交流
そんなこんなで気を揉んでいる回りとは違い、志心は特に取り乱したり騒いだりすることも、ましてや犬神の宮に押し掛けることもなく、落ち着いて過ごしていた。
あの時渡が言ったように、漸は多香子と松を連れてよく白虎の宮や、月の宮へ出掛けては、訓練場で立ち合いをしてみたり、時に多香子と二人で庭を歩かせてみたりと、交流を続けていた。
多香子は後ろ向きだったが、漸がまだ決めるでないと止めるので、志心と二人になっても、松と二人で考え抜いた、断りの文言を言えずにいた。
志心も多香子に自分から婚姻の話を振って来ることもなかったので、ついつい時を過ごしてしまっている状況だった。
そんな中で、時は過ぎて花見の季節になった。
例年通り月の宮での花見なのだが、そうなって来ると漸は志心の手前、必ず多香子も連れて来るだろうし、共に桜を眺めることもあるだろう。
となると、他の王達にも話さずにはいられなくなる。
それまでに決着をつけておかねばと、回りの方が焦りつつあった。
花見は卯月の3日に決まり、もう一週間後に迫っていた。
例によって維心は月の宮へと通って来た。
今日は、政務も落ち着いていて、珍しく昼過ぎにはここへ来ている。
維月は、維心に言った。
「お花見も7日後に迫って参りましたが、志心様には焦るご様子もないようで。さすがに漸様も、焔様や渡様にどうなったとせっつかれるので、ここのところ詰めて白虎の宮へと多香子を連れて通っておるそうですわ。」
維心は、頷いた。
「知っておる。炎嘉も最近は、漸がやたらと志心になついておるとか言うて、あの二人がそんな仲にと検討違いなことを言うておるわ。我は知っておるが、言えぬしな。困っておるが、花見までにはとは思うておる。何しろ、炎嘉が恐らくたまりかねて漸に問いそうだしの。」
志心が両刀使いなので、確かにそんな話にもなるだろう。
維月は、答えた。
「はい。ここ月の宮にも参るのですが、その時に志心様もお呼び致しますし。余計に知らぬ方々からみたら、そのように。私もその折訓練場へ参って様子を見ておりますが、多香子は少しは慣れておるものの、まだ想うという様には程遠く。志心様にも、本当に娶るおつもりなのかと思うほど、色好いことはおっしゃいませんし。」
維心は、ため息をついた。
「困ったことよ。こちらばかりが気を揉んで。もう、はっきりせよと志心に言うべきかの。あれから一月以上になるだろう。それでお互い違うのなら、ここは一旦白紙が良いのではないのか。志心も誠にそうと思うなら、もっと焦れても良いのにそうではないのだからの。」
維月は、言った。
「お待ちくださいませ、事を性急に進めるのは良くありませんわ。多香子は、ガツガツしたところのない志心様に、少し心を開いておるように見える時もございます。女は警戒心が強いので、難しいところがございますし。今少し時間があればとも思うのですが。」
「その時間がないのだ。」維心は、答えた。「花見があるだろうが。その日、仮に多香子を連れて来ぬとしても、漸は恐らく炎嘉から問われて黙ってはおれぬ。我だって、男との関係を疑われたらさすがにバラすわ。己の名誉に関わるからの。」
確かにそうだよなあ。
維月は、困った。
もうこの際、他の王にもバラして良いのではないだろうか。
さすがにわけを話したら、無理に嫁げとは言わないだろう。
維月の月の視点では、脳裏に白虎の宮にて庭を歩く、志心と多香子が見えている。
維月は、そろそろ突っ込んだ話をしてくれないかしら、とそれを見ながら思っていた。
今日も、多香子は漸から行ってこい行ってこいとせっつかれて、仕方なく着替えて志心と共に白虎の宮の庭を歩いていた。
さすがにこれだけ何度も着替えると、着物にも慣れて来て、松に手伝われなくとも着替えられるようになった。
まだ正装は難儀するが、こんな訪問着ぐらいならさっさと自分で着替えることができた。
とはいえ、志心なのだ。
こうして何度も庭を歩くようになっても、志心は面倒なことは欠片も言わなかった。
もう、娶る気持ちがないのではと思うほどだ。
庭は美しく、花などゆっくり眺める時間もなかった多香子にとって、この時間は穏やかで、段々に楽しく思えて来ているから不思議だ。
何しろ、志心は花の説明など事細かにしてくれて、多香子は新しい世界に目が開かれるようだったのだ。
今日も志心はそれはすっきりと美しく、犬神の宮で育った多香子には珍しい真っ白な髪に青い瞳で、眺めているには癒される。
花のような男だ、と多香子は思っていた。
だが、立ち合いの時の様を見ていると、とても花とは言い難い。
多香子相手の時にはそれほどでもない志心も、漸相手に戦っている時の目の鋭さは、この内にはかなりの激しい気性を秘めているのだと思わずにはいられなかった。
…我など見合わないだろうに。
多香子が思って小さくため息をつくと、志心がこちらを向いた。
「どうした、疲れたか?」と、少し先にある、藤棚の方を見た。「あの下に椅子があるのだ。そこで休もう。」
疲れたわけではないのだが。
多香子は思いながらも、志心に従ってその藤棚の下へと歩いた。
そこに並んで座ると、志心は言った。
「あちらの梅が見えるか?」と、そこから遠く見える梅の林を指した。「あれは香の材料のために育てさせておってな。今年も良い実ができた。主にもやろうの。加工は必要だが、手を掛けたら良い香になるのだ。この間の梅香の礼ぞ。」
多香子は、合わせて持って来いと言われて、漸に材料を分けてもらい、任務の合間に合わせたあれを思い出した。
間に合わせに急いで合わせたので、多香子としても納得していない。
非番の時に自分のための香を合わせるのは常だったが、そっちを持って来たら良かったと後で思ったほどだった。
「ありがとうございます。ですが、あれは我も納得しておらぬ香で。時があれば今少しましな物をお合わせできるのですが。」
志心は、首を振った。
「時がない中で合わせたにしては良いできだと我は思うておる。ところで今日は、その着物にはこの前我が贈った香を焚き染めてくれておるのだな。」
言われて、多香子は少し顔を赤くした。
「これは…こんな良い香りがと、驚きましたもので。」
上品でありながら艶やかなそれは、多香子にとっても衝撃で、大切に焚いているのだ。
思えば自分は、こんなことが好きなようだった。
「軍務ばかりであったら、なかなかに香合わせの会など出ることもなかったろうし。我らはよう、集まって香合わせなどするのだ。他にも良い香はたくさんある。主にも利かせてやりたいものよ。」
王族達が合わせた香か…。
多香子は、他にもこんな香りがあるのだと思うと、俄然利いてみたくなった。
とはいえ、自分など身分もない。
なので、言った。
「我などには敷居の高いお席でありまする。何も弁えぬ身分であるので…。」
残念だが。
多香子が思って息をつくと、志心は言った。
「…我の妃には、なろうとは思わぬか?」え、と多香子は顔を上げた。志心は続けた。「無理強いしてはと黙っておったが、主は博識であるし、充分妃としてやって行ける。何より、興味の対象を見ておったら、軍神など面倒な立場だろうて。これからは、我の奥へ入って共に楽や香を楽しまぬか。」
これまで、何も言わなかったのに。
多香子は、思った。
志心は、多香子が何を好んで何ができるのか、この間に見極めていたのだろう。
その言葉に、それを悟った。
…お断りせねば。
多香子は、思った。
松と必死に考えた文言は、全て頭に入っている。
多香子は、意を決して顔を上げた。




