第114話 真夜中の訪問者 1
アリアは、改めて診療記録に目を通しながら呟いた。
「八年前は証拠が出なかったから、あの人を捕まえられなかったんだよね。じゃあ、今なら……。いや、結局は憶測よね。実は、毒を飲ませる方法があった、って分かっただけなんだから」
宮廷医はそれなりの地位があるため、どんなに怪しくても、現行犯でなければ捕まえることは難しい、と以前にマーリンが言っていた。
今まで雲隠れしていたことは、一連の事件の犯人だという証拠にはならない。どこかに監禁されていた、などと言われてしまえばそこまでだ。
だからマーリンは、倒れることも覚悟で悪事を見抜く罠を張った。
(でも、まだ反応がないってことは、王宮内にはいないってこと? もし、センサーをかいくぐるだけの力を持ってたら――?)
マーリンの力や、アーヴィンたちを信じていないわけではないが不安は残る。
ひとつひとつは単純なものだが、人間に――、主に、王妃に対して繰り返し害をなそうとした相手だ。おそらく、アリアがまだ気づいていない悪事もあるだろう。
(とりあえず、殿下たちと情報共有しないと。でも、こんな深夜にリラは呼べないし……。アレク……は殿下のところかな。いや、さすがにもう寝てるか。そもそも、こんな時間に呼び出すのは非常識よね)
朝になってからでも問題ないだろう、と思うのに、妙に胸騒ぎがして落ち着かない。
どうしたものかと唸っていると、いつの間にか起きていたロードが、音もなくアリアの肩にとまった。
「アリア、ドウシタノ?」
「わ、びっくりした。起こしちゃった?」
「ダイジョウブー。アリアハ、何シテルノ?」
「えっと……殿下にね、伝えたいことがあるんだけど、どうしたら良いのかなって。今、執務室かな? それとも、もうお部屋で休んでる?」
「イマハ、タブン、離宮ダヨ。シェリルガ、イルトコロ」
「そうなの……」
執務室やアーヴィンの私室であれば、全力のスピードで走れば何とか……と思ったが、離宮となるとさすがに厳しい。
「オコラレルヨー? 部屋カラ出タラ駄目、ッテ言ワレタデショー?」
「……はい」
アリアの考えを見透かしたロードが、小さな子を諭すように注意した。
そして、人間のように溜め息をついて、テーブルに降り立った。片足をアリアに差し出しながら、爪でカシャカシャとテーブルを鳴らす。
「手紙書イテ。オレガ運ブカラ」
「良いの?」
「イイヨ。タブン、アーヴィンモ起キテルハズ」
「やっぱり、こんな時間でも起きてるのね……」
「アリアモネ。似タモノ同士。体ニモ、オ肌ニモ悪イノヨー?」
「はーい。今の状況が落ち着いたら、ちゃんと寝るよ。すぐに手紙用意するから、ちょっと待っててね」
大きな翼をバサバサと広げて、母親のようなことを言ってるな、とアリアは笑いながら筆を執った。
「お待たせ。じゃあ、お願いね。周りに気をつけてね」
「リョーカイ!」
ロードの姿が小さくなるまで見送ると、アリアは椅子に座って脱力した。
正直なところ、伝えた内容は、「それで?」と言われてしまっても仕方ない程度の情報だ。
自然毒を利用した薬湯が、本当に作られたという証拠もないため、すぐに活かせるものではない。
夜が明けて、アーヴィンに会う機会がある時に報告すれば良いことだ。
(私、どうしてこんなに焦ってるの……?)
異様に動悸がして、気づけば手のひらに汗が滲んでいる。洗面所に手を洗いに行こうと立ち上がった時、部屋のドアが強く叩かれた。
「何……?」
(足音、しなかったよね……?)
硬直したままドアを見つめていると、サンが起き出し、アリアの胸に飛び込んできた。
そして、ドアを睨んで唸り始めた。サンは攫われた経験もあり、悪意に強く反応する。
(睡眠を邪魔されて怒ってる……んじゃないよね?)
できることなら、そちらのほうが、ありがたい。たとえ、仮であったとしても聖女の部屋だ。乱暴にドアを叩く者など、今までいなかった。
アリアはサンを宥めると、足音を立てないようにドアに近づき、ドアスコープから廊下を覗いた。
(……誰もいない?)
しゃがんで子どもの背丈のスコープも覗いてみたが、やはり誰もいない。
(やっぱり、カメラ付きインターホン設置してもらったほうが良かったかな……)
スズからインターホンの設置を勧められたが、マーリンに負荷がかかると知り、丁重に断った。
離宮と同レベルの結界を貼ってもらった上に、さらに……となると、さすがに気が引けてしまったのだ。
(うーん。このドアスコープも、かなり広角のはずなのに)
床に膝をついてスコープを覗いているところに、ドンッ! ともう一度強く叩かれて尻もちをついてしまった。
「な……っ!」
『憎い……。あの女が憎い……』
(う、嘘……)
叩かれた瞬間でさえ、誰の姿も見えなかった。
そして聞こえてきたのは、夜な夜な響く、あの女の声だった。
お読みくださり、ありがとうございました。
ここから、第一章の佳境に入ります。
長い、長いよ……
次話も、できるだけ早く更新したいと思います!
どうぞよろしくお願いいたします。




