魔女カヌレのイタズラ
*
次の日の夕方のことだった。チカゲはダリウスと話し込んでいた。
リオンは元に戻ったが、幼くなった時の記憶は全くなかった。
仕事帰りの彼女に会った時は「あ、お二人ともこんにちは!」といつものように挨拶をされ、「なんか昨日迷惑をかけたみたいなんですけど、覚えてなくて……ごめんなさい」とそう言われた。
ダリウスの露店はリオンの家のそばだ。挨拶して家に入っていく彼女を見て、チカゲもダリウスも複雑な気分になった。
なんとなく虚しさを感じたのは、ダリウスも同じだったのだろう。
話し込んでいるうちに日が暮れてしまった。
ダリウスがやがて店を畳み、チカゲも別れの挨拶をして去ろうとした時だった。
ばん! とリオンの家の扉が開いて、ひどく焦った様子の彼女が出てきた。
こちらを見るなりすがるような目をして声を上げる。
「チ……カゲさん!? 助けてくださ、ひっ!?」
そのまま何者かの手によって家に引っ張られ、ぴしゃんと扉が閉められる。
チカゲは慌てて開こうとしたが中から鍵をかけられてしまっていた。ざぁっとチカゲは青ざめる。
「リオンさん!」
慌てて裏口に回ると、幸いそこは開いていた。
他人の家だがどうこう言ってられない。中に入れば、ごちゃついた厨房やら何やらがあり、奥からリオンの声が聞こえた。
「ひっ、やめ、てくださ、おねがっ」
かっと目の奥が熱くなって、刀の鞘に手を置いてチカゲは進んだ。
正面の部屋にいたのは――あの魔女だった。意味の分からない光景に愕然とする。
彼女はリオンを背後から抱きしめて、肩口に顔を埋めている。
「あ、あの、やめっ」
「かーわいい、ほーら助けてあげたんだからお姉さんにお礼言ってくれていいのよー? まあ覚えてないでしょうけど」
もがくリオンを捕まえて、くすぐったり胸を揉んだりやりたい放題である。
「んくっ、おねが、やめてっ」
服は脱がされていないが、戯れにしては度が過ぎる。これは殺した方がいい相手なのかチカゲはよく分からなくなったが、とにかく苛ついた。
「やめなさい、嫌がってるではありませんか」
「チ、カゲさん」
ハッとしたように救われたような目をしたリオンが、次の瞬間には脇の下をくすぐられて、真っ赤になってきゅうと目を閉じた。
「あは、やめ、……やだぁ!」
いつも凛々しい彼女の痴態に顔が熱くなったが、こんなことではいけないと刀を抜いた。
「やめて、あげてください。――やめろ!」
刀を構えるが、カヌレは面白そうにそれを見た。
「こっちの地方で言う妖刀でもないのでしょ? 殺せやしないわ。それに私リオンの恩人。殺したらこの子が悲しむわよ」
リオンは半泣きだった。チカゲは困惑して告げた。
「殺した方が良くないですか?」
「だ、だ、だめ」
嫌がっているのは本当らしいが、殺してほしくはないらしい。不愉快だが仕方ない。
「邪魔よチカゲ。言っておくけどリオンはあなたを庇ってるの。あなたは私に敵わないからね。――かわいいリオン、昨日の記憶ないでしょう。昨夜あーんなことやこーんなことしたのよ」
リオンは涙目になって首を振る。
「覚えてない、なにしたのカヌレさん、やだっ」
ゾッとしたものの魔女は軽やかに笑っただけだった。
「やだわ、馬鹿ね、一緒にお菓子を食べただけ。でも今は元に戻ったんだからいいわよね?」
胸を揉みしだかれてリオンが必死で抵抗する。声を必死で我慢していたが、やがて耐えきれなくなってきたのか、真っ赤な顔で声を漏らした。
「や、やだ、ほんとに、やぁ……っ!」
チカゲはつられて赤くなったが、どうにか震えそうな声を絞り出した。
「やめろと、言ってます!」
カヌレがリオンの耳をぺろりと舐めた。リオンの高い声が上がる。
「ひぁっ」
「チョコより美味しいわ」
チカゲは訳もわからない衝動に駆られ、刀をカヌレの首に突きつけた。
「殺す」
「…………」
カヌレは仕方なさそうにリオンから手を離した。
「ま、別にそんなの弾き飛ばせるんだけど」
言いながら刀を弾き飛ばす。リオンが泣きそうな顔をした。カヌレは続ける。
「ふうん――まあいいわ、あなたが遊びでないなら――こちらも多めに見てあげましょう」
意味不明だ。そのまま魔女は消えてしまった。
リオンが膝をつく。
「はーっはーっはーっ」
必死に抵抗したせいか胸元がはだけそうになっている。チカゲは目のやり場に困った。
とりあえず、刀を拾ってしまう。
「大丈夫、ですか」
「ち、近寄んないで!」
いつもとは違う物言いにびっくりしたものの、リオンは真っ赤で泣きそうだった。
「はぁーっ、はあっ、だめ、今、だめなの……はあっ、見られたくないっ」
チカゲは目を逸らした。
「アナタいつもあんな目に?」
「二年くらい前から。イタズラで、ちょっとくすぐられたら反応しちゃって、そ、それから目ぇつけられちゃって……昔はあんなことなかったのに……だ、だんだんエスカレートしてる気が……」
「…………」
リオンはどうも人を惹きつける性があるようだが、厄介なものだと思った。
「あの魔女アナタのなんなんです」
「育ててくれた、恩人っ。昔はだいすきだった、んだけど、あの、えっと今は、対応に困る……あの人なんでこの村にいるんだっけ」
「それはですね、えーと」
「ああ、ええとシフォンが呼んだんでしょ? わたしなんかビワに妖術使われて、よくわかんないけど……治すために呼ばれたらしいって聞いた」
「……ハァ、それでアナタのオトモダチ、あの魔女を警戒していたワケですか」
「き、昨日のこと覚えてないの。何があったの?」
なんとなく、皆が言わないわけが分かった。無垢な幼いリオンのことを、大切な秘密にしておきたいような気持ちが。
「ち、チカゲさんも教えてくれない……」
彼女は半泣きだった。
「わ、わ、わたし、カヌレさんにだ、だ、抱かれたんじゃ」
「あーあー違いますよその顔やめてください」
それにしても目の毒である。半泣きの彼女の胸元ははだけていた。いつか娼館に潜入した時のようだ。
チカゲは胸元をなるべく見ないようにしながら、仕方なく襟元に手を伸ばした。
「失礼しますよ。全く、襟を正してくださいほら。クソ、なんでワタシが……。いつものあー、凛々しいアナタはどこへ行ったんです」
リオンはぐすぐす言っていたが落ち着いてきた。
「チカゲさんは余裕があっていいね」
一瞬殺意が湧いた。余裕? どこが?
今目の前で襲ってやってもいいんだぞと思ったが、その思考に蓋をした。この娘が無防備なのがいけない、それだけだ。誰だってこんな女がいたら――なんとなく不愉快になって、それ以上考えるのはやめた。
「無防備なのもいい加減にしてください」
「カヌレさんは瞬時に移動できるんだよ。場所にもよるけど……それに城仕えの魔女だし……とても強いんだよ。勝てないよ」
「刀も弾かれましたしねえ。あの魔女なら……いや妖刀は無理と言っていたか」
チカゲはあの魔女がビワをどうにかできないかと一瞬思ったが、無駄だと諦めた。大事な刀を撫でる。ツクヨミの遺品だ。不快なことに弾かれてしまったが。これは妖刀ではない。
「ビワのこと? 無理だよ。だってとっくに陛下に報告してるよ。カヌレさんが有効打を持ってるなら派遣されるはずだもん」
「なるほど?」
「それかど、ど、独断で動くか」
リオンがつっかえながら言う。
「彼女が独断で動くとどのような問題が?」
「ええと、陛下は気まぐれなカヌレさんにも手を焼いていて――どっちかというと放任してるの。だからカヌレさんはわたしが頼み事をしたらたぶん、動いてくれる。そ、そうすると、えっと見返りにその、さっきみたいなイタズラ……」
「ああアレですか」
イライラしたがこれに関してはどうしようもない。
「まあいいです。その不愉快な話はやめましょう。あの魔女は――あの魔女は、」
ふとチカゲは目の色を変えた。
「他にどんな魔法が使えますか?」
「えっ、えっと、幻獣を出すことができるよ……あと刀を吹き飛ばすとか、基本的な戦闘なら……それなりに、強いよ……結界を張られると無理とかなんとか言っていたけど。人間ではない存在も得意じゃないみたい」
「なるほど、ビワは妖術を使いますし、あの手下どもは妖ですからね。それで彼らへの打点はないと」
「あとはまあ、食べ物を出すことができるから、陛下も重宝してる。限度があるけどね。わたしも子どもの頃お世話になった。カヌレさん、魔力使い過ぎると倒れちゃうから……あの人も万能じゃないんだよ」
「それでは」
チカゲは赤い目で尋ねた。
「……死者を蘇らせることは?」
「チカゲさん!」
リオンはハッとしたような目で言った。
「また馬鹿なことを! そんなことができたらとっくにこの世の秩序は崩壊してますよ!」
「アナタは昨日子どもになっていたんです」
「えっ」
「記憶も抜け落ちていましたが彼女はそれを正した。だから十六のアナタがここにいるワケです」
「えっと、それはご迷惑を……じゃなくて! それはたぶん幻獣を出すのと一緒で、変身させる魔法と似たようなものなんだよ」
「納得いきませんが」
「わたしだって魔法の細かい原理は知らないよ。妖術でさえ分からないし別物だもん。とにかく! 死んだ人を蘇らせることなんて誰もできないの! 誰もだよ!! できないから賢者の石は禁忌なんだよ!」
「あっそ」
チカゲは興味をなくしたように目を細めた。
「助けてやったことに感謝してほしいですね」
「……それは、助かったよ、ほんとに」
「二度目はないですよ」
「二度目があってもあなた、助けてくれる気がする」
「ないです。というかもうこのようなことがないようにしてください」
「できるならしたいよ! 不可抗力だってば!」
ああイラつく。不可抗力にしても、さっきの光景が脳裏に焼きついて離れない。カヌレに好き勝手弄ばれていた少女の姿が。チカゲはリオンの襟元を掴んで顔を寄せる。
「な、なに――」
そのまま首に、かぷりと噛み付いた。
「いっ!?」
「…………」
リオンの首元に噛み跡ができた。
フッとチカゲは笑った。嘲笑するような笑みだった。
「アナタワタシのこと好きなんでしょう? 良かったですね」
「よよ、よくないよ! 痛いだけだったし! あなたは、す……きじゃないんでしょ!」
言いながらも彼女は首の噛み跡を気にしているようだった。
「ええ、その通り」
そう、そのはずだ。多少の興味があっても彼女の気持ちに応えるつもりはさらさらない。
賢者の石を求める上で、彼女は実験対象でなくなり、ただの敵となった。おまけに最近は足枷だ。この娘と共にいるとどうにもおかしくなる。今だってそうだ。
酷くイライラした。
あまりに苛ついたから衝動的にしただけだ。
「ならなぜこんなことを」
「嫌がらせです。助けて差し上げたのですから迷惑料ということで」
にっこりとチカゲは笑った。
リオンが涙目で、怒ったように声をあげる。
「最低! 最悪! 人の気持ちを弄んで!」
弄んでいるのはどちらだ。一瞬よぎった訳の分からない思考に蓋をする。それは殺意に似たものだった。おそらくいつもの憎悪と同じ類のものだ。
「アナタがワタシに惚れたのが運の尽きです」
そう、本当に、哀れで馬鹿な娘だとチカゲは思った。
どこか哀愁の漂った目で言われたリオンは、ちょっと泣きそうな顔をしていた。
「さいてい……」
「どうぞ勝手に言っててください。ワタシがいなければアナタは今もあの魔女にイタズラされてたんでしょ?」
「ふん! こんな傷明日には消えます、たぶん。もうおかえりください!」
押し出されるようにしてチカゲは戸口まで連れて行かれた。潤んだ青い瞳がこちらを睨みつけていた。
リオンは「ばーか!」と捨て台詞を吐くとぴしゃんと扉を閉めた。今度こそ彼女の手によって鍵がかけられる。
チカゲは唾を飲んだ。よく分からない憎らしさと、知らない感情が身体を駆け巡る。無意識に胸元に隠している首飾りを掴んだ。
次の日リオンの首の傷は、まあ薄れていたがそれなりに残っていた。
「カヌレさんでしょ!」
とシフォンが怒っているのをチカゲは見かけた。リオンが曖昧に誤魔化して困ったように笑うのも。なぜか面白くなかった。




