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翌日の目覚めは最悪だった。
うー…って、低い声が出ちゃうくらいに、頭が痛い。
「あら、奈乃ちゃん、どうしたの?」
眉間にくっきり皺を寄せたまま、リビングに降りて行ったら、驚いた顔をしたお母さんから声をかけられた。
お弁当箱の蓋を閉じながら、あらあらと慌てている。
「んー、なんか頭痛いなぁって…」
「あら、熱あるんじゃないの?ちょっと計ってみなさい。学校はどうするの?お休みする?」
「大丈夫!絶対行くっ」
体温計を取りに行こうとする姿に、今度はわたしが焦ってお母さんを引き留めて、元気よく返事をした。
頭痛はひどいけれど、学校に行かないの選択肢はないからだ。
たぶん、前世の記憶を一気に取り戻しちゃったから、その影響なんじゃないかなって勝手に思ってるし。
「そう?無理って思ったら早退して来なさいね。あ、あーちゃんちょっと!」
「…何?」
「今日奈乃ちゃん、具合悪いみたいなのよ。あーちゃん、送っていってあげて頂戴」
「送ってって、だってこいつ…」
言いながらちらっとこっちを見たあーちゃんこと、お兄ちゃんと目があった。
体調悪いのは確かだし、歩いて行くよりは兄のバイクに乗せてもらえるとすっごく助かる。
乗ーせーてー、とお願いポーズと上目づかい。
そんなわたしの態度に、兄は少しだけ目を見張った後、重い溜息をついた。
「…早く支度しろよ」
「やったー!!」
「母さん、こいつ絶対元気だろ」
「そんな事ないよっ激痛で今にも倒れそうだよ!?」
「あら、じゃあ学校はお休みする?」
「絶対行くっ!」
無理やり朝食を食べ終えて、制服のスカートの下にジャージを履いた。
流石にバイクの後ろに乗るのに、スカートだけとか露出狂になるわけにもいかないからね。
「いってきまーす!」
玄関の扉を開けて、門のところで兄からメットを受け取ると、カチッとベルトを留める。
兄の手を借りながらなんとかバイクの後ろに乗り、お尻の位置を何度か確認した後、兄の腰に腕を回した。これでもかと全身でギュッとしがみ付く。
兄妹だしね、それにバイクって変に遠慮しちゃうと本当に危ない。
わたしの行動を無言で見守っていた兄が、前に向き直った。
ぽんぽんと腰に回した腕を叩かれる。
発車するから、気を付けろよの合図。
更にぎゅうううっとしがみ付くと、後は大きな音とジェットコースター気分を味わうだけ。
…メットがごつごつぶつかって、余計に頭痛に響いたことは、お墓まで持って行こうっと……
「お兄ちゃん、ありがとー!」
メットを返しながら、へらりと笑った。
「お前、大丈夫なの?」
「ああ、頭痛いだけだから、そのうち直るって。薬も飲んできたし」
「そっちじゃなくて…」
「え?」
「…いや、帰りも辛かったら連絡してこい」
はーい、と返事をすると兄は呆れたような顔をした後、メットのスモーク部分をカコンと下げた。
前世のわたしはひとりっこだったので、こういう仲良しな兄妹に憧れていた。
子供の頃は、お兄ちゃんの後を追いかけまくって、何度も泣かされたけど、今はお互い成長して程よい距離感の兄妹だと思う。
いや、結構なブラコンに育っちゃったかも。
「お兄ちゃんも行ってらっしゃい!」
バイクのけたたましい音と共に、遠くなっていく兄の姿を見届けた後、痛む頭に気付かないふりをしながら、くるりと向きを変えた。
直後に、ばちっと強い視線と目があった。
な、なんでここに…!
赤い髪が特徴の攻略キャラの一人、二年の不良先輩が険しい目つきでこちらを睨んでいる。
本人に至っては睨んでるつもりはないとゲームで分かっていても、実際に目にすると迫力あってびびる。
主人公ちゃんとの出会いシーンのスチルなんて、これ本当に乙女ゲーム?って笑っちゃったけど…
「お、おはようございます」
思わず、ぺこりと頭を下げた。
いやだって、がっつり目が合ってるし、不良先輩を無視して素通りするとか、逃げるとか無理。
様子をうかがっていると、返事がないのでこれは行ってもいいんだろうか?と、歩き出そうとしたところで不良先輩が口を開いた。
「お前、バイク乗れるのか」
「え?……いやいや!わたしは乗れないですよ。今日は体調が悪かったから、お兄ちゃ…兄に送ってもらっただけで」
ぶんぶんと身振りも踏まえて否定したら、どうやらバイクの後ろに乗れるのかって彼は聞きたかったようだ。そっちか!
「後ろには乗れますよ。お兄ちゃ…兄に二回くらい試しに乗せてもらって、怖くて足震えてましたけど…」
って、ああああっしまった!やってしまった!
お兄ちゃんが最初変な顔してた理由がここでようやくわかった…
わたしお兄ちゃんのバイクの後ろ乗るの、すっごい苦手だったんだ…
前世のわたしの友達がバイクに乗っていたから、今のわたしはバイクの後ろに乗る事には抵抗ないけど、一昨日までのわたしはバイクから降りるなり、一人で立てないくらいのびびりだったのだ。
それはもう生まれたての小鹿レベルで。
変に思われたかなぁ…思われたよね…とほほ…
なんて、自己嫌悪におちいっていたせいで、目の前の不良先輩の言葉を聞きのがしてしまった。
「……だ?」
「…ん?先輩、今何か言いました?」
「名前とクラスはどこだ」
「1年B組の織戸ですけど……?」
「織戸、昼休み図書室」
え。
言うだけ言って歩き出した不良先輩の後を、慌てて追いかける。
「ちょ、先輩。それ何の呪文ですか!?」
「呪文って」
わたしの言葉に、軽く目を開けたあと不良先輩はおかしそうに肩を揺らして笑う。
いつもは怖い雰囲気の不良先輩が子供っぽく笑うとか、たまらないよね!
って、今は眼福に満足してる場合じゃなくて。
「わたし先輩に呼び出される何かしましたか!?」
「いや別に」
「だったら、他の人にしてください!先輩みたいなイケメンと二人で会ったとかばれたら、絶対いじめられます!」
生徒会の皆様には本気で彼らを思い動く親衛隊の女生徒達と、その下に彼らのあくまでも容姿が好きと一線を引いて騒ぐファンクラブが存在する。
この不良先輩には生徒会のようにそんな表立った存在はないけれど、それでも皆イケメン好き!
ゲーム内でこの不良先輩と何かあってもやっかまれるようなストーリーはなかったけれど、現実のここでは何がどうなるかわかったものではない。
生徒会に狂ってる親衛隊のお姉さま達が一番怖いけれど、普通の2年、3年の先輩達だって普通に怖い。
「イケメンって本人目の前にして何言ってんだ」
「先輩はもっと自覚を持つべきです」
可笑しそうに笑う先輩に、ちょっとときめいたりなんてしてませんからね!
「それにイケメンって言うのは、ああいう奴らの事だろ」
言って、前方の方を指さす彼の指先を追って、わたしが見たのは校門の方にできる人だかり。
主に女生徒、キャーキャー騒ぐ声が聞こえる。
姿はちゃんと見えないけれど、ピンとくるものがあった。
「抜き打ちチェック!?」
麗しの生徒会の皆様と見せかけて、たぶんいるとしたら風紀委員の皆様だろう。
全員が美形の生徒会と違い、風紀は二人ずば抜けて美形がいる。
時折、彼らと一緒に生徒会副会長が姿を現したりするのだけれど、自分の大好きな会計様がああいう行事に参加する事はない。
「俺は別口から入るが、お前はどうするんだ?」
そういう彼の視線が、少しだけ下を見たので、はっとして自分の姿を見下ろした。
今の姿はスカートの下にジャージ。
前世の女子高生にはたまに見かける姿だったが、この学校でこんな姿をする生徒は一人もいない。
お目当ての会計様もいないのに、こんな姿で抜き打ちチェックに対抗する勇気は勿論ない。
ちらっと不良先輩を見上げて、愛想笑いしちゃうのはしょうがないよね。
「先輩の後について行っていいですか」
「ああ」
こっちだ、と首で方向を指す先輩の後に、そそくさと隠れるように動きながら、わたしは誰にも見つかりませんようにと祈るばかりだった。
「え~、抜き打ちチェックやるって今日だったっけ……」
眠そうに目をこすりながら校門の人だかりに気付いた少年は、捕まるのも面倒だと、くるりと進行方向を変えた。
何人かの女生徒が、自分に気付いて指さす姿に、しぃーと人差し指を唇にあてて意識して艶っぽい笑みで媚びをうる。
顔を赤くして足早に校門に向かう姿に、ほっとしながら自分も正門以外の場所から校舎へ入るための、裏口へと回った。
「あれ…」
人通りの無くなった校舎横の狭い道路をまがったところで、自分と同じくそこから中へ入ろうとしている生徒二人の姿に、少年は目を丸くした。
柵の上に必死にしがみついた女生徒を、柵の向こう側で赤い髪の男が可笑しそうに笑っている姿が、彼を知る人物が見たら、唖然とする光景だ。
自分だって不覚にも驚いた。
両腕を伸ばした男が、彼女を柵から降ろそうとした時、バランスが崩れて二人は抱き合うような形になった。
少年は慌てて制服のポケットからスマホを取り出し、カメラのアプリを起動したが、それを向ける頃には二人は大きく距離を開けていて、残念と肩を落とした。
大急ぎでその場を後にする彼女に、男が何か言った内容まではわからなかったけれど、少年が彼女に対して興味を持つのには十分な出来事であった。
「なーんか、面白そうな予感?」