気まぐれ
「え、志心様がですか?」
維月は、維心の対で維心を迎えて言った。
維心は、頷いた。
「そうなのだ。蒼が言うておった。主は見ておらなんだのか?」
維月は、首を振った。
「いえ。そろそろ春の着物を皆に縫わねばならないと、反物などを選んで時を過ごしておりましたので。それよりも、志心様がそのように仰るということは、気まぐれではありませぬわね。これが焔様であったら私も重くは受け止めませぬが、志心様だと仰るなら。」
維心は、頷いた。
「その通りよ。あれは飲み過ぎておっても、そんなことを口にすることはなかったからの。聞いておったら多香子は、生まれは軍神同士の親元だったらしいが、漸の母の歳の離れた妹であったとか。高位の軍神同士の子なので、それなりに学は付けられておって、蒼が申すには楽も書も香もできる、まるで皇女のような教育をされた女らしい。加えて高位の軍神であるから、決して気も小さくはないしの。そこのところが、志心の妃となってもおかしゅうはないが、それでも…あの志心が、それぐらいのことで決めるとは思えぬし。気になっておるところなのだ。」
維月は、段々気になって来て、言った。
「では…宴の席に行かれますか?着替えなら、こちらにございますし。今からとは、面倒ではありましょうけど。」
維心は、苦笑した。
「面倒だの。良い、志心が退席したら教えてくれぬか。一度、控えへ訪ねて話を聞いて参るわ。主も気になって休むどころではあるまい。我もそう。志心から、本音を聞いて参るわ。」
維月は、それなら訪問着のままでも良さそう、と頷いた。
「はい。とは申して、もう宴の席も終わりそうではありますが…」と、目を宙へと向けた。「…多香子と松が退席しようとしておりますし。あ、志心様が席を立たれましたわ。どうやら、二人を部屋へと送って控えに戻ろうということらしいです。」
維心は、息をついた。
「そうか。漸の臣下をわざわざ送り届けようというのだから、ますます志心は本気でも申しておるような気がするの。では、我も出る準備をしておこう。」
維月は、頷いてじっと多香子と松、そして志心がそこを出て行くのを月から見守り続けた。
維心は、いったい志心がどういう心境でそんなことを言ったのだろうと、気になって仕方がなかったのだった。
志心は、恐縮する多香子と松を連れて、軍神控えの中でも男性とは離れた位置になる宿舎の方へと送り届けてから、自分の控えへとまた、来た道を戻って行った。
最上位の部屋は、庭へとすぐに出られるように一階の広い場所にある。
ここは、勝手知ったる宮なので、志心は迷うことなくせっせと足を運んで、そちらへ向かった。
焔と漸と、蒼の気はまだ、広間にある。
志心はため息をついて、自分の控えがある回廊へと入って行った。
そこで、ハッとした。
維心が、回廊の先で立ってこちらを見ていたのだ。
「…維心。」志心は、急いで維心に近寄った。「どうした、なぜにここに?主には専用の対があるのではなかったか。」
維心は、頷く。
「その通りよ。主を待っておったのだ、志心。もう戻るだろうと維月が教えてくれてな。」
見ておったのか。
志心は、ため息をついて頷き、扉を開いた。
「まあ、入れ。」と、足を進めて部屋へと入って行きながら、続けた。「蒼から聞いたのか?」
維心は、何の事を言っているのか分かって、頷いた。
「聞いた。多香子であろう?」
志心は、ハアとまたため息をついた。
「ならば気になろうな。まあ、別にどっちでも良いのだがの。」
そんな曖昧な心地で言うのか。
維心は、志心がそんな性格だとは思っていなかったので、少し驚いた顔をする。
志心は、正面の椅子へと座って苦笑すると、維心の顔を見て言った。
「驚いたか?そうであろうの。我とて驚いたおる。まさか、あんな席で安易に何を言うておるのかとの。だが、あの時は娶って良いかと思うたのだ。それこそ、衝動的にの。」
維心は、志心の前に座って、呆れるよりも案じるような顔になった。
「どうしたのだ、主が。らしくない。何かあったか。」
志心は、真面目に案じている維心に、笑った。
「何も。ただ、最近は真剣に、娶る相手を探しておったのだ。臣下が言うのもあるが、それより我としては、毎日を共に話し合えるような相手が欲しいと思うておった。欲望とか、そんなものは二の次よ。それなら若い妃をいくらでも娶れたしな。だが、若い娘はならぬ。世話をせねばならぬし、どう見ても子供にしか見えずで、対等には見えぬわ。そう思うて諦めておったのだが、本日多香子と話してみて、あれはまあ、そこそこ物を知っておるし、答えもそつがない。何より女神とは言うて犬神の宮から来ておるから、控えめだがハッキリと己の考えを申す。酒を飲んでも具合を悪くする様子もないし、なかなかに強い。書も美しいし、何より本日立ち合ってみて思うたが、あれはかなりの努力家ぞ。こちらへ来る気持ちにさえなってくれたら、妃としての務めもそつなくこなそうと思うた。若い頃なら選ばなかっただろうが、今の我には誂えたようにピッタリの女であるのよ。那佐は皇子の乳母にとか申しておったが、それではもったいないと思うて、気が付いたら娶ろうかと口にしておった。己でも驚いたわ。」
誠か。
維心は、言われてみたら自分も同じように感じるので、志心の言うことは分かったし、それなら多香子はちょうど良いと言えばちょうど良いのだ。
だが、犬神の宮との婚姻は、漸で分かっているがかなり困難が多かった。
多香子の意識が変わるならば良いが、そうでないなら問題しかなかった。
「…多香子があちこちフラフラとか無いだろうの。」維心は、志心をむっつりと見つめて、言った。「臣下と何かあったりしたら、主の顔に泥を塗る事になるのではないのか。」
志心は、それに頷いた。
「その通りよ。それは多香子に申した。もし他と通じることがあったら死罪となるが、それでも良ければ嫁がぬかと。あれも歳が上がって落ち着きたいと思うておるようであったし、もし覚悟ができたら我に嫁いでくれたら良いし、そうでないなら別に良い。また他に探すし。」
そんな女が独身でそうそう居らぬがの。
維心は、思ったが、無理に娶ると言ったところで、相手は犬神の女なのだから、簡単に逃げ出すだろう。
結局志心が言うように、相手次第なのだ。
「…まあ、ならば何も言うまい。婚姻は禁じておるが、しかしそういう事なら例外として認めようぞ。多香子がどういった結論を出すのか分からぬが、しかし主、正式に申し入れたわけではないだろう?」
志心は、頷く。
「明日、漸に申し入れておく。とはいえ、断れるように内々にな。主も、他に漏らさぬようにの。焔にも釘を刺しておかねばならぬのよ。あやつはすぐに炎嘉達に申すゆえ。多香子が断りづらくなるのは避けたい。維月にも、申しておってくれぬか。」
維心は、炎嘉に相談したくてならなかったが、志心がそう言うのに、仕方なく頷いた。
こうして聞いてみると、志心は思わず言ってしまったとはいえ、ある程度多香子を気に入って申し入れているのが分かった。
それだけでも、今夜は良いと思おう。
維心は、志心に明日の朝になったらまたしっかり己に問いかけてから漸に申せ、と忠告してから、その場を辞して維月の下へと戻った。
これは、多香子の事を、あれこれよく見ている十六夜にも聞いておかねばならないと、思いながら足を速めたのだった。
自分の対へと到着して部屋へと足を踏み入れると、維月が慌てたように飛び出して来て、言った。
「維心様、ちょっと風呂に行って参ります。」
維心は、え、と驚いた顔をした。
「まだ湯浴みしておらなんだか?ならば我も…、」
維心が言いかけたが、維月はもう歩き出しながら、首を振った。
「此度は私だけ。話を聞いて来なければですの!」と、回廊を駆け出した。「あの二人が風呂に向かいますの!すぐに戻りますから!」
だからか。
維心は、呆然とそれを見送った。
では、あの二人は維月に任せて、自分は十六夜と話そうと、維心は一人居間の椅子へと座ったのだった。




