イケメンに腕を掴まれた
朝、靴の踵を引っ張って、ドアノブに手をかける。
「小弥、弁当忘れてる」
「わ!ごめんお婆ちゃん!」
自分で作っておいて忘れるとは、つくづく自分の忘れっぽさが嫌になる。
日暮小弥。
普通の肩までの黒髪に、特筆すべきはせいぜい首にある黒子程度の地味さ。
極めて一般的な、おまけに軽い嫌がらせまで受けている底辺女子である。
ちなみにファザコンでマザコンで超のつくお婆ちゃん子。家族大好き人間代表こそ私だ。
がちゃりとドアを開きかけて、私は予感がした。
何かが始まる予感。
この時の私は、自分に家族と同じくらい大切な人たちが出来るとは、思いもしていなかった。
―――
がちゃり、と開いた先。
いつもの通学路の風景に飛び込んで、少し伸びをする。
平凡で平和でなんの起伏もない人生。
少々女子たちから疎まれていることを除けば、実に平凡な生活を送っている。
学校に近づいていると、だんだんと見慣れた制服姿が増えてくる。
その中に知り合いの後ろ姿を見つけて、私はぽんとその肩を叩いた。
振り向いたのは不機嫌そうな顔。
「おはよ!早いね」
「……はよ。お前もだろ」
端的な言葉に、ふふんと胸を張る。
「まあね、最近早起きのプロになってるし」
どや顔をする私に、彼は無言で意味ありげな視線を投げかけている。
「……え、何?私に見惚れてる!?」
きゃ!とはしゃぐ私に、彼は冷静に首を振った。
「……いや、俺のことは覚えてるんだな」
「えー、ちょっと冗談通じなーい……って、ちょっと、聞き捨てならないよ!?いくら物覚えが悪いからって、同じ雑用係仲間を忘れるわけないじゃん!」
ばん!と強く䒳原の背を叩くと、何故かため息をつかれた。
「……あんまり寄るな。変な誤解される」
䒳原が微妙に私から距離を取った。
つれないクラスメイトに口を尖らせつ、内心はむふふと笑っていた。
誤解させたくない相手がいるということですね。
私は大人しく距離を取り、やっと到着した校舎に入っていった。
「日暮、さん?……あの、呼ばれてるよ」
私は名前を呼ばれたことに驚いて顔を上げる。
もう既に何度か呼ばれていたのだろう。誰かに呼ばれることなんて殆どなかったから気づかなかった。どことなく、むず痒い気持ちになる。
なんとなく気分が良いまま、席を立った。
クラスメイトが示した先には、教室の入り口がある。
呼ばれていると言ったが、そこには誰もいない。
新手の嫌がらせか?と首を傾げながら入り口まで近寄ると。
がし、と腕を掴まれた。
「え、ちょ、誰……」
私の言葉に、腕を掴む手がやや震えた気がしたが、それを意識する前にその手の主はずんずんと足を進めてしまった。
無言で歩く後ろ姿。半ば引きずられるようにしながら、私はその背中を見る。
こげ茶の、さらさらした髪。
歩くのに合わせてやや揺れる髪の先に無意識で手を伸ばしそうになって、慌ててぎゅ、と掌を握りこんだ。
周囲の訝しげな視線が刺さって痛い。
身を縮めながらもついていっていると、私の腕を掴んだままの彼が、反対の手で何かを掴んだ。
「は!?ちょっと何……」
掴んだのは黒くて長い髪が艶やかな迫力美人。
彼女はぎゃあぎゃあと喚いていたが、私の顔を見てはっと息を呑んだ。
大人しくなった彼女と私を引きずって、彼は校舎裏で足を止める。
少しの沈黙の後、彼はゆっくりと振り返った。
意志の強そうな瞳。緊張したような表情が、すぐに冗談めかしたような笑顔に変わる。
少し釣り気味だが、綺麗な二重に囲まれた瞳。通った鼻筋に、薄めの唇。
改めて見ても、彼の顔は整っている。
その整った口元が、ゆっくりと開く。
「付き合ってくれ」
ごくり、と唾を飲み込む音。
「日暮小弥。お前が好きだ」
まん丸に見開いた二組の双眼が、私を見ている。
先程から一言も発していない二人に、私は悪戯気に微笑んだ。
テンプレートな展開は、もう輪っかにならない。