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失踪

十六夜は、わざと人のふりをして地上へと降りた。

その途端に、回りに漂っていた僅かの霧すら霧散して行き、辺りが綺麗になる。

だが、人にはそんなものは全く見えないので、特に問題はなかった。

あの人の男の名は、ニコールと言った。

毎日真面目に働いて、母親を養っていたのに、今は家に籠って出てくる様子もない。

十六夜が、その家の前で中を覗き込んだりしていると、そんな様子に気付いた、隣りの家の男が出て来て、小声で言った。

「…あんた、ここのニコールと知り合いか?」

十六夜は、その男を見て答えた。

「あ、いや前に荷物を運んでもらってな。向こうの町から来たから、ちょっと挨拶でもって寄ったんでぇ。」

相手は、さらに小声で言った。

「だったら、やめといた方がいいぞ。」十六夜が眉を寄せると、男は続けた。「あっちの町の人なら知らないだろうが、ここの奴らは悪魔に魅入られたってもっぱらの噂だ。」

十六夜は、驚いて両眉を上げた。

「え、悪魔だって?」

男は、慌てて指を立てて自分の口に当てた。

「こら、シーッ!大声出すんじゃない。」と、小声で続けた。「母親がな、市場でいきなり倒れたんだ。そりゃあおぞましい様だったらしいぞ。それを見ちまった何人かはみんな具合を悪くしてて、心を病んで教会に入り浸ってる。」

十六夜は、男に合わせて小声で言った。

「…おぞましい様って?」

男は、顔をしかめたが、言った。

「なんでも、一瞬のうちに干からびて、枯れ木みたいになっちまったんだってさ。よく太った女だったのに、一瞬でだぞ?悪魔の仕業だって、みんな避けてた。ニコールの髪を切ってたハンスだって、突然店で倒れて枯れ木になって死んだ。こいつに関わると危ないって、みんな口をききたがらないんだ。オレだって、引っ越そうと思ってた。」

十六夜は、え、と言った。

「思ってた?」

男は、頷いた。

「昨日の事だ。ハンスが死んで、いよいよあいつだと町のみんながここへ押し掛けて町から出て行ってもらおうと、牧師さんを先頭に、決死の覚悟で家の中に入ったら、もぬけの殻だったんだ。あいつはとっくに逃げ出して、どこかへ行ったらしい。まあ、オレもホッとしたんだがな。」

どこかへ行ったと。

十六夜は、見てなかったと内心舌打ちをした。

やはり、ニコールには何かあるのだ。

「…すまねぇな。じゃあ帰るわ。話を聞かせてくれてありがとよ。」

男は、頷いた。

「いや、あんたなんかめっちゃいい匂いするし、なんか気分が良くなったよ。あいつをどこかで見掛けても声をかけたりするんじゃないぞ。じゃあな。」

オレっていい匂いがするのか?

十六夜は思って、思わず自分の匂いを嗅ぎたくなったが、我慢した。

そんな十六夜の様子に気付かず、男は話すだけ話したら満足したのか、家へと入って行った。

十六夜は、そんな事よりこれはまずいことになってるんじゃないかと、急いで月へと戻って行ったのだった。


維月は、維心と共に龍の宮に残り、その日はそこで過ごすことにした。

どうせ、夜になれば維心は月の宮に渡って来るので、その方が維心にとっても都合が良いだろうと思ったのだ。

維心は、昼の会合の時間だったが、そんなわけで今日は臣下に任せて出て行かないことに決めたらしい。

維月と二人で庭を眺めながら、果たしてもう一人はどうなったのかと、そんなことを話して時を過ごしていた。

すると、十六夜の声が焦ったように話し掛けて来た。

《おい、ヤバい!なんかヤバい気がする。》

二人は、驚いて空を見上げた。

「え、何が?」

維月が言うと、十六夜は答えた。

《地上に行って来たんだがよ、そこであの人の男…ニコールって名前なんだが、そいつの家を見て来たんだ。そこで隣りの家の男が出て来て…》そこで、十六夜はハッとしたように続けた。《…そう言えば、オレって良い匂いがするのか?》

何の話だ。

二人が顔をしかめる。

維月が答えた。

「匂い?それはいい匂いでしょうよ、だって、私が合わせた香を焚き染めた着物を着てるもの。髪にも肌にも染み付いてるんじゃない?それが何?」

十六夜は、答えた。

《まじか。自分じゃ分からなかった。その男がなんかいい匂いがするとか言うからよ。》と、またハッとして言った。《あ、いや、そうじゃねぇ。その隣りの男が、話してくれた。結論から言うと、あいつはもうあそこに居ねぇ。気を探って見たが、引っ掛かって来ねぇんだ。》

維心が、眉を寄せた。

「…母親を亡くしたからか?」

十六夜は、首を振ったようだった。

《まあ、大きな意味ではそうなるんだが、そうじゃねぇ。悪魔に魅入られたとか言われて、つま弾きにされたんでぇ。だから、あそこに居られなかったんだと思う。》

維月が、口を押さえた。

「え、悪魔?!」

あの辺りでは、闇を悪魔と言うのではなかったか。

維心もそう思ったのか、言った。

「もしや闇がルシウスの見えない所で発生しておるのではないのか。」

十六夜は、答えた。

《分からねぇ。というのも、あいつは被害者なんだ。母親が市場で倒れて、皆の前でみるみる枯れ木みたいになっちまったらしい。大勢が目撃して、それで心を病んで教会の世話人なってるとかで。他にも、ニコールの髪を切ってた店のハンスって男も、同じ死に方したみてぇでな。みんなニコールのせいだって、追い出そうとしてたらしい。だが、ニコールはその前に居なくなってたみてぇだがな。》

維心と維月は、顔を見合わせる。

それは、被害者とはいっても本人が無事であるなら、もしかしたらニコールが原因なのではないのか。

「…それは、本人が知らぬだけでもしや闇が憑いておって回りがそんなことになっておるのではないのか。」

十六夜は、答えた。

《人の気なのにか?》十六夜は、顔をしかめたようだった。《あいつは、何度も言うが人にしては大きいってだけで、普通の気の色だったぞ。オレの月の力は自動機能で闇を気取ったら止めない限り勝手に消す。それも発動しなかった。そもそも母親が死ぬまで、普通に生活してたんだ。あいつが闇なら、回りは今頃全員枯れ木だ。なんでそんなにピンポイントに母親と馴染みの店の男だけ殺すんだ。おかしいだろ。》

まあ、そうなんだけど。

維月は、口を押さえたまま、言った。

「でも…今のところそれしか手懸かりはないわ。その子が知らないところで、闇が勝手に何かしている可能性があるもの。でも…闇に憑かれて死なない人なんか知らないしなあ。欠片だったら分かるけど…かなり昔、裕馬が憑かれてたものね。」と、そこまで言ってから、ハッとした。「ちょっと待って。もしかしたら、欠片?この前の闇、ほら、私が記憶をちょっと持ってかれたあの闇よ。あいつはあちこち分散して生きてたけど、もしかしたらその欠片が残ってたとかない?十六夜、全部消した?」

十六夜は、うーんと唸った。

《気取れたところは全部消したけどな。ルシウスだってアレで全部って言ってたし。後はお前の中に封じたものだけって言われて、それもオレは跡形もなく消した。まだ残ってたって言うのか?》

維心は、割り込んだ。

「それは、主らにしか分からぬだろうが。我らには、そんな細かいところまで気取れぬ。側にあれば別だがな。とはいえ、主はその男の中に闇を気取らなかったのだろう。ならば、その男の側に闇は潜んでおるのやも知れぬ。その上で、ある程度の気があるので利用しておる可能性がある。問題は、主らがそれを気取れておらぬことぞ。何やら面倒な知識を持つ闇なのではないのか。」

そう、気取れない。

もしそうなら、闇の王であるルシウスにすら気取れていないと言うことになるのだ。

「…では、維心様はこれは神ではなく闇の仕業であると?」

維心は、ため息をついた。

「そも、その死に様がの。神でもできるが、神がそんな殺し方はせぬだろう。もちろん、闇との共存云々考えておる輩なら、闇のせいにしたいだろうからやるやも知れぬが、あの辺りの神がそんなことをするか。闇の本当の怖さを知っておるのに?」

確かに長年苦しめられて来たのに、今さらまた対抗しようとは思わないだろう。

維月は、何が起こっているのかと、ただ不安に思って空を見上げていたのだった。


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