それぞれの
志心は、急いで飛んで宮へと帰った。
多香子は、王の居間の正面の椅子に座り、臣下達がその回りに膝をついて控える中で、それでも志心を見て、立ち上がった。
「良い。」志心は、多香子に歩み寄ってその手を取った。「無理をするでない。具合が悪い時は臣下に任せたら良いのだ。これらは妃の不在に慣れておる。」
多香子は、首を振った。
「少しふらつくだけでありまする。大層に思うてくれずとも良いと、皆には申しておりますのに。」
とはいえ、やはり顔色は悪い。
「治癒の者は?」
志心が言うと、重臣の徳久が答えた。
「は、多香子様が要らぬと申されて。お側に上がることができずで外に控えております。」
志心は、頷いた。
「これへ。」と、多香子を見た。「何にしろ、診させるのだ、多香子。その後回復すれば好きにして良いから。」
多香子は不満なようだったが、黙って頷いた。
志心が王なので、それに逆らうことはできない。
やっと入って来た治癒の者たちは、わらわらと多香子を取り囲んで、一斉に多香子を探る気を放った。
多香子は、じっと座ってそれを見ていたが、大層な数の神たちが診ているのに顔をしかめていた。
「…どうよ?やはり疲れであるか。」
すると、他の神たちと視線を合わせた治癒の長が、頷いてから口を開いた。
「…多香子様には、お体は大変にお強いようで健やかであられまする。」
志心は、眉を寄せた。
「だが現に倒れたではないか。」
長は、微笑んで頷く。
「はい。多香子様には王の御子を身籠られておられます。只今は極々初期であられ、それ故に気を乱されてお加減を悪くなさっておいでです。」
懐妊…!?
志心は、驚いて多香子を見た。
多香子も驚いたようで、目を丸くしている。
志心とは、確かに週に一、二度ほど褥を共にするが、何しろもう四百なので、そんなに早く懐妊するなど思ってもいなかった。
それは志心も同じなようで、言葉もなかった。
しかし、臣下は一斉に色めき立った。
「なんと!これほど早くにご懐妊とは、我ら思ってもいませなんだ!王、誠におめでたいことと、臣下一同お慶び申し上げまする。」
そこに居た、全員が頭を下げる中で、志心はハッと我に返り、言った。
「…なんとの。これほど早くになど、思うてもおらなんだ。別に子などどちらでも良いと思うておったゆえ。手柄であるな、多香子よ。これよりは、無理をせず過ごすが良いぞ。男なら我の跡取りが、主の中に居るのだからの。」
多香子は、志心を見上げて言った。
「子が居るぐらい、我には何でもありませぬ。懐妊と分かったからには、しばらく経てば気の調節もできるようになり、具合は治りますわ。お務めを疎かにすることはありませぬ。」
志心は、息をついて多香子と向き合って、その肩を優しく握って言った。
「そこまでせずで良いのだ。軍神でもあるまいに、主は我の妃であって臣下ではない。本来、我の世話だけしておったら誰も文句も言わぬ立場ぞ。」
徳久が、言った。
「多香子様、こうなりましたからには、多香子様の一番のお役目は、王の御子を無事に産み参らせること。軍神であられた時とは違い、その御身の中におわすのは何より貴重な王の御血筋の命でありまする。他のお役目は、二の次だと思われてこれからは御身を大事にお過ごしくださいませ。」
志心は、頷く。
「その通りぞ。主は長年軍神であったから、子を孕んでおっても任務に就くことが当然とされておって身に染みておるのだろうが、今は我の妃。王族ぞ。軍神とは役目も務め方も違う。そちらに慣れるが良い。分かったの。」
多香子は、出産直前まで任務に就いていた若い頃の自分を思った。
もう、自分は軍神ではない。
勝手に軍神の働き方に拘っていたのは、自分なのだ。
自分は志心の妃であって、もう軍神ではないのだ。
「…はい。」多香子は、自分のまだ膨らんでいない腹に手を置いた。「必ず、王の御子を無事に産み参らせまする。」
志心は、微笑んで多香子の肩を抱いた。
「主の事は信頼しておる。任せたぞ、多香子。」
多香子は頷いて、もっと妃という務めをしっかりと認識して、意固地にならぬよう、努めて行かねばならないと決意を新たにしていた。
「まあ、誠に?!」維月は、歓喜の叫びを上げた。「まあまあなんておめでたいことですわ!お祝いは何に致しましょうか。」
月の宮で、維心は微笑んで答えた。
「今朝志心から内々に知らせて参っての、まだ生まれたわけではないゆえ、大っぴらには言わぬようだが最上位の王達には知らせたようぞ。志心が先に報告してくるのは珍しいのだ。あれは、こんなことはこちらが聞いて答えるような奴であるから。」
維月は、フフと笑った。
「それだけ喜ばれておるということですわね。多香子は、いえ多香子様は励まれているようですこと。志心様には多香子様をお気に入られておられるということではありませぬか?」
維心は、苦笑した。
「どうであろうの。あやつは妃を己で選んだことがないゆえ、此度は異例続きであるから。少しは多香子を想う心地にもなっておるのかと思うてはおるがの。」
維月は、志心にもやっと幸福がと満面の笑顔で頷いた。
「はい。まあ、本当に。御子がどちらかわからぬのなら、着物を仕立てて差し上げるのも早いですし…何がよろしいかしら。」
維心は、言った。
「まだ生まれるまでは時があるゆえ。ゆるりと考えようぞ。一度我と共に蔵へ参るか。宮の蔵にはいろいろあるし、そこから選んでも良かろう。」
維月は、頷いた。
「はい。七夕にはそちらへ上がるつもりでありますし、その時に。月の宮からは、タオルでありましょうから。」
月の宮しか生産していないので、祝いといえばまずタオルだからだ。
維心は、微笑んで頷いた。
「ならばそれで。それにしても早かったの。まだ嫁いで三月と経っておらぬのに、もう懐妊とは。志心もあの歳であるから、同衾するのは週に一、二度だと聞いておるのにの。」と、ハッとした顔をした。「…そういえば、歳と申して思い出したが、主は美穂とは何か話しておるか?文など来るか。」
維月は、え、と驚いた顔をした。
「え?美穂様ですか。いえ、綾様や椿様ならしょっちゅうやり取り致しますが、美穂様とはあまり。我らは歳も離れておりますし、前世の祖母に当たる綾様からも美穂様の話題は何も。何かございましたか?」
維心は、頷く。
「会合の後の宴の席で渡から聞いたのだがの。花見の折からこちらも、まだ口を聞いておらぬのだとか。なので奥へ呼ぶこともないし、最近は部屋に籠もって務めもおろそかにしておるのだとか。皇子はそれで何か思うところがあるのか真面目に努めるようになっておるから、渡も別にそれでいいらしいが、そのうちに里へ帰るとか言い出すのではと案じておった。」
困ったこと。
維月は、今笑っていたのにもう深刻な顔をした。
「…あの折、皆で話したのですが。渡様には上位の皆様のそれと違わず、あのお見た目であられますが中身は落ち着いたご年齢。若い神ではないのですよと、我らも諭したのです。では、七夕にはお連れになりませんわね。」
維心は、答えた。
「どうであろうの。花見の時も呼んでおらぬのに出て来たゆえ連れて来たと申しておったし、此度もわからぬな。」
維月は、少し考えたが、頷いた。
「では、もし来られたら私が茶会を。そのお席で詳しいお話を聞いて参りましょう。とはいえ、困りましたわね。ご納得頂けたと思うておりましたのに。」
維心は、ため息をついた。
「仕方がないわ。我らも渡に勧めていた手前、渡が困っておるのは見過ごせぬでな。もし参ったら、頼んでおく。」
維月は頷いて、せっかく多香子が上手く行っているのに、今度は美穂かと頭を悩ませたのだった。




