外の男
一方、多香子は松に手伝ってもらいながら正装の着物を解きつつ、考えていた。
あの、志心という王は何を言っているのか。
多香子は、眉を寄せていた。
こちらの男は、こと女に関しては下に見ていて、かなり扱いが悪いと聞いている。
最初に雷嘉から話を聞いてから、どうして女がそんなに卑屈にならねばならぬのだ、と眉をひそめていたものだが、確かにこちらの王達は皆男で気が大きく、女は驚くほどに気が小さい者が多かった。
よくそれで生きて来られたと思うほどだ。
松のことにしても、最初に見た時には良い軍神になりそうなあちらには珍しい気の大きさだなあと思ったのに、その実男に媚びて生きているとはなんという自堕落な奴よと、それは蔑んでいたものだった。
男のしたいままにしている松のような女を見ていると、虫唾が走る。
とはいえ、自分はそうはならないと思ってはいても、時々こちらの女がとても羨ましくもあった。
段々に疲れがたまるような歳になって来てからというもの、このまま死ぬまで働き続けるのかと考えると、気が滅入った。
こちらの女は、男の身の回りを整えて相手をするだけで、全ての世話をしてもらえるのだと聞いた時、若い時ならそんなことは真っ平だと言い放っただろうが、今の多香子にはそうは言えなかった。
それで良いなら、そうしたい、と内心思ったのだ。
もちろん、宮では男女の別なく600を過ぎたら働かなくても宮から生活の面倒は見てもらえるシステムになってはいるので、死ぬまで働くという事はないだろう。
だが、そうして退役した後、自分は老いて何を楽しみに生きたら良いのか、たった一人で死ぬしかないのかと、先を考えるようになってしまったのだ。
友だって、早々に退役して相手を見つけて、役目は侍女へと転向し、楽しくやっている。
自分だって、思い合う相手がいたらと思っている。
信じられる男であるなら、もちろんあれこれ身の回りの世話をしても良かった。
それを役目と割り切れば、できないことなどないだろう。
別に大切にしてもらえるのなら、他に相手が居たとしても気にはならない。
こちらの男が、一夫多妻であるからと、そこにはもう、特に気にするような歳でもなかった。
だが、その辺の動物でも拾うのでもあるまいに、あんな酒の席で安易に言い出すということは、あの王は自分をそんな軽い相手と見ているのだ。
女だから、ということだろう。
信じて無理をして勝手の違う宮へと嫁いで、放置されてとなると、生活の保障はあっても心が満たされない。
何のために、そんな気の張る場所へと行くのかという事になる。
多香子は、良い王だと思っていたのに、と、ため息をついた。
あれだけ一介の軍神である自分に、細かく指南してくれる王なのだ。
美しい男というのは、やはり心を許してはいけないということかもしれない。
松が、多香子の着物と髪をすっかり解いて、ホッと言った。
「終わったわよ。険しい顔をして、どうしたの?」
多香子は、むっつりと松を見た。
「…あの、志心という王ぞ。我をそこらの動物でも拾うように。酒の席でからかうにしても、程度があろうが。」
松は、自分の髪からも簪を引き抜きながら、驚いた顔をした。
「え、志心様が?あなた、あのかたに怒っておるの?」
多香子は、頷いた。
「そうよ。いくら一介の軍神だからと。しっかり稽古をつけてくれたので、良い王かと思うておったのに。」
松は、髪をほどきながら、息をついた。
「…そうね、あなたは知らぬから。でも、我はこちらで侍女をしておって、何度も宴の席で歓談なさっておるあのかたを見ておるから分かるけれど、あのかたはそんな安易にあんなことをお口になさる王ではないわ。だから、我も驚いたの。これがもし、焔様ならまた酔われてと驚きもしなかったのだけど。我からしたら、蒼様が仰ったぐらい、あり得ない驚きであったの。」
多香子は、顔をしかめた。
「我には、蒼という王の事もそう知らぬから、主の心地が分からぬ。とはいえ、志心様は誠に軽い王ではないのか?」
松は、今度は帯を解きながら頷いた。
「その通りよ。あのかたは、いつも回りを咎める役目をしておるかた。焔様や漸様は、よう羽目を外されるのでそういったかただと知っておるけれど、志心様だけはいつも品行方正で。なのでこちらの侍女にも皇女にも人気は高いわ。それなのに誰にも見向きもしないで来られたの。理由を仰っておって、だからかと思ったものよ。皆、志心様と会話をまともにできないからなのだわ。多香子なら、できると思われたのでしょう。」
多香子は、中身の襦袢だけになっていたのだが、そのままの格好で椅子に足を組んで座り、考える顔をした。
「…ふーん。だが、そう聞いても酒の場でなど。まともに聞けると思うか。主が見誤っておったのではないのか?」
松は、着物を一気に脱いで、多香子と同じように襦袢姿になって、首を振った。
「いいえ。我がどれほどの時間月の宮で侍女をしておったと思うの。それに、漸様の妃であった時は、何度も同席したもの。あなたも、しっかりと考えておいた方が良いわよ?冗談だと思わずに。もし、明日にでも本当に漸様に正式に申し入れていらしたら、答えねばならないのだし。」
多香子は、とんでもないと慌てて手を振った。
「あり得ぬわ!そも、我が王の妃など。柄ではないのよ、主の様は覚えておるが、そんな難しい地位など、恐ろしくてならぬわ。なぜにこの歳になってそんな気の張る地位に就かねばならぬのよ!」
松は、側の茶器へと寄って行って、茶を淹れながら、首を振った。
「王の面子にも関わるのですし。安易にお断りなどできないわよ?断るにしても、ようよう考えてお返事せねば。文言にも気を遣ってね。」
多香子は、途端に顔をしかめた。
「誠か。我には無理ぞ、主が考えぬか。そもそもこちらの事など深くは知らぬだからの。誠に…こんな事なら此度こちらへ王について来なければ良かったのだ。まさかこんな気まぐれに付き合わされることになろうとは。」
多香子は、美しい顔を歪めて本気で悩んでいる。
…こちらの女神なら、志心様から言い寄られたら気まぐれであっても天にも昇る心地であるというのに。
松は思いながら、多香子に茶碗を手渡した。
「ほら、落ち着いて。」と、湯気が立つ茶碗を自分も持ち上げた。「月の宮の茶も、常龍の宮から贈られておるから良い茶なのよ。これで、少し心を静めて。」
多香子は、頷いて茶碗に口をつける。
松は、それを眺めながらため息をついた。
こうして見ると、やはり多香子は美しいのだ。
鍛えられた素晴らしいプロポーションで、手足も長く黒檀のような緩いウェーブの見事な黒髪は、さらにその美しさを際立たさせている。
それなのに、本神は全く意識していない。
多香子は、茶を飲んで息をついた。
「…疲れた。これも役目かと堪えておったが訓練で身が疲れておるところに気の張ることで誠にの。風呂にでも入るかの。主は部屋へ戻らぬのか?ここに居るなら、我は先にそこの風呂に入って参るがの。」
軍神用とは言っても、気を遣ってくれたのか、ここは上位の軍神の部屋らしく、風呂が部屋についている。
松は、頷こうとして、ハッとした。
そういえば、蒼が帰り際に言ってくれていた。
女湯は誰も使う予定がないので露天風呂を使いたいならいつでも入れと言ってくれていたのだ。
「そうだわ、多香子。この宮には大きな露天風呂が。蒼様が此度は王妃が居らぬし、使って良いと言ってくれておったの。行きましょう。」
多香子は、お、とやっと目を輝かせた。
「誠か。ならば参ろうぞ。ならば袿だの。ええっと、確かこの厨子に入れておったはず。」
多香子は、上から羽織るための袿を探し始める。
松は、自分も着替えて来よう、と、隣りの自分の控えに戻って露天風呂に行く準備を整えたのだった。




