風呂にて
「…我をと、誠に仰っておられるのなら、有難いことでございます。」多香子は、言った。「とはいえ、男と申すものは、どんな身分であろうと安易に信じられぬもの。ましてあのように酒の席で酔ったついでにとは、誠の心だと信じられぬものでございます。その上、こちらの神は何人もの妻を娶ることができるのだとか。あちらのように、一人に一人と決まっておってもあちこちするのに、何人も傍に置けるとなれば、こんな変わり種も加えてみるかと、安易な心地であるのでは、と、我としてはお受けすることなど考えられぬのでございます。とはいえ、この歳でありますし、大勢のうちの一人だと言われても別に今さら何とも思わぬのですが、それでもぞんざいに扱われるのは我慢がなりませぬ。我は、落ち着きたいとてお互いに信頼し合って安心して過ごせる相手を探しておるのです。」
維月は、多香子なりに考えているのだ、とそれを聞いて思った。
なので、頷いた。
「心地は分かります。つまり、あなたは落ち着いて終生共に居られる殿方を探しておるだけで、王の妃などという地位が欲しいわけでも、ただの収集物の一人として迎えられたいわけでもないという事ですわね。」
収集物という言葉には驚いたが、確かにその通りだ。
多香子は、なので頷いた。
「はい。身分より何より、我はお互いに尊重し合って終生過ごせる相手を見つけたいと思うておるだけなのですわ。別に複数居ても、相手が我を尊重してくれておるなら良いのですが、そうはならぬ様子でありますし。正式に申し出て来られたら、どう断ったものかと今から考えておる次第でございます。」
維月は、息をついた。
確かに、多香子から見たらそうなるだろう。
そも、志心がどういうつもりで多香子を娶ろうとか言い出したのか、分からない維月からは、これ以上志心を庇うような事は言えずにいた。
維月は、ため息をついた。
「…まあ、あなたが決めることでありましょうし。我が知る志心様は、決して面倒なかたではない、とだけ申しておきますわ。我が王は、龍王であられるので大変に激しい様で、あれこれ問題を起こされたりもあるのですけれど、志心様はそれを何とか宥めて場を整える役をしてくださるかた。我からしたら、良いご縁だとは思いますけれど、犬神の宮はまた勝手も違うと聞いておりますしね。松はよう分かっておるでしょうし、ようよう話し合って決めると良いと思いますよ。」
段々茹って来た。
多香子も、松も維月に倣って岩へと座った。
松は、言った。
「我ではどこまで力になれることか。誠に志心様が本気で来られたら、王とてお断りになれぬでしょうし、多香子も宮のために嫁ぐより無くなるかと思うのですが。」
維月は、息をついた。
「それは誠に。とはいえ、志心様にはそのような強引な事をなさる神ではありませぬ。案じる事はないと思いますが、もしどうしても困ったことがあれば…そうですね、嘉韻に。この宮の筆頭軍神で、主らは知っておるでしょう?貫から、嘉韻に取次を頼んでくれますか。そうしたら、我が話しを聞くことができますから。指南がどうのと申して、こちらへ参れば良いのです。我はこちらでは自由にしておりますから、龍王妃であった時より安易に訓練場にも出て参れます。ようよう困った時には、そのように。よろしいですか?」
多香子と松は、ホッとした顔をした。
「はい。では、貫から嘉韻殿に知らせを送らせましょう。その上で、こちらへ。」
維月は頷いて、タオルで前を隠して、立ち上がった。
「では、我はこれで。王をお待たせしてしまっておるので。あなた方は、ゆっくりなさって。」
もう茹ってしまってるけどね。
維月は言い置いて、そのまま脱衣所へと向かい、急いで着替えて維心の下へと飛んで帰ったのだった。
その少し前、維心は義心を自分の対へと呼んで、宴の席でのことを聞いていた。
十六夜が言っていたように、やはり多香子は軍神としてではなくとも、かなりできる女らしい。
同席していたので、事細かに起こった事を話してくれたので、どんな状況で志心が娶ると言い出したのか、正確に知ることができた。
…本神も言ってたが、本当の衝動的だったようだ。
維心は、眉を寄せた。
そんな様子では、普通の女神でも良い返事を渋るものだが、相手は犬神の宮の女神なのに、もっとそうだっただろう。
これでは志心が本気でも、簡単には娶ることは叶わぬような気がする。
維心は、目の前に膝をつく義心に言った。
「…志心らしゅうないの。とはいえ、すぐに退いたのだな?」
義心は、頷いた。
「は。そこは志心様らしいご様子で、無理強いしようとは思うておられぬのだな、と我は思いました。とはいえ、酒の席でのことでありますし、今も申し上げましたが蒼様が。誠にそう思うのなら、場を変えて正式に漸様に申し入れたらと仰って、場を収められましたので。誠にどうお思いなのか、我には分かりませんでしたが、しかしながら志心様でありますので…戯れで仰ったのではないのではとは思います。」
維心は、息をついた。
「確かに主がそう思うても仕方がない。我は志心に話を聞いて参ったが、本神ですら驚いたと申しておった。那佐が皇子の乳母にとか申すから、それはもったいないと思うてつい、とか言うておった。そも、あれも長く独り身であるし、若い娘では世話をせねばならぬから面倒で、対等に話せる落ち着いた相手が欲しいと思うておったらしいのだ。多香子が、その相手にちょうど良い感じだったので、つい言うたようだったの。別に多香子が否なら良いとか申しておったし、主もこれを他に漏らすなと他の同席していた軍神達にも申しておけ。どこから炎嘉達の耳に入るか分からぬからの。我も焔と那佐に申しておく。那佐は大丈夫だろうが、焔があっさり宴の席とかで言い出しそうだしの。」
義心が頷くと、そこへ風呂上がりでまだ髪も濡れたままの維月が飛び込んで来た。
「維心様!」と、義心が居るのにハッとした。「あら義心。」
義心は、慌てて頭を下げる。
維心は、言った。
「維月、戻ったか。義心から、宴の様子を細かく聞いておったのだ。これへ。」
維月は、差し出された維心の手を取りに、急いで走って維心の隣りへと座った。
維心は、濡れたままの維月の髪に手を翳して気で乾かしてやりながら、言った。
「何か分かったか?多香子は何を言うておった。」
維月は、そうだった、髪を乾かすのも忘れていたと思いながら、維心を見上げて頷いた。
「はい。多香子からしたら、やはり酒の席で軽い調子で申し出られたと、気を悪くしておりました。というのも、多香子は落ち着きたいと思うておるので、自分を尊重してもらえるような相手を探しておるそうなのです。志心様のそれは、とてもそうは思えなんだようで。もし志心様が誠に多香子をと思うておられるのなら、マズい時に申し出られたと思いますわね。」
維心は、頷いた。
「多香子でなくともそんな軽い調子では受けようとは思えぬわな。とはいえ、漸に正式に申し入れると志心は申しておったし、それなりに本気ぞ。ゆえ、できたら志心に嫁いであれを癒してやって欲しいとは思うが、難しいか。」
維月は、答えた。
「とりあえず、志心様の事は良いように申しておきました。ですが、心象は最悪ですわね。もっと誠意をもって説得すれば、もしかしたら受けるのかもしれませぬが、今は全くそんな気はございませぬ。何しろ、十六夜が松を案じてよう、犬神の宮も見ておるのですけれど、多香子は大変に寄って来る男が多い女神らしいのですわ。それなのに、どれもにべもなく断っておるとかで。遊びの関係など、もう良いと思うておるのではないでしょうか。」
維心は、それにも頷いた。
「その通りよ。さっき十六夜に聞いた。そうか、ならばちょっと明日の朝、志心に話してから帰る事にしようかの。どこまで本気か知らぬが、本当に娶りたいと思うのなら、少し慎重に言い寄った方が良いのではと。」と、義心を見た。「主も今夜はもう休め。我も考えておくわ。鵬に、こちらでやることができたゆえ、午前中の予定は午後に移動させるように連絡を入れておけ。」
義心は、頭を下げた。
「は!」
維心は、だから維月に会いに来ただけなのにと、維月の髪を乾かしてやりながら思いつつ、とはいえ志心にも穏やかな日常を向かさせてやりたいと、維心は願っていたのだった。




