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美女と野獣の最後の恋  作者: 猫塚ルイ


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第6話

「……これ、全部ルークさんの本ですか?」


薬の完成まで、あと三日。


朝の家事を一通り終え


館の隅々まで磨き上げた私は、ルークさんに許可をもらい


館の最奥に位置する広大な図書室へと足を踏み入れた。


重厚な観音開きの扉を押し開けると、そこは言葉を失うほど圧巻の光景だった。


天井まで届く、飴色に輝く木製の書棚が壁一面を埋め尽くし


数千、あるいは数万冊とも思われる本が、背表紙を揃えて整然と並べられている。


微かな埃と革表紙の匂い


そして永い時を刻んだ古紙の芳香が混じり合い


まるで知識の海に飲み込まれたような錯覚に陥る。


没落する前、我が家にも自慢の図書室があったけれど、ここはその比ではない。


まるで一国の歴史がすべてこの一部屋に収められているかのようだった。


「……暇潰しだと言っただろう。森の外に出られん身だ、本の中を旅する以外にすることなどない」


図書室の中央、天窓から差し込む柔らかな光の下で、ルークさんがぶっきらぼうに答えた。


罠で痛めた足は順調に回復しているけれど、無理はさせられない。


彼はその巨体を図書室の静謐さに溶け込ませ、一冊の分厚い本を膝に置いていた。


「すごい…歴史に哲学、天文学……。あ、ルークさん、これは古代語の魔導書ですか?」


私は棚から一冊、一際古びた装丁の本を抜き取り、慎重にページを捲った。


そこには現代の言葉とは似ても似つかない


幾何学的で複雑な文字が、美しいインクの跡を残して並んでいる。


「……それは、この国が興るよりさらに前、数千年の昔に失われた王国の言葉だ。…お前、読めるのか?」


ルークさんが、意外そうに琥珀色の瞳を丸めて私を見た。


その瞳には、知的な好奇心が宿っている。


「いえ、全然。でも、なんだか流れるような曲線が綺麗だなって思って……」


私が気恥ずかしさに微笑むと、彼は私の手から本を受け取った。


彼の大きな、爪のある指先が、壊れ物を扱うように優しく紙面をなぞる。


「……これは、星の動きと人の運命を重ね合わせた、古い詩集だ。…『我らは星の欠片、果てなき夜空に焦がれ、いつか還るべき場所を夢見る』……」


ルークさんが、朗々と、それでいて滑らかな声で古代語を読み上げる。


その響きは、深い森の奥で鳴り響くチェロのように重厚で


けれど不思議と子守唄のような優しさを持って、私の心に染み渡った。


「……ルークさんの声、とっても素敵ですね。古代語が、まるで命を吹き込まれて生きているみたいです」


私が感動のままに彼を真っ直ぐに見つめると、ルークさんは一瞬硬直した。


そして、ふさふさとした毛皮に覆われているはずの耳の先が真っ赤になり、慌てて本を閉じた。


「……お前、いちいちうるさいぞ。おべっかはいらん、黙って読め」


「ふふ、おべっかじゃありませんよ。本当にそう思ったんです」


私たちはそれ以上言葉を交わさず、図書室の窓辺に並んで座り、それぞれ本を読み始めた。


窓から差し込む陽光が、ルークさんの灰色の毛皮を金色に縁取る。


時折、彼が大きな手でページを捲る「カサリ」という音が、心地よいリズムとなって静寂に響く。


(……お父様が治ったら、またここに来てもいいですか?)


喉まで出かかった言葉を、私はかろうじて飲み込んだ。


私は、薬をもらったらこの森を去らねばならない。


父の待つ家へ。


ルークさんとの時間は、あくまで「一週間」という期限付きの、奇跡のような休暇なのだ。



◆◇◆◇


その日の午後───


ルークさんが薬の最終調合のために地下室へ向かった後、私は一人、広間の床を磨いていた。


「……ベル、そこにいるのか?」


突如として、静まり返った館に怒鳴り声が響き、扉を激しく叩く音が鼓膜を突いた。


心臓が口から飛び出しそうなほど跳ね上がる。


ルークさんとの約束、三つ目の条件が頭をよぎる。


「誰が来ても、決して扉を開けるな」


私は雑巾を握りしめたまま、その場に蹲って息を潜めた。


「……ベル!お前の叔父、バルサスだ!聞こえているんだろう、開けろ!」


バルサス叔父様──


家が没落した途端、私たち親子の財産を奪い


私を借金の形としてどこかの老貴族へ売ろうと企んでいた冷酷な男。


どうして、この禁忌の森の場所が分かったのか。


扉の向こうでは、叔父様の汚い罵声に加え


屈強な男たちが扉を蹴り破ろうとする鈍い衝撃音が続いていた。


「……化け物に喰われたと思っていたが、まだ生きているなら好都合だ!さあ、大人しく出てこい!お前にはまだ利用価値があるんだ!」


恐怖で足が震え、指先が凍りつく。


ルークさんは地下の調合室だ。


私が扉を開けなければ、この頑丈な扉はそう簡単には破られないはず。


でも、もし、もし彼らが斧でも持っていたら……。


「……何をしている、ベル」


背後から、低く、冷ややかな声がした。


振り返ると、そこには調合途中の薬瓶を手にしたルークさんが立っていた。


その琥珀色の瞳は、先ほど図書室で見せていた柔和な輝きを完全に消し去り


侵入者を屠ろうとする飢えた狼のような鋭い光を放っている。


「…ル、ルークさん」


「……扉の向こうにいるのは、お前の親族か?」


私が青ざめた顔で小さく頷くと、ルークさんは無言で私の前を通り過ぎ、扉の前に立った。


彼は巨大な前足を扉の枠にかけ


背後からその重みで押さえる。


叔父様たちの蹴撃が、ピタリと止まった。


「……ベル、二つ目の条件、いや、三つ目だったか…覚えているか?」


「…はい。『誰が来ても、決して扉を開けるな』……」


「そうだ。……ああいう輩は好かん。相手にしないで正解だ」


ルークさんが、肩越しに私を振り返った。


その口角がわずかに上がり、牙が覗く。


それは恐ろしい猛獣の笑みであるはずなのに


今の私には、この世の何よりも頼もしく、美しいものに見えた。


「…お前の叔父とやらは、俺が直々に追い払ってやる。お前はただ、ここで大人しく家事の続きをしていろ。……いいな?」


「……はい、ルークさん。……何から何までありがとうございます…っ」


ルークさんはゆっくりと鍵を開け、外へと踏み出した。


逆光の中で、彼の影が巨大に伸びる。


「……俺の館に、招かれざる鼠が紛れ込んだようだな」


扉が閉まった瞬間


外から叔父様たちの絶叫と、地響きのような獣の唸り声が響き渡った。


私は震える手で雑巾を絞り直し、必死に床を磨き続けた。


彼が帰ってくる場所を、少しでも綺麗にしておきたかったから。


外の騒ぎは、驚くほど短時間で静まり返った。


(……ルークさんは、化け物なんかじゃない…私を、そして私のお父様を救おうとしてくれている、優しい狼さんだもの)


恐怖はいつしか、絶対的な信頼へと変わっていた。


薬の完成まで、あと二日。


お父様を救うため


そして、この無愛想で優しいルークさんとの一分一秒を慈しむために


私はこの館で、最後の一週間を精一杯生きようと決めた。


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