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月の宮での生活

それから、松と漸は帰ったが、多香子は月の宮に残って客間に入り、毎日維月と過ごした。

こうしてみると、維月はくるくるとよく動き、あれこれ気ままに過ごしていて、いきなりやって来る父親だという碧黎や、兄の十六夜と話したりと、気楽に過ごしていた。

多香子と二人で学んでいる最中でも、月の眷属達はお構い無しに突然目の前に現れて、言いたいことだけ言って気が済んだら去って行く。

そんな毎日なので、多香子も突然目の前に誰かが出現することにも、すっかり慣れてしまっていた。

維月は、白虎の宮の構造も詳しく知っていて、その奥をどう取り仕切れば良いのか、具体的に例を上げて教えてくれた。

特に最上位3位の宮なので、会合の場に設定されることも多く、その時の客の導線や、案内の臣下の配置など、それは詳しく教えてくれて、とてもためになった。

維月は、思っていた以上に優秀で、ただ王に愛でられているだけだと思っていた王妃という職業が、思った以上に多くのことをこなしている事実を多香子は知った。

維月は、今日も紙にあれこれ白虎の宮の地図を書いて、教えてくれていたところで、一息ついた。

「…まあ、これぐらいかしら。」と、筆を置く。「これまで私があちらの宮にお邪魔した時に見ていたやり方なので、これがあちらの宮の方針なのだと思うわ。なので、あなたもこのように指示したら、臣下も違和感なく従えると思うの。宴の席の花などは、己で選べば良いのよ。好きなように宮を飾れるので、楽しいわよ。」

多香子は、頷く。

「誠に妃とはいろいろなことをやっておったのだな。我は、ただ王に媚びているだけの存在かと思うて…あの頃の松に謝りたい心地よ。軽く考えておったわ。」

維月は、苦笑した。

「誠に。何もしなくても咎められない地位ではあるけど、やった方が臣下の心象は良くなるし、過ごしやすくなるわ。陰口を叩かれることもないしね。昔は王妃とたくさんの妃達で割り振っていたので、これほど一人でこなす必要もなくて、遊んでおるだけの妃も居たようだけれど。今は一人二人ぐらいなので、皆学んでおく必要があるの。あなたは覚えが良いから、教え甲斐があるわ。どこかの皇女であってもおかしくないわよ。私はこれだけ学ぶのに何百年掛かったことか…我が王には、本当に頭が下がる心地よ。」

元は人で、月に上がったのだという。

それから、一度闇と戦って命を落とし、再び戻ったのだと聞いた。

維月にとって、いきなり龍王に見初められて妃にとは、かなりの負担だったことだろう。

そして、それは龍王からしても同じだっただろう。

それを、コツコツ一から教えて、数百年も掛けて今の状態にしたのだ。

多香子は、ため息をついた。

「誠に…主の努力もさることながら、龍王様にも。長年諦めずに育て上げたのは大したものだと思う。それだけの想いがなければそこまでしまい。それほど想われるとは、羨ましい限りぞ。」

維月は、頷いた。

「誠に維心様には、私ができることは何でもして差し上げたい心地になるものよ。とはいえ、あなたも。志心様はそうそう女神を娶るなどと言わない王であられるのに。望まれるのは大変なことなのよ?侍女達がどれ程に残念に思うておるものか。あの方は品もよろしく落ち着いていて、人気が高かったから。」

多香子は、苦笑した。

「そんなに良いものでもないのよ。」え、と維月が驚いた顔をする。多香子は続けた。「あの方は、落ち着いて過ごしたいと申した我の心地に共感してくださっただけ。愛情などはこれからぞ。我とて、対等に話して落ち着いて過ごせる相手が欲しいと申されるあの方の、求めに応じてみようと思うただけなのだ。お互いに、もしも愛せたら、と、試しに嫁ぐというだけ。そこにはまだ、愛情はない。」

維月は、多香子をマジマジとみつめて、言った。

「あなたはそれで良いの?そんな、試しに、ということにこんなに努力をして学んでおるけど。」

多香子は、答えた。

「とりあえず、やってみようと思うからぞ。あちらも我を愛せるように努力すると仰った。我もそれに答えねばならぬ。できることはやってみて、無理なら帰してくださると申すし。なので、我はできる限りはやってみようと励んでおるのだ。もし別れるとなった時、我のせいだと言われたくはないしな。まあ、意地もある。」

維月は、何に対しても真摯に対する多香子に、さらに好感を持った。

多香子は本当に努力家で、何事にも一生懸命なのだ。

「…やっぱり、私はあなたが好きだわ。」え、と多香子が仰天した顔をするのに、維月はフフフと笑った。「だから性愛対象じゃないわよ?友として好ましい性質だなって思うの。あなたがそう思うのなら、いくらでも助けてあげるわ。私のできることはね。」

多香子は、微笑んで頷いた。

「心強いことよ。我とて素がそれなのに完璧に振る舞う主のことは尊敬しておるし、好感は持っておるぞ?そういう相手と言われたら、断るやも知れぬがの。」

二人は声を立てて笑い合ったが、ふと維月は空を見た。

そして、何かをじっと見ている。

こんな時は、大体何かを月から見ている時だった。

「…誠に?ならば残りの一人は?」

…何の話だろう。

多香子が思っていると、急に声が聴こえた。

深い、何やら長い年月を感じさせる声で、多香子には艶やかに聞こえて顔が自然、赤くなった。

《…一人は分からぬ。だが、デロイスが見つけたのは4人ぞ。皆干からびて死んでおる。地下30キロの、我らが籠っておったあの洞窟の辺りよ。》

維月は、顔色を変える。

多香子は、言った。

「…何の話ぞ。穏やかではないの。」

維月は、暗い表情のまま、答えた。

「…行方不明のベンガル達なの。全く行方が分からなくて、皆で探しておったのだけど…」と、ハッとした。「ごめんなさい、今の声は闇の王のルシウスよ。私、ちょっと北に行って来なきゃ。多香子、本日はここまでで。また明日ね。」

闇の声はこれほどに魅力的なのか。

多香子は驚いたが、深刻な顔で頷く。

「…気を付けての。」

維月は頷き返して、光に戻ると月へと打ち上がって言った。

多香子は、それを黙って見送ったのだった。


イゴールは、その報告を居間で受け取った。

北のサイラスから、地下30キロなどという深い位置に、4人の遺体があったことを闇が見つけたと知らせて来たのだ。

もう一人の行方は、まだ分かっていなかった。

イゴールは、言った。

「地下30キロなど…そんな場所に、何故に?!」

ゲラシムが苦渋の表情で首を振った。

「分かりませぬ。とりあえず、闇のデロイスが地上まで引き上げてくれたとのことですので、アンドレイが軍神達を連れてそちらへ向かっておる様子。詳しいことは、アンドレイが戻るのを待つより他ありませぬ。」

イゴールは、歯軋りした。

「…闇ではないのか。」え、ゲラシムが顔を上げるのに、イゴールは続けた。「ルシウスが見えていない闇が、それらをそんな場所まで引き込んで糧にしたのでは。それとも知っておったのか?!そうとしか思えぬだろうが。そんな地下深くに…己から行ったとは思えぬ!」

確かにその通りだ。

それは、知らせを受けた時に臣下も皆思ったことだった。

「…とにかく、それらの死因を調べて原因を探るよりありませぬ。王、滅多なことは仰ってはなりませぬ。闇の力はご存知でしょう。もし、ルシウスが知っておってこのようなことをしておったとしても、慎重に。対抗手段など月よりないのですから。抗議するにしても、調べて確かな証拠を揃えて、万全の体勢でことに当たらねば。」

「分かっておる!」イゴールは、イライラと歩き回った。「だが、何故に?!子供相手に…腸が煮え繰り返るわ!」

とはいえ、まだ闇がやったとは決まっていない。

そもそも、わざわざ地下30キロで見つかったなど言わねば、こちらには分からなかったのだ。

それ以上に、そんな場所に居たのだから、隠し通そうと思えばそれができたのに、わざわざ見つけて知らせて来た。

臣下も、怒り狂う王に、躊躇いながらため息をつくよりなかったのだった。

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