教育
維月は、ただひたすらにキリルと名付けた新しい闇に、力の使い方を教えた。
キリルは、本当に普通の神の子のように、維月に褒められると笑い、失敗すると悲しげな顔をした。
それでも、維月に励まされるとすぐに気を取り直して、一生懸命教えられる術を覚えて行った。
最初は闇だという先入観から黙って離れて見ていた多香子も、こうして見ていると愛らしく表情をくるくる変えるキリルに、いつしか表情も緩んでいた。
キリルは、普通の愛されて育つ子達と変わらないのだ。
今は、何やら側に落ちている石を持って来ようと霧を使って集中していた。
しかし、石はコロンと下に落ちた。
途端にキリルは、暗い顔をした。
「困ったわね。さっき流れ込んで来たのは、こちらで発生した霧のようだし。どうも言う事を聞かないようね。」
キリルは、下を向いて言った。
「我の言うことを、聞こうとしておりませぬ。維月様の言うことは聞きますのに。」
維月は、ため息をついた。
もしかしたら、まだ発生ほやほやの闇でもあるし、霧も言うことを聞かないようなことがあるのかも知れない。
そもそも、ルシウスの言うことの方が、デロイスや他の闇達の言う事より優先されるようで、仮にデロイスの指示で動いていても、ルシウスがそれを否と言ったらもう、霧は動かなかった。
そういうことが、起きているのかもしれない。
…が、だとしたら、霧が他の力のある闇に指示されていることになる…?
維月は、考え込んだ。
多香子が、脇から言った。
「…ならば、霧ではなく己の気を使ってみてはどうか?」と、手を上げて、気を使って石を掴んだ。「このように。やってみよ。」
キリルは、頷いて多香子の波動を読み、同じように気を発して石を持ち上げた。
すると、するすると石はキリルの方へと引き寄せられ、その手の中に収まった。
「できた!」と、キリルは満面の笑顔で言った。「できました、多香子様!ほら!」
多香子は、あまりにも嬉しそうなので、思わずつられて笑顔になった。
「良かったの。できるではないか。落ち込むでない。」
キリルは、大きく頷いた。
「はい!ありがとうございます!」
維月は、それを見て微笑んだ。
「では、あなたはしばらくそうやって霧ではなく気を使ってあれこれやってみて。練習するのよ。」と、多香子を見た。「多香子。気づいたことがあるの。」
多香子は、素直に維月の言う事を聞いて石を持ち上げたり、膜に当ててみたりしているキリルを眺めながら、維月に答えた。
「何ぞ。ここの霧が性質がようないか?」
維月は、首を振った。
「それは知っていたことよ。それも、ここで私があれこれ霧に触れて接している内に、なぜか穏やかで粗野な印象は抜けて来ているのは感じ取れているの。それも発見だったけど、それよりキリルのこと。あの子の言う事を聞かないのは、恐らく別の闇に指示されているからではないかと今、気付いたの。」
多香子は、維月に視線を向けた。
「別の闇?主の言う事を聞く闇達であろう?性質が良いという。」
維月は、首を振った。
「あの子達は、絶対に私を籠めて隠したりはしないわ。それが、消滅への道なのだと知っておるから。ではなくて、新たに発生した闇ということよ。」
多香子は、眉を寄せた。
「…それは、ルシウスには分からぬのか?本来、あれが王で必ず分かるのだと言うておらなんだか。」
維月は、頷く。
「その通りよ。闇のことでルシウスにわからないことはないわ。何しろ、ルシウスは太古に初めて発生した闇だから。でも…この、膜。」維月は、膜を見上げた。「この中に居たら、ルシウスにはわからないわ。誰だかわからないけど、この膜を作った神なのか何なのかわからない存在が、どこかに籠めた霧が勝手に凝縮して、闇になっていたとしても、ルシウスには気取れなかったでしょう。膜を作ったのが神だったとして、神には闇を飼うことはまず不可能よ。この膜も、結局ルシウスほどの力を持つ闇を籠めておける力はないと思うの。術を放つと、必ず繋がりができるから、そこから闇に憑かれてしまう。だから、それと思わず闇に憑かれて、利用されておる可能性もあるわ。闇は、憑いた相手の知識はそのまま読み取ることができるから。軽々と術を習得しておるでしょうし。霧はね、力のある方の闇の命令に従うの。だから、この膜を作っているのが闇であるなら、生まれたてのまだ子供であるキリルの命令には、従わないのはあり得ることよ。私は、この限りではないけどね。闇を操る能力を持っているから。つまり、霧の優先順位は、私、ルシウス、そして他の力のある闇、というようになるということよ。」
多香子は、まだ石を相手に頑張っている、キリルを見た。
「…確かにその優先順位ならば、キリルが霧を上手く扱えないのも分かるやもの。ならば、主がここを出るのにあれが力になるやもと言うておったが、無理だということか。」
維月は、首を振った。
「いいえ。」と、回りの霧を手で掻き回す仕草をした。霧はそれに従って、丸く球体になってその手の上に浮いた。「この子達があるわ。私が触れていると、なぜかこの子達の性質が穏やかに良くなるのよ。これを糧に、あの子を育てる。神ではないのよ、力の強さで簡単に成長するの。あの子はまだ、霧を取り込んで大きくなる術を知らないの。だから、私がここからそれを教えるわ。」
あれを育てるのか。
多香子には、途方もないことのように思えたが、維月が言うなら仕方ない。
維月は、キリルを側に呼んで、また一からどうやって霧を取り込んで力にするのか、教えて行った。
多香子がそれを見ている向こうで、ルキアンがじっと黙ってこちらの様子を見ているのが見える。
多香子は、その目に何やら、闇を嫌悪する以上の何かを感じた。
だが、それが何なのか分からなかった。
ルシウスの声が、言った。
《…十六夜、碧黎。》
十六夜の声が、すぐに答えた。
《なんだよ。維心達を見てるんでぇ。見つけたのか?》
碧黎が、言った。
《あちこち同時に集中せぬか、十六夜。ルシウス、何ぞ。》
ルシウスは言った。
《碧黎には見えておろう。元不干渉地域の、奥。我らが潜んでいた辺りの東、100キロほどの地下ぞ。その辺りに、霧が全く無い場所がある。》
碧黎は、見たようだった。
《…確かにの。これまで、霧がある場所ばかりを見ておったが、ここは不自然なほど…》と、ハッとした声を出した。《…そう、丸く。何も無い。》
十六夜の声が、呑気に言った。
《はあ?何もねぇならなんだよ。》
ルシウスが説明した。
《だから、膜ぞ。もしここに膜があるなら、見えておらぬだけでここに何かあるのやも知れぬだろうが。膜が中を見せぬだけで、霧もそこに存在し、隠されておるのだと考えぬのか、主は。》
十六夜は、ハッとした。
言われてみたらそうだ。
《…だったら、そこに維月達が?!》
碧黎の声が答えた。
《あり得る。というか、そうとしか考えられぬ。ならば、見て参ろうぞ。そこら一帯に浄化の力を放ってみて、何も無ければそこには誠に何もないのだろう。》
十六夜は、言った。
《待て親父、仮にそこに膜があって、親父まで籠められたらどうするんでぇ!》
碧黎の声は、呆れたように言った。
《あのな、別に我の中なのに、人型でわざわざ行かずでも浄化ぐらいできるわ。地の中から、突き上げる。それに、地上のどんな術でも我を籠めることなどできぬ。よう考えよ、我を地から分断するなど、簡単にできると思うか。そも、力は無限なのに?》
まあ、そうだけど。
そこに、別の声が割り込んだ。
《…言いとうないが、碧黎はこれに関わることはできぬ。》天黎の声だ。《我とて維月は助けたい。だが、碧黎も今言うたように、力は無限。到底対等ではないゆえな。これは、月と闇、神の問題ぞ。地は関わってはならぬ。碧黎の存在は、維月がどうなろうと変わらぬからぞ。すまぬが、主らは主らでやるしかない。でないと、我は碧黎を眠らせねばならぬからの。》
天黎にしては、控えめな忠告の仕方だった。
碧黎が言った。
《なんぞ、何やら此度はそのように。いつもは禁じるだけでこちらを気遣う様子もないのに。》
天黎は、答えた。
《…聡子が忠告するにしても言い方があると申すからぞ。》天黎の声は、ため息をついた。《我がどう考えてそれを禁じるのか、きちんと説明せよと申す。そして、我がそれに対してどう感じておるのかもの。ただ禁じるから、反感も持つし、面倒な感情も湧くのだと。ゆえ、我は己がどのように感じておるのか付け足して申したまで。基本的に傍観しかできぬゆえ、聡子もイライラしておってな。碧黎がやるのが一番早いのは知っておるが、碧黎とて我らと同じ立場。心地は分かるが、此度は碧黎も我慢のしどころといったところよ。》
碧黎は、黙り込む。
ルシウスが、言った。
《ならば、我が参る。さすれば問題あるまい。我とて行きたいが、主らが知る術のことなら主らに従うのが一番だと思うたゆえ、指示をもらおうと知らせたまで。本来先に見に参りたいと思うておった。》
十六夜が、言った。
《だったらオレも。お前は浄化の力を使えねぇだろ。仮に、そこに闇の力が加わってるのなら、その膜はオレにゃ効かねぇ。》
ルシウスは、答えた。
《ならば共に。仮に我の知らぬ闇が関わっておるのなら、我とてそんな膜は意味はない。我の方が力があるからぞ。では、その場所の上、地上でな。》
十六夜は、頷いた。
《すぐ降りる。》
二人はそこへ向かったが、碧黎のイライラしている気を感じ取って落ち着かなかった。




