暗い場所
その頃、維月と多香子は相変わらず暗い中で、どんどんと地下へと向かっているのを感じていた。
広い荒野を見た時に、そこが元の不干渉地域の近くであるのを維月は感じ取り、その辺りで地下へと入ったので、今は距離感が掴めない。
だが、方向から不干渉地域に入っただろうと思われた。
「…多分、この辺りは元不干渉地域だわ。」維月は、多香子に言った。「こんな形で来ることになるとは思わなかった。」
多香子は、頷く。
「我とてそうよ。世界とは広いものだが、こうしてみるとどこも大して変わらぬの。広いだけで、余程島の方が良いかと思うた。あちらは人も穏やかだし…何やら、ここらの人は騒がしかった。地下へ入ってホッとしたもの。」
人の町の近くも通り過ぎたからだろう。
そこには、霧も多く発生していて、神である多香子には、耐えられない事態だっただろう。
だが、霧はこちらに気付く様子もなく脇を通り過ぎるばかりで、膜の中に居たら安全なのだが、それでも近くで見る霧は、多香子にとっておぞましいことこの上ないようだった。
維月は、言った。
「このままどんどんと地下へ行けば、霧が溜まっておるから地上より面倒かもよ。ここらはあまりないみたいだけど、奥へ進むと…そうやって、地下に溜めることで地上の霧を調整しておるから。」
多香子は、身震いした。
「誠か。主が居ったら大丈夫だと分かってはいても、やはりあれには悩まされて来たからの。憑かれたらと身に怖気が走ってならぬ。」
維月は、苦笑した。
「神にとってはそうでも、私にとっては助けてくれる有難い存在なの。とても言う事を聞くし、いろいろ便利なのよ。まあ、私が居ないと誰かに憑いて、その気を消費しながら寄生して暗い考えを増幅するのが習性だからそうしてしまうのだけど、私の言うことには絶対に逆らわないから。」と、膜の外に見える暗闇の中で、通り過ぎる霧を見つめた。「…今は、あなたもこの霧に気付いてもらった方が良いのよ。だって、そうしたらルシウスが私達の居場所を知って、皆に知らせてくれるだろうから。こうして膜が通り過ぎるのも気付かず、霧が私を無視しているなんて…何か、大切な物を失った気持ちになるわ。私の力って、これらに動いてもらっていろいろさせることで大きく見えていただけ。こうして囚われて分断されてみると、思い知らされる心地よ。」
多香子は、維月が言うように暗闇の中で増えて来ている霧を見ながら、言った。
「主にしてはそうやもしれぬ。だが、我にとり憑かれたら終い、王に処分される面倒な代物だった。なので、己を律して隙を作らぬように生きて…膜のせいで霧の気配が感じられぬのは、良かったのかもしれぬ。感じ取れたら、狂うやもな。」
そうか、犬神達は籠っていて、月とは交流がなかったから。
維月は、それを聞いて思った。
恐らく籠っていたあの場所にも霧は側近くにあっただろう。
憑かれる神も居たはずだ。
そうなった時、王がその神を処分して、被害が広がるのを抑えたのだろう。
今は、そうではない。
維月は、答えた。
「…それなら、あなたが警戒するのも分かるわ。でも今は、仮に憑かれても十六夜が居るし。そもそも私が居るのに勝手なことはしないから。安心して。」
多香子は頷いたが、それでも触れるはずのない外の霧から、少しでも離れようと身を縮めている。
維月は、どこへ運ばれるのだろうと、ため息をついて真っ暗な地下を眺めていた。
そうしてしばらく、どこか広い空洞のような場所へとたどり着いたかと思うと、不意に膜の移動は止まった。
真っ暗なので何も見えないが、維月は回りを見回してから、少しだけ気を使って光を作った。
すると、そこは思った通り広い空洞の場所で、辺りの暗さはほぼ霧のせいだとわかった。
神の目なら少々暗くても難なく見えているのだが、あまりにも見通せないのでおかしいと思っていたが、霧のせいだったのだ。
多香子は、言った。
「良い、無駄に気を使うでない。」
維月は、頷いて光を消した。
多香子は続けた。
「…何故にここへ。このまま放置して死ぬのを待つつもりかの。」
維月は、首を傾げた。
「どうかしら…分からないわ。」
外からはこちらが見えないのだろうが、こちらからは外はよく見えているはずだ。
暗いのでわからないが、かなりの広さの空洞のようだった。
「…移動してみようか。」維月は言う。「足元に気をつけて。」
多香子は頷いて、そっと立ち上がる。
膜はあるが、維月と多香子が歩き出すと、それについて膜も移動して難なく動き回ることはできるようだった。
膜の存在には気付いていないようだったが、霧は膜の移動に合わせて押されて辺りを漂う。
維月と多香子がここがどういう場所なのか調べようと、足場を見付けながらゴツゴツした岩の上を慎重に歩いていると、霧がまた移動した先に、玉のような物に籠められた何かが、小さな光を灯して中で座っているのが見えた。
「…あれ、あれは?」
維月が言うと、あちらはハッとしたようにこちらを見た。
若い男で、歳の頃は百年そこそこ、まだ成人していない人型だった。
「…誰か居るのですか。」
相手の声が聴こえる。
維月は驚いた…ここまで、回りは見えても外の音までは聴こえなかったからだ。
「…あなた、聴こえるの?見える?」
相手は、手の中の光を大きくして、こちらを見た。
そして、驚いた顔をした。
「女の方がどうしてこんなところに?ここは地下深い場所で…もしかしたら、あなた方も拐われて?」
維月は、聴こえるんだと急いで言った。
「聴こえるのね。我らは白龍の宮の庭から拐われて参ったの。あなたは?」
相手は、答えた。
「はい、我はベンガルの城に仕える親のもとに居た、ルキアンと申します。仲間と共に元不干渉地域の見学に来て、何かに襲われて気が付くとこちらに居て…もう、かなり長い間こちらに居るように思います。ここに居たら、昼も夜も分からぬので。」
やはりルキアン…!
維月は、言った。
「ならば、あなただけが助かったのね。他の4人は地下深くで生気を吸い取られて見付かったわ。でも、聞いたところではあなたは金髪で青い瞳だったと。あなたは茶色の髪ね。」
ルキアンは、驚いた顔をした。
「誠に?己の顔を見てはおらぬから…しかしながら、己が己でないようで。時々にあちこちが痛みますので、その度に見る我の体は、知らぬ痣などあったり…体格は似ておるのに、別の体のような気がする時がございます。ですが、時に痣が消えて、やはり己かと思ったり。段々に狂うておるのかと、己でも恐ろしくなって来ていたところでした。」
維月は、頷いた。
「長く籠められていたらね。私は、陰の月の維月。こちらは、犬神の多香子殿。今は月とは分断されておって、誰にも知らせることができないの。でも、この膜には覚えがあって。あなたもベンガルならば、知っておるでしょう。相手の気を操る、王族に伝わる術よ。これは、それではないかと思うのよ。灯りのために気をあまり使うのは危険よ。」
ルキアンは、戸惑いがちに頷いた。
「はい。その術は知っております。ですが王でなければ、術を放つのは無理なはずです。それに、我の曾々祖父が皇女を賜り、曾々祖母が王族であったので、我にはその術を解く力があるはずなのです。僅かばかりの王族の血ですが、術を解くぐらいはできるはず。ですが、できぬのです。」
維月は、頷いた。
「恐らく別物にされておるのね。それを模して仙術を作った神が、昔に居たの。恐らく、そのせいで本来の術とは違えていて、あなたには解けないのだわ。」と、多香子を見た。「多香子、やはりこれはベンガルの王の仕業ではないわ。誰かがまた、新しい仙術を編み出したのだと思うと妥当よ。」
多香子は、頷く。
維月は、またルキアンを見た。
「ルキアン、とにかく気を温存するべきよ。長く籠められているにしては元気そうだけど、膜の中の気は大切に使わないと。尽きたら補充できなくなるわ。」
しかし、ルキアンは首を振った。
「それは問題ありませぬ。」え、と維月が目を丸くすると、ルキアンは続けた。「時々に、膜に穴が開いてそこから呼吸をするように気が補充されまする。我は、その隙にと必死に外へ気を放って居場所を知らせようとしましたが、未だに誰も来ないのです。誰も探してくれていないのだと絶望していたのですが。」
膜に穴が…?
多香子と維月は、顔を見合わせた。




