大晦日
月の宮の大晦日は忙しい。
何しろ、人世と同じように年越し蕎麦を食べたり、お節料理を作ったりするからだ。
しかも、明日から来客があるのでその準備にと、夜明けから皆、大わらわだった。
そんな中で夜が明けてしばらく、維月は目を覚ました。
十六夜が、もう起きていて、言った。
「維月、おはよう。オレ、じゃあ月に上がるわ。お前はどうする?」
維月は、頷いた。
「うん。ええっと…どうしようかな。昨日まででやろうと思ってたことはみんな終わってるの。」
闇達にも、お世話になった神達にも、着物を縫って送った。
十六夜と自分の着物も縫えた。
最後に、維心への礼もできた。
そうすると、正月までにしておかねばと思っていたことは、維月の中ではコンプリートだった。
そこへ、蒼が来た。
「十六夜?維月?」二人が、寝台の上に起き上がって蒼を見ると、蒼は言った。「起きてた?維月に文が来てるんだけど。」
維月は、寝台の縁に座って足を床に下ろした。
「あら、誰から?綾様かな。」
明日会うのに。
維月が思っていると、蒼は首を振った。
「維心様から。」ええ?!と十六夜も維月も驚いた顔をすると、蒼は文箱を維月の膝の上に置いた。「はい。じゃあ、オレ忙しいから。」
蒼は、急いで出て行く。
十六夜が、言った。
「…じゃあ、まあ、お前は維心に文でも書いてろや。オレは月で監視せにゃ。まあ、今の所あれから問題ねぇけどよ。」
維月は、言った。
「待って、でもこれ、いつまでやり取りしたら良いのかしら。このまま永遠に続くの?」
十六夜は、顔をしかめた。
「それはねぇだろ。明日来るんだし。とりあえず、明日までは返事を送ったらどうだ?あいつは忙しいから、いつもいつもこんなに頻繁には返して来ねぇよ。たまたま暇な時にお前が出したから、あっちも返事をくれるんだろう。相手してやったら?」
まあ、そうなんだけど。
維月は、困惑しながら頷いたが、維心の意図がわからない。
だが、十六夜が言うように暇な時に送ってしまったから、あちらも暇潰しなのかも知れなかった。
なので、維月はまたゆっくり墨を擦り、内容を考えながら時を過ごしたのだった。
十六夜が月に昇ると、碧黎が声を掛けて来た。
《十六夜。維心はまだ迷うておるか。》
十六夜は、やっぱり碧黎も気付いてたかと、答えた。
《…だな。あいつは、どうして良いのかわからないから、あんな何でもないことを書いて送って来るんだろう。だが、文から伝わる気は間違いなく愛情のようなものだった。維月は気付いてねぇがな。何しろ、覚えてることが限られてるからよ。》
碧黎は、言った。
《我もそのように。愛情の中に恐れのようなものを感じるゆえ、恐らくは元の維月に戻るのが恐ろしいと一歩踏み出せずにおるのだろう。気持ちは分かる。己が完全に失ったものがまた、目の前に現れて、それがまた消えるのを見たくはないだろうからな。とはいえ、あやつが愛しているのは前世今生と維月のみぞ。どこまで堪えられるか見ものよな。》
十六夜は、言った。
《…なあ、親父。》十六夜は、考えながら言った。《維月はどこまで覚えてるんだろうな?闇は何を持って行った。龍の宮で王妃やってたことは忘れてるのに、やってた事は全部覚えてる。綾の事もしっかり覚えてたしな。なんか、おかしな気がしないか。》
碧黎は、答えた。
《我に言えるのは、何事も偶然などないと言う事ぞ。流れはあの、面倒な闇を消すついでに、こちらの流れも変えようとしたのかもしれぬの。我は思うのだ…維月の責務は、いったい何であったかとの。》
十六夜は、月の中で顔をしかめた。
《え?だから陰の月と地だろうがよ。それで地上のバランスを取るんだ。》
碧黎は、言った。
《その通りぞ。バランスを取るのがあれの役目。だが、地上は我らのためにあるのではない。正確には我らのためだけに、というべきか。我らも学んでおるからの。そもそもが、我らは地上を穏やかに維持し、神や人の学びを助けるためにここにある。だが、それだけでは地上のバランスは崩れる。それと言うのも、やはり維心は…神でありながら、我が作ったのでこちら寄りの力の持ち主ぞ。あれには、そもそもが対等な命が地上におらぬので、自然他には無関心になってしまうのよ。それでは孤独になり、バランスは崩れる。炎嘉が補佐のために生まれ、近くに居るがそれでは精神的なバランスは取れぬ。》
十六夜は、ハッとした。
ということは、維月は維心の精神的なバランスを取る事も担っていたのか。
《え、じゃあ、維月は維心の世話もしなきゃだったってことか?でも…この二十年、陰の月になりすぎて、それがおざなりになってた。お互いに、黄泉にでも行って忘れないと、もう元には戻れない、って判断するぐらいに。》
碧黎は、答えた。
《あくまでも我の推測だがな。あれがすっぽりと龍の宮での事を忘れておった時、まさか、と思った。何より、我や主の事は覚えておった。愛情まで健在ぞ。なのに、維心とのことは何もない。これが、誰のためだと言われたら、あの二人のためではないかと思えて仕方がないのよ。維月は再び責務をこなすため、維心は再び心のバランスを取り戻すため。我にはそう思えておる。ま、分からぬがな。》
言われてみたらそうだ。
こうでもしないと、あの維月は全く維心のもとへは戻らなかっただろうし、維心は段々昔の維心へと戻って行っただろう。
いつ終わるかわからない、長い孤独の中に生きねばならないのだ。
戦国であった昔とは、今は違う。
孤独に戦う必要などないのに、淡々と過ごしていたから狂うかもしれない。
十六夜は、息をついた。
《…じゃあ、なるようになるな。ここは黙って見てることにするよ。オレはどっちでも良いけどな。今の維月も、前の維月も同じ維月だからさ。》
碧黎は、苦笑した。
《そうだの。我もそのように。見守ろうぞ。》
そこで、十六夜がまた、何かに気付いたように言った。
《…そうだ!》と、十六夜は慌てて言った。《じゃあルシウスは?!思えばルシウスも最近入って来たよな?》
碧黎は、クックと笑った。
《あれこそ維月を支えに生きて来て、今も生きておる。あれに会ったら死んでも良いとまで思うて、数千年を陰の月の存在だけをよすがに生きたのだ。表に出て来ておらなんだだけで、あれも維月が支えておったのは確かぞ。ゆえ、今維月がルシウスのことも放置できぬのは道理。そんなわけで、我ら月の眷族と呼ばれる者達は平気だが、維心は大変だの。それだけ、皆の支えになっておる女を独占したいという心地を抑えねば己がつらいのだ。もし、こうして文を取り交わすだけではなく、また宮へと入れたいと考えるのならば、維心はそこのところを理解してからでなければならぬ。ま、今の維心なら大丈夫だろうの。この二十年、かなり苦しんで参ったのだしな。》
だったらいいが。
十六夜は、地上を見た。
維月は、せっせと維心に文を書き、それを龍の宮へと届けさせるべく準備をしている。
龍の宮では、とっくに起きている維心が、居間の窓の側に立って、庭の方を向きながら、空を見上げていた。
恐らく、維月からの返事が来るかと待っているのだろうと思われた。
そんな様子にまた、どうなるのか分からないが、十六夜はただ、今回は見守っていようと思っていた。
何しろ、もう誰に嫁ぐとか誰と仲良くなるだとか、そんな事には全く興味もないのだ。
ただ、自分と維月の絆だけは、何があっても切れない。
それが、今回のことでも良く分かったので、十六夜には全く不安などなかった。
月の宮では、臣下達が大急ぎであちこちを整えて、正月の来客の準備をしていて、年越し蕎麦用の大鍋も、出して来ているのが見えていた。
ああ今年も終わるなあ、と、十六夜は思って眺めていた。




