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追放令嬢の辺境スローライフ〜精霊に愛された手料理で大地を豊かにしたら、無愛想な次期辺境伯の胃袋を掴んで激しく溺愛中!〜  作者: 黒崎隼人


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第1話「冷たい厨房と光の相棒」

登場人物紹介


◆リリアーナ・エヴァンス

 本作の主人公。

 侯爵家の長女でありながら虐げられ、料理だけを心の支えにして生きてきた不遇の令嬢。

 本人は全く自覚していないが、精霊に深く愛されており、彼女が作る料理には魔力を回復させ、大地を豊かにする規格外の浄化作用がある。

 控えめで自己評価が極端に低いが、食材と料理のことになると目を輝かせる。


◆アレクセイ・ヴォルツ

 辺境伯家の長男。

 黒髪に鋭い三白眼、長身で威圧的な雰囲気を持つため、周囲から恐れられている。

 最前線で魔獣と戦い続けた瘴気の影響で味覚を失い、感情も希薄になりかけていた。

 不器用で口数は少ないが、根は深く優しい。

 リリアーナの料理によって味覚を取り戻し、彼女を誰よりも大切に想い、不器用ながらも激しく溺愛するようになる。


◆ガウェイン・ヴォルツ

 アレクセイの父であり、現在の辺境伯。

 熊のように大柄で豪快な性格。

 領民を何よりも大切にしている。

 冷酷という噂とは裏腹に、涙もろく家族思いの温かい人物。

 リリアーナを実の娘のように可愛がる。


◆エレナ・ヴォルツ

 ガウェインの妻であり、アレクセイの母。

 凛とした美しさを持つが、性格は非常に朗らかで世話焼き。

 過酷な辺境の地で男たちを支える芯の強い女性。

 リリアーナに母親の温もりを教え、彼女を甘やかすことに全力を注ぐ。


◆ルーク

 リリアーナの周りを常にふらふらと飛んでいる光の玉。

 その正体は強大な力を持つ光の大精霊だが、リリアーナはただの可愛い光る虫か何かだと思っている。

 リリアーナに危害を加えようとする者には容赦しない。


◆エドワード

 王太子であり、リリアーナの元婚約者。

 表面的な美しさと偽りの聖女の力に騙され、リリアーナを無能と見下して婚約破棄を突きつける。

 のちにリリアーナの真の価値に気づき、激しく後悔して彼女を取り戻そうと画策する。

 石造りの厨房は、夜明け前の冷たい空気をたっぷりと吸い込んで底冷えしていた。

 薄っぺらい靴底からは容赦なく冷気が這い上がり、リリアーナの足先をじんわりとかじかませる。

 吐く息は白くもやを生み、かまどの前に立つ彼女の細い肩をわずかに震わせた。

 洗い場に溜まった水は表面に薄く氷を張り、指先を水につけるたびに鋭い痛みが走る。

 それでもリリアーナは手を止めることなく、硬くしなびたニンジンをまな板の上に置いた。


「今日も冷えるわね」


 誰にともなくつぶやいた声は、がらんとした空間に虚しく吸い込まれていく。

 歴史ある侯爵家の長女であるはずの彼女に与えられた仕事は、使用人たちが嫌がる早朝の厨房の火起こしと、自分自身の粗末な朝食作りだった。

 ふわりと、視界の隅で小さな光が揺れた。

 乳白色の淡い光を放つその球体は、手のひらに収まるほどの大きさで、リリアーナの周囲を踊るように飛び回っている。


「おはよう、ルーク」


 リリアーナが微笑みかけると、光の玉は嬉しそうに上下に揺れて、彼女の冷えた頬にすり寄ってきた。

 触れても熱はなく、ただひだまりのような優しい温もりだけが肌に伝わってくる。

 この屋敷でリリアーナに寄り添ってくれるのは、ただの光る不思議な虫だと思っているこの存在だけだった。

 刃こぼれした包丁を握り直し、力を込めてニンジンを切り分ける。

 とんとんという鈍い音が、冷え切った厨房に響き渡る。

 次に手に取ったのは、葉の先が黄色く変色したキャベツだ。

 傷んだ部分を丁寧に取り除き、食べられる部分だけを細かく刻んでいく。

 鍋に水を張り、かまどの火にかける。

 ぱちぱちとはぜる薪の音が、静まり返った空間に心地よいリズムを刻んでいた。

 やがて湯気が立ち上り、鍋の中からふつふつと小さな泡が弾け始める。

 刻んだ野菜を鍋に放り込むと、素朴な甘い匂いがふわりと漂ってきた。

 ほんの少しの塩で味を調え、木べらでゆっくりとかき混ぜる。

 野菜の切れ端を集めただけの薄いスープだが、リリアーナにとってはこれが一日の始まりを告げる大切な食事だった。

 器にスープを注ぎ、立ち上る湯気に顔を近づける。

 冷え切った鼻先に温かい蒸気が触れ、胸の奥までじんわりと温まっていくような気がした。

 木のスプーンでスープを一口飲もうとしたその時、厨房の重い木の扉が乱暴に開かれた。


「リリアーナ様、旦那様がお呼びです」


 現れたのは、見下すような視線を向ける若いメイドだった。


「お父様が……」


 リリアーナは驚きに目を見開き、スプーンを持つ手を止めた。

 侯爵である父親が、こんな早朝に自分を呼ぶなどこれまで一度もなかったことだ。

 胸の奥に冷たい石が落ちたような、嫌な予感が広がる。


「すぐに向かいなさい」


 メイドは用件だけを言い捨てて、足音荒く立ち去っていった。

 残されたリリアーナは、冷めかけたスープを一口だけ飲み込み、ゆっくりと立ち上がった。

 エプロンを外し、しわくちゃになったドレスの裾を少しだけ整える。




 冷たい廊下を歩く足音が、不気味に響く。

 豪華な絨毯が敷かれた廊下は、厨房の石の床とは違い柔らかかったが、リリアーナの心はなぜかそれ以上に冷え切っていた。

 重厚な両開きの扉の前に立つと、隙間から漏れ聞こえる話し声が耳に届く。

 深呼吸をして、冷え切った指先で扉の取っ手を押し開けた。

 広々とした執務室には、朝の光がたっぷりと差し込んでいる。

 精巧な彫刻が施された机の向こう側には、父親の冷ややかな視線があった。

 そしてその傍らには、見慣れた金髪の青年の姿がある。

 王太子エドワード。

 リリアーナの婚約者であるはずの彼が、なぜか忌々しそうな表情でこちらを睨みつけている。

 彼にすがるように腕を絡ませているのは、異母妹のシルビアだった。


「遅いぞ、リリアーナ」


 父親の低い声が、頭上から降ってくる。


「申し訳ありません」


 リリアーナは深く頭を下げ、磨き上げられた床の木目を見つめた。


「お前を呼んだのは他でもない」


 エドワードが一歩前に歩み出て、氷のように冷たい声で告げた。


「お前との婚約を破棄する」


 その言葉は、冷たい刃のようにリリアーナの胸に突き刺さった。


「……え」


 掠れた声が喉から漏れる。


「何もできない無能なお前は、次期王妃にはふさわしくない」


 エドワードの言葉には、一片の温もりもなかった。


「真の聖女の力に目覚めたシルビアこそが、私の隣に立つべき女性だ」


 エドワードは隣に立つシルビアの肩を抱き寄せ、得意げに微笑む。

 シルビアは申し訳なさそうに視線を伏せているが、その口元が微かに歪んで笑っているのを、リリアーナは見逃さなかった。

 胸の奥が締め付けられるように痛むが、涙は不思議と出なかった。

 これまで何度も冷たい言葉を投げつけられてきたせいで、心が感情に蓋をする術を覚えてしまったのだろうか。


「そして、お前には辺境伯ヴォルツ家へ嫁いでもらう」


 父親の言葉に、リリアーナは弾かれたように顔を上げた。


「ヴォルツ家……」


 その名前は、王都に住む者なら誰もが知っている恐ろしい一族だった。

 魔獣がうごめく最果ての地を治め、冷酷無惨で血も涙もないと噂される辺境伯。

 それは事実上の追放であり、厄介払い以外の何物でもなかった。


「荷物をまとめて、すぐに出発しろ」


 父親はそれ以上何も語らず、手で払うようにしてリリアーナを追い払った。

 扉が閉まる直前、エドワードとシルビアの笑い声が背中越しに聞こえた気がした。




 自室に戻ったリリアーナは、古びた鞄にわずかな荷物を詰め込んだ。

 持って行くものはほとんどない。

 数着の着古したドレスと、亡き母の形見である銀のペンダント、そして使い慣れた小さなペティナイフだけだ。

 屋敷を出る時、見送りに来る者は誰もいなかった。

 ただ、冷たい風が吹き抜ける中、一台の粗末な馬車がぽつんと待っているだけだった。

 御者の男は無言のまま、リリアーナを荷物のように馬車に押し込んだ。

 がたがたと音を立てて車輪が回り始め、見慣れた侯爵家の門が遠ざかっていく。

 窓から見える王都の街並みは、いつもと変わらず華やかで活気に満ちていた。

 すれ違う人々は笑顔で言葉を交わし、パン屋からは焼きたての香ばしい匂いが漂ってくる。

 しかし、その光景はリリアーナにとって、まるで遠い世界の出来事のように感じられた。

 膝の上で両手を強く握りしめ、冷たくなった指先を温めようとする。

 ふと、視界の隅で淡い光が揺れた。

 ルークが、心配そうにリリアーナの顔を覗き込んでいる。


「大丈夫よ、ルーク」


 リリアーナは無理に微笑みを作り、小さな光の玉にそっと触れた。


『こわくないよ』


 光の玉は、励ますようにリリアーナの手に擦り寄ってきた。

 その温もりに少しだけ救われた気がして、リリアーナは目を閉じた。

 これから向かうのは、誰もが恐れる辺境の地。

 どんな過酷な運命が待ち受けているのか、想像もつかない。

 それでも、もう後戻りすることはできないのだ。

 馬車は冷たい風を切り裂きながら、北へ向かって走り続けた。

 窓の外の景色は、次第に緑が減り、荒涼とした土の色へと変わっていく。

 空は厚い雲に覆われ、太陽の光を完全に遮っていた。

 車内は薄暗く、隙間風が容赦なく吹き込んでくる。

 リリアーナは身を縮め、薄いショールをきつく羽織り直した。

 冷え切った体が震え、歯の根が合わずにこつこつと音を立てる。

 何時間走っただろうか。

 空腹と寒さで感覚が麻痺し始めた頃、外の空気がはっきりと冷たさを増したことに気づいた。

 土の匂いに混じって、焦げたような独特の苦い匂いが鼻を突く。

 これが瘴気の匂いなのだろうか。

 窓の外を見ると、木々は立ち枯れ、大地はひび割れていた。

 鳥の鳴き声ひとつ聞こえない、死に絶えたような静寂が広がっている。

 ここが、辺境伯ヴォルツ家の治める領地。

 リリアーナは乾いた唇を噛み締め、これから始まる新しい生活への不安を飲み込んだ。

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