痕跡
《…漸と志心が匂いを探してる。》十六夜は、上からそれを見ながら言った。《親父はどうだ?見つけたか。》
碧黎の声は、珍しく憔悴しきって答えた。
《何も。これほどに見えぬのは初めてぞ。面倒な術など作りおってからに。間違いなくおかしな術であれらを隠しておるのだ。ゆえに仙術は嫌いなのだ。》
碧黎が、何かを嫌いだとハッキリ言うのは初めてだ。
十六夜は、本当に何も見えないのだとため息が出た。
《…ルシウスは?何も見えねぇか?》
ルシウスの声が答えた。
《見えたらすぐに知らせておるわ!維月が…維月が消滅するやも知れぬのに!何を落ち着いておるのよ、主は!》
こちらは碧黎よりさらにイライラしているようだ。
十六夜はまたため息をついた。
《イライラしても始まらねぇからだ。というか、オレ、昔からなんだけどよ、維月と分断されても対で生まれたからか、なんとなく維月の心情が伝わるっていうか、勘?みたいなのあるんだ。あいつは今、別に危機迫ってないっていうか。イライラしてる感じ。だから、まだ大丈夫っぽい。》
え、と二人の意識が十六夜に向いたのを感じる。
ルシウスが、言った。
《何と申した?維月は気を失うリスクの中で落ち着いておるのか?》
十六夜は、頷いた。
《そう。だから、多分大丈夫なんじゃないかって。分からねぇけどな。とりあえず閉じ込められてるからイライラしてるけど、今死ぬもう死ぬって感じじゃねぇの。だから落ち着いてられるっていうか。》
碧黎は、言った。
《あのな、今は大丈夫でも先はどうなるか分からぬだろうが!今死ぬとか思うた時には間に合わぬわ!》
ルシウスも、言った。
《そうよ!主は楽観的過ぎるのだ!》
だからそこまで命の危機を感じてねぇ状態なんだってば。
十六夜は思ったが、何を言ってもこの二人にはやぶ蛇なので、もう何も言わないことにした。
維月が囚われているのは確かで、何やら自分を探しているように思えるのだ。
どちらにしろ早く探し出してやらにゃ。
十六夜は、また地上に目を凝らしたのだった。
膜の中の気は、膜が維月と多香子の気を吸ってかなり少なくなって来ていた。
二人は、もっと温存できたのだが、話し合ってしたい放題消費し、灯りの光も出して早めに穴が開くかどうか問題を解決しようと決めたのだ。
人の頃ならもう窒息する、と言うような事態だが、維月は待った。
自分を生かしておきたいのなら、ここで気を尽きさせるわけには行かないはずなのだ。
「…そろそろか。」
多香子が言う。
維月が頷くと、何の前触れもなく、膜の外を漂っていた霧と共に、命の気が上の方からサーッと流れ込んで来た。
「…開いた!」
維月は言うが、多香子は立ち上がってサッと霧を避けようと動いた。
が、霧は多香子の足元に流れて、何の興味もないように無視していた。
代わりに、維月を認識して嬉しげに纏わりついて行った。
「ああ、やっとあなた達に会えたわ。そうなの、閉じ込められていて。外の様子はどう?ルシウスには知らせられないの?」
維月は、霧に手を差し出してそれを撫でるような仕草をしている。
向こう側の膜の中では、ルキアンがそれを驚いた顔で見ていた。
維月は、じっと霧に手を突っ込んで何かを探っているようだったが、言った。
「…この子達は、意思を持ち始めている霧だわ。本来なら、ルシウスはそんな霧は闇に成長するかもと、気取ったら念のため消しておったの。でも、こうして長く漂って意思を持ち始めたということは、ルシウスにはこの子達が気取れていない。そして、ここはもう一つの膜の中なのだわ。」
多香子は、霧におののきながらも言った。
「ということは、我らは膜の中にさらに膜に籠められている状態なのだと?」
維月は、頷く。
「その通りよ。この子達は、中に籠められているのだそうよ。ここは大きな空間で、この外には行けないのだそう。時々に外から気が入って来るけど、その時外へ出ようとしても、その上に大きな膜があって阻まれた上、またここへ押し込まれるんですって。この相手は、とても狡猾なのよ。この状態を見た霧の思考をルシウスが読まないように、この子達まで外に出さずにいるのだわ。ルキアンの気が外へ出なかったのもそのためね。膜のなかの膜に囚われていたからなのよ。」
ルキアンが、言った。
「だから、我は誰にも気取られずに。」
維月は、頷いた。
「その通りよ。では、その相手の姿は…。」
維月は、また霧を見つめた。
霧達は、恐らく維月に何かを話しているのだろう。
そんなことをしている間に、気が潤沢になったかと思うと、また上の穴が閉じたのか、霧の流入が止まった。
維月は、構わず言った。
「…見えない、って。」多香子が驚いた顔をすると、維月は続けた。「相手の姿は見えない、と。霧の見た映像を見せてくれたけど、確かに暗い中で他の霧達に紛れて真っ黒で、相手の姿は見えなかったわ。そもそも人型でいるのかもわからない…何も見ていないの。」
多香子は、ため息をついた。
「では、外へ知らせる方法はないの。あちらが気取ってくれぬ限り。」
維月は、頷く。
「そうね。でも、とりあえずは私達を生かしておこうとしておるわけでしょう。こうして、気を定期的に補充してくれることも分かったわ。霧達も一部が今は中に入ったし…この子達から、ちょっと他にも様子を聞いてみるわ。」
維月は、霧達を自分の回りに集めて、何やらうんうんと頷いて、霧の話を聞いているようだ。
多香子は、聞いてはいたが目の前で霧を自在に操る維月にまたため息をついて、そうしてそんな様子を眺めていたのだった。
漸と志心は、難航していた。
というのも、やはりかなり僅かな匂いでしかないので、風に流されたのかあちこちに散った状態で、ほんの僅かしか匂いが気取れないのだ。
それこそ、匂いの粒子が個別にあるのを気取っては、それに続く粒子がないので追えずに戻るの繰り返しだった。
それでも漸は良い方で、志心にはそんな粒になった粒子一個など気取れないので、宙で立ち尽くすよりなかった。
維心はさらに何もできずに、ただそれを上から見ているだけだった。
そこへ、義心がやって来て言った。
「王、こちらでしたか。イゴール様と話して参りました。」
維心は、義心を見下ろした。
「ご苦労だった。それは?」
義心が手に持つ包みを言っているのだ。
義心は、答えた。
「これは、行方不明のベンガルの、残りの一人の着物でございます。もし匂いを追えるのなら、探し出せるやもと思いまして。」
維心は、ため息をついた。
「主が言うた通り、確かに匂いは膜から漏れておるようだが、ほんの僅かなのだ。それが風に流されておって、時が経った今では追えずにおる。目の前に居たなら、恐らく主よりハッキリあれらには分かるのだろうが、連れ去られた今となってはの。」
義心は、やはりあの時側に維月が居たのか、と、暗い顔で下を向いた。
「…我が、あの時追えておったなら。申し訳ありませぬ。」
維心は、息をついた。
「良い、主の責ではない。そも、匂いだけでも僅かに漏れることが分かったのだから良かったのだ。」
そこへ、志心が捜索をあきらめたのか戻って来て人型になった。
「ダメだ。いくら探っても我には限界ぞ。漸があちこちしておるが、僅かな匂いの粒子さえ、あやつには気取れるゆえのこと。我にはここまで分散してしもうては気取れぬ。」
維心は、頷く。
「それでもここまでは追えたのだ。我らより優れておる証拠ぞ。」と、義心が手に持つ包みを指した。「それ。見つかっておらぬベンガルの着物だそうよ。こやつを見つけたら、もしかしたら側に二人も隠されておるやも知れぬ。維月の方が手詰まりならば、一度こちらを試してみるか。」
志心は、息をついた。
「その方が良いやもな。そやつが見つかれば、そやつの口からいろいろ聞ける可能性もあるしの。」と、下を見た。「漸!とにかく戻れ、今度はこちらぞ!」
漸が、こちらを見上げた。
《なんぞ、他に何か?》
維心が、説明した。
「ベンガルぞ。行方不明になっておる残りの一人の着物。主、これでそやつを追えるか。」
漸は、犬の姿のまま寄って来て、義心の手にある包みにそのまま鼻を突っ込んで匂いを嗅いだ。
義心がびっくりしながらもそのまま落とさず着物を持っていると、漸はそこから顔を出した。
《…む。これは覚えがある。そこかしこにあったような。今も神のような人のようなおかしな匂いだなと思うておったのだが、これはそれの神を強くしたような匂いぞ。混じっておるが、間違いない。》
維心が、驚いた顔をする。
「え、そこかしこに?どこぞ。」
漸は、頷いて走り出した。
《こちらぞ。そちらの岩場の方から、あの、人が作った長い一本道の途中まで。この匂いは別に膜に入っておるわけでもなく、ハッキリしておってな。ついて参れ。》
維心は頷いて、志心と義心と共に、地上を走って行く漸について、飛んで行ったのだった。




