村へと続く獣道を夢中で駆け抜けた。


幾度となく木の根に足を取られ、切り傷が増えても痛みすら感じない。


ただ、胸元に抱えた小さな硝子瓶が、私の肌の熱を吸って、心強い重みを伝えてくる。


これさえあれば、お父様は助かる。その確信だけが私の足を動かしていた。


「お父様……!!お父様、今戻りました……!」


ボロボロになった靴を脱ぎ捨てる間もなく、私は父の寝所へ滑り込んだ。


ルークさんから授かった琥珀色の薬。


その一滴、また一滴を、震える手で父の乾いた唇に含ませる。


すると、奇跡はすぐに訪れた。


あんなに土色に沈んでいた父の頬に、みるみるうちに生命の赤みが差していったのだ。


苦しげだった呼吸は穏やかな寝息に変わり


三日も経つ頃には、父は自らの足でしっかりと立ち上がり


以前のような太陽のような笑顔で私を抱きしめてくれた。


「ベル、お前が救ってくれたのか……っ?医者も見捨てたこの命を、一体どうやって……」


「……奇跡よ、お父様。でも、世界で一番優しくて、寂しがり屋な狼さんがこの薬を作ってくれたのよ」


私は父の広い胸の中で、森に残してきたあの琥珀色の瞳を、図書室の静謐な時間を思い出していた。


約束のスープの材料は何にしよう。


次に会うときは、どんな話をしよう。


森での一週間が、まるでお伽話のような夢心地を帯びて


私の心はもう一度、あの静かな館へと羽ばたいていた。


けれど、私のささやかな幸せを無慈悲に踏みにじる軍靴の音が、すぐそこまで迫っていた。



◆◇◆◇


「……おい、聞いたか? 禁忌の森に棲むあの『狼男』、いよいよ正体を現して暴れ回っているらしいぞ」


ある日、父の快気祝いの買い出しに市場へ出かけた私は


道ゆく男たちが群がって交わす、不穏な会話に足を止めた。


「ああ、バルサス殿が証言していた。自分の配下たちが森で理由もなく襲われ、命からがら逃げ出してきたとな。あの化け物を野放しにすれば、いずれ村も、そしてこの街も襲われるに違いないと」


血の気が引くのが分かった。


心臓が嫌な拍動を刻む。


バルサス叔父様


あの日、ルークさんの圧倒的な威圧感に追い払われた屈辱を


彼は「罪なき被害者」としての悲劇に仕立て上げ


街の騎士団や腕に覚えのある志願兵たちに毒を撒くように言い触らしていたのだ。


「奴はただの獣じゃない。かつて王宮から不当に奪った財宝を、あの館に隠し持っているという噂だ。首を獲れば、一生遊んで暮らせるほどの莫大な賞金が出るぞ!」


叔父様の狙いは、最初からそれだったのだ。


ルークさんの持つ深い知識も、あの美しい館も


そして彼自身の存在さえも「悪」として塗り潰し、武力という大義名分で略奪しようとしている。


「ま、待ってください!その方は、そんな恐ろしい獣じゃありません!」


私は居ても立ってもいられず、男たちの輪の中に飛び込んでいた。


「彼は、私を助けてくれたんです! 薬を作って、私のお父様を救ってくれた……本当はとても慈悲深くて、誰よりも博識で、誇り高い方なんです!」


一瞬、辺りは水を打ったように静まり返った。


けれど、次の瞬間に四方から浴びせられたのは、刃物のように鋭く冷ややかな嘲笑だった。


「おいおい、没落貴族の娘が何を言い出すかと思えば」


「可哀想に。あの恐ろしい化け物に毒でも盛られて、頭がおかしくなったか? 獣が対価もなく人間を助けるはずがなかろう」


「本当なんです! お願い、信じて……! 彼は……ルークさんは、ただ静かに暮らしたいだけなの!」


叫ぶ私の肩を、背後から万力のような力で掴んだ者がいた。


「……ベル。公衆の面前で、これ以上家名を汚すような戯言を吐くのではない」


振り返ると、そこには冷酷な勝利の笑みを浮かべたバルサス叔父様と


数人の重武装した騎士たちが、まるで罪人を捕らえるような目で見下ろしていた。


「騎士団長殿、ご覧の通りです。私の姪はあの化け物に魅了され、正常な判断を完全に失っている」


「彼女のような犠牲者をこれ以上出さないためにも、一刻も早く『討伐』を行い、森の憂いを取り除くべきだ」


「……もはや一刻の猶予もなし、か。これほどの人間に危害を加え、人心を惑わす獣を放置するわけにはいかん。総員、出陣の準備にかかれ! 明朝、夜明けとともに禁忌の森へ攻め込む!」


騎士団長の力強い号令が広場に響き、街の男たちが怒号のような気勢を上げる。


私はその場に、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。


(嘘よ……。こんなの、絶対に間違ってる……!)


ルークさんは、人間に絶望しながらも


それでも静かに一人の夜を過ごしたかっただけなのに。


あの日、彼が月明かりの下で漏らした


「人間は姿が変われば石を投げる」という言葉が重い鉄の鎖のように私の耳の奥で蘇る。


彼はまた、人間に裏切られようとしている。


そして今度は、私が彼と出会い、彼を頼ってしまったせいで、最悪の危機を招いてしまった。


「ルークさん…逃げて、お願いだから、逃げて……」


私は叔父様たちが放った見張りの目を盗み、刻一刻と迫る夜の帳が下りるのを、息を殺して待った。


たとえ、あの日以上に恐ろしい思いをすることになっても。


たとえ、この身が森の闇に飲まれることになっても。


命を狙われている彼を、一人きりで待たせるわけにはいかない。


空には、あの日


別れを惜しんだ時と同じ、冴えざえとした月が昇っていた。


けれど、今夜の月は、ルークさんの瞳のような温かな琥珀色ではない。


まるで誰かの返り血を浴びたかのような、不吉な赤黒い光を湛えて私を見下ろしている。


私は使い古したマントを深く羽織り、夜風を切り裂いて家を飛び出した。

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