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第2回

「どちらさんですか? …」と、その影に声をかけると、薄闇から声が返ってきた。小堀さんだった。瞬時に、あの件か…と私は思った。

「お疲れのとこ、すんまへん。二組の小堀でんにゃが、ひと言だけ言わせて貰おうと思おて待ってましたんやけど…」

 私は幾らか動作を速めて、玄関へ近づいた。

「一人暮らしなもんで、こんなとこで待たせてしまい…、今すぐ開けますので…」と、急いで施錠を外した。

「あっ、ここで宜しいのに…、お構いなく」と、小堀さんは紋切り型で遠慮する。それでも私は、彼を家の中へと招き入れた。心中は幾らか動転していた。

 玄関の内へ彼を引き入れて、「…お茶でも出しますから、ちょっと待って下さいよ」と言って、私はサッと彼の前を()通りして上がった。

「ほんまに、お構いなく」と小堀さんはまた遠慮を吐く。

 私は茶を淹れ、また玄関へ急いて戻った。彼は直立して待っていた。

「こんなとこで何ですけど、まあ座って下さい…。あっ! 座布団もお出しせず…」

「ええんですわ、そないにして貰わんでも。それより、もう聞いたはるかも知れまへんけど、今日のトラブル、あれ、どないなことでっしゃろ? ああゆうことが度々あると困るんですがなあ…」

 苦渋の表情を見せまいと、私は平静を装って、「ゴミ出しの件でしょ? 偉いすまんことでした。実は四組の皆が、今日出してしまいましてね…」と弁解した。

「なんで、そないなことになりましたんや?」

「いやぁ…、篠原の悟君が伝えたのは間違いがないんですが、間違いは宮野さんと俺でしてね…」

「と、いいますと?」小堀さんは詰め寄る。

「ええ、悟君は俺に、昨日が工事で燃えんゴミの回収はないと伝えようとしたんですけど、生憎(あいにく)、俺が不在でして、それで仕方なく悟君は俺の隣の宮野さんへ伝言を頼んだ訳ですがね、“次の木曜”の解釈がお互い間違ってたようで…」

「ははーん、私も分かりましたわ。“次の”と言うのを今月のと言うのと、来月のと言う間違いでんな?」

「そういうことですね」

「なるほど…、それはまあ分かりましたわ。そやけど、今日は偉いことになりましたんやでぇ、…それはお聞きになった?」

 皆目(かいもく)分からず、「いやあ…」と私は暈した。

「と、言いまんのは、四組の皆さん、まあ、お宅も含めて十六軒ですわな。それが出さはった燃えんゴミを邪魔になるとゆうんで、道路工事中の現場近くへ運んだもんがおるんですわ…」と、小堀さんの口調が熱を帯びてきた。適当に相槌(あいづち)を入れて、私は聴く人となる。

「そこへ道路工事の建設業者がお出ましだ。そらもう、現場監督が怒ってしもて、『今月中はここを改修するっちゅうんは分かったる筈や!!』と、まあ偉い剣幕ですわ」

「ええ、それで…」

「段取りが狂たと旋毛(つむじ)を曲げよりましてな、引き揚げてしもたんですにゃ」

「そんなオオゴトになってましたか…。ちっとも知らなかったもので…偉いすいません」

「いや、なにも村越さんが悪いとは言うてまへんにゃけどな。どうしたもんかと思いましてな…。一応はご報告させて貰わなあかんな、ということで寄せてもろたようなことで…」

「それは態々(わざわざ)…。で、それを悟君、知ってるんですか?」と訊ねると、「たぶん今時分(じぶん)、別のもんが篠原さんとこへ行ってると思いまっ」

 スンナリ、小堀さんは返答した。

「昼に俺の会社へ悟君が電話してくれたんですが、そのときは、『偉いことになって…』とは言ってましたがねぇ。でも、それ以上のことは言いませんでしたから…」

「そうでしたかな。まあ、私は一応、報告はさせて貰いましたんで、これで帰ります。あとは組長の村越さんと役員の篠原はんとで話しおうてもうて対応しとくれな…。ほな、長々とすんまへん」

 小堀さんは私が淹れた既に冷めた茶を一気に飲み干して家を出て行った。ポツネンと、一人残された私は玄関に座り込んで、どうしたものかと想い(あぐ)ねた。

 私は何を思ったのか、ふとポケットの携帯を手にした。すぐそこには家の電話がある。それに近づくでもなく、何故か悟君へ携帯をかけていた。

「聞いたか? 偉い大事になってるみたいだな?」

「そうなんですわ…。ほれで今し方、会長はんのとこへ電話かけて、善後策を相談してたんでっけどね。正夫はんとこにも、かけよう思うてたとこですにゃわ。なんせ僕、副をやらせて貰てまんがな。工事が遅れて、して貰えへんようになったら、どうしようかと…」

「取り越し苦労だよ。そんなことはないって、大丈夫さ…。それより建設会社の方は?」

「会長はんが謝りに行って下はるっちゅうことで、機嫌を治して貰おうと…」

「そうか…、一応はそれでいいがな…。俺も当事者の組長だし、何か出来ることあったら言ってよ」

「おおきに、偉いご迷惑かけてしもうて、すんまへんでした」

 事は終息したかに見えた。だが、私と悟君の読みは甘かった。四組の組長である私の家へ、町内の何軒もの家から苦情の電話が殺到したのは、それから一日経()った頃だった。

「あんた、四組の組長やろ? もうちょっと、しっかりしてくれなアカンでぇ。他の組の迷惑になるさかい」

「すまんことでした」

 私は只々(ただただ)、誤った。しかし、これなどはまだ軽い方であった。次に飛び込んできた電話に、私は(きも)を冷やした。

「いったいどうゆう連絡をしとんねん!」

 受話器を宛がった瞬間、耳に響いたその罵声(ばせい)に、私は幾らかムッとして、“そこまで言われるこたぁねえや…”と、切れそうになる自分を抑えた。これは人によって感受性が異なるから、当然カッとなって切れる人もあるだろう。まあ私の場合は、幸いなことに無難にその場は治まった。

「次からはないようにしますので、勘弁して下さいな」

 ゴフンの時間が流れていた。電話の後も心に(わだかま)りのようなものが残り、妙に心が晴れない後味の悪い夜であった。

「正夫はん、正夫はん…。いやはらしまへんか?」と悟君が訪れたのは、その(しばら)く後だった。……と、まあ長々と事の顛末(てんまつ)を連ねたが、要はそういう経緯があったということなのだ。

 小事が大事になることは間々あるが、時として、それは人によって小事のまま消え去るもの、中庸に展開してやがて消え去るもの、中庸から大事へ益々拡大していくものなどに分岐する。全てが人の感受性によるところが大きいのである。

 ゴミの失態への波紋は、三ヶ月もすると、“人の噂も七十五日…”とか言われるように、すっかり鳴りを(ひそ)め、その後数ヶ月経()つと全く消滅してしまった。

 日増しに秋らしくなり、日没も月日の流れの中で早くなっていった。夏の暑い盛りに比べると、既に一時間以上、陽射しが短い。

 会社の帰り道、漆黒のベールが覆う街路をトボトボ家へ向かう私がいた。その闇も、等間隔に設置された街灯が急に点灯されれば消え去るが、私は一瞬、ハッとする。というのは、まだ通電時間が遅めにセットされているためなのだろうが、闇夜に慣れた眼が急な点灯で驚かされるのだ。その日の私は、何故かしら物想いに沈んでいた。自宅がもう目の前だというのに、それさえも気づかぬほどに…。それというのは、例の苦情の電話の応対をしたとき、正確に言うなら、いちばん最後の最も(きび)しい内容のものなのだが、受話器から流れる罵声(ばせい)に耐えつつ経過したゴフンという時間よってであった。もしあの時、私がカッと切れてしまっていたらどうだったのだろうかと…。恐らくは、あの一件ももつと深刻な結果を招いていたかも知れないのだ。現実は、トラブったが大事に至らず終息した。私が電話で反撃の狼煙(のろし)を上げていたならどうなっていたかである。相手も当然ながら興奮して応酬する。結果は見るまでもなく明らかなのだ。話が(こじ)れて、下手(へた)をすると町内の大問題になっていた危険性も(はら)む。

                                                 続

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