第1回
表玄関で私を呼ぶ、男の掠れた声がする。
「正夫はん、正夫はん、…いやはらしまへんか?」
恐らくは篠原悟だろうとは思うのだが、今更、どういう料簡できたのだろうか? 夜分、それも深夜にやってきた訪問の意図が皆目、読めない。
「悟君だろ? 何か用かい?」と、のっそり動いて施錠を外す。安眠妨害に気分は醜悪だ。
「すんまへん…、あんなことにはならんと思うとりましたんや。ほんで、正夫はんに偉い迷惑をかけてしもうて…。ほんま、すまんこってした…」と、悟君は神妙である。そんな平謝りに謝られては、流石に私も二の矢を放てない。下着が、すっかり冷えて肌を刺す。
「…もういいよ。だってそうじゃん。あの一件はもう済んだんだし、次回からは慎重に考えてやってくれりゃ、いいんだからさ」
「いや、ほんまに…。すんまへんでした…」
事の顛末は二週間ほど前に遡る。
燃えるゴミの回収日は火、金曜と、この辺りの町内会では決めがある。因みに、不燃ゴミは毎週はなくて、月二回の第二、第四木曜となっている。それは公衆の決まりごとなのだから、別にどうこう言う筋合いのものではない。
その日は第三金曜であった。私はいつもの要領で家のゴミ箱を一箇所に集め、袋に詰めた。すでに半量ほどは袋に入っていたので、ゴミ箱のゴミ全てを無造作に入れた結果、風船のように膨らんで一種独特の外観を呈した。破裂しそうなそれを片手に、自転車で収集場所へと持っていく。これもいつもなら、取り立てて問題になるようなことでもないのだが、その日は少し状況が異なった。
収集場へ着くと、篠原の悟君が、なにやら紙を貼っている。訊くと、工事の関係で収集場が移動するのだという。臨時の置き場へ持っていって貰いたいということだ。
「ちょっと遠なるけど、まあ仕方ないか…」
「すんまへん、暫くの辛抱ですんで…」
そう言われては、「はいよっ!」と返すしかない。その日は別にそれ以上のことはなかった。紙には“ゴミ搬入禁止”とだけあった。
町内会の役員である悟君は、何かにつけ小まめに動いてくれるので町内では人気がある。それに彼は一つ一つの物事を律儀に熟すから、充実した結果になることが多い。それが町内人気に拍車をかけている。しかし、今回の場合に限ってだが、彼にしては手抜かりがあった。それも手筈の首尾でのことなら、恐らく間違いは起きなかっただろう。間違いは偏に誤解から生じたのだ。
第四金曜は、敢えて第四と言わずとも、週二回の燃えるゴミの搬出日である。第四と言うからには、それなりの理由がある。前日の第四木曜は不燃ゴミの搬出日だから、その翌日ということになるのだが、ここで間違いが起きたのである。悟君は数日前に清掃センターからの連絡を受けていた。内容は、機械のトラブルで第四木曜の不燃ゴミ回収は行わない、というものだった。悟君はそれを聞き、町内各組の組長へ電話連絡をした。全部で四組ある各組の三軒までは連絡がついた。ところが、私のところは…〔あっ、言い遅れたが、私は四組の組長をやっているのだが〕連絡がつかなかった。生憎、私が仕事で出張していた矢先のことで、一人暮らしの我が家に電話が通じる筈もない。それを知らない悟君は、仕方なく隣の宮野さんへ電話して、“カクカクシカジカ…伝えて貰いたい”と、伝言したのだ。ここで悟君に単純な誤解が生じたのである。悟君は完全に伝えた、と思っていた。ところが、宮野さんには完全に伝わらなかったのだ。要は、会話の解釈に相違があった訳である。悟君は今月の、即ち、さし迫った第四木曜と言ったつもりだった。宮野さんは翌月の第四木曜と思ったのである。では何故、そんな単純な解釈の相違が生じたのか、ということになる。
「もしもし…、あっ宮野はん? 僕、篠原です。えっ? そうです、同じ町内の…。実はでんな、お隣の村越さんに電話をかけたんですが連絡がつきまへんので、お伝えして戴こうと思おて…、ええ、そうでんにゃ…」
この『そうでんにゃ…』が問題の誤解を生じさせたのだ。無論、この会話時の段階では問題となるようなことではない。それは、この会話の後に続く内容で、悟君が不用意に“ええ、そうでんにゃわ”と、早合点したのが事の発端となったのだ。
「ええ、ですから第四木曜が駄目らしいんですわ…」
「第四木曜って? 次のでっしゃろか?」
「ええ、そうでんにゃわ」
この時点で、宮野さんは翌月の第四木曜を、悟君はさし迫った今月の第四木曜を想い描いたのである。悟君が“今月の…”と、釘を刺しておけば大したハプニングにもならなかったのだろうし、宮野さんにしても、同じような確認の言葉を吐いておけばよかった訳だ。私としても、宮野さんから伝えられた段階で、再度、悟君に確認の電話をすればよかったのかも知れない。双方の安易な解釈が、大きな間違いを引き起こしたのだ。
私は宮野さんの言葉を鵜呑みにし、翌月の第四木曜は故障のために不燃ゴミは出せない、と四組の各家に電話をした。当然、それを聞いた各家では、今月はOKだと思っている。
そして第四木曜が巡った。四組の連中は収集場へ持ち込まれるゴミがいつもより少ないことに多少の疑問は抱いたのだろうが、それでも、“時間的に早いからやろな…”とかの想いで問題視しなかった。回収されない不燃ゴミは、そのまま残留した。そして次の日、即ち金曜の朝、各家から持ち込まれる燃えるゴミで溢れた。それでなくとも、町内に六十三軒あるゴミが一斉に集まれば、収集場はゴミの山となるのだ。そこへ昨日の不燃ゴミである。時間が経つにつれ、人々から苦情の言葉が口に出始めた。
「いったい誰や? 燃えんゴミ出したんは…」
「ほんまや。こまんなあ、こうゆうことされては…」
それに輪をかけて、また別の声も飛んで、「役員にゆうたろ。こんなん放っといたら、滅茶苦茶になってしまうがな…」と拡大する。話はエスカレ-トして、波紋を広げた。
私がその異変に気づいたのは昼過ぎのことだった。悟君が会社で仕事中の私に電話してきたのだ。
「僕、篠原です、正夫はん、実はエライ話になってまんにゃ」と声が上擦っている。
「えっ? なにが?」私は状況が全く把握できない。
「朝、僕が出がけに、二、三人の町内会の人が来て、『燃えんゴミが出しっぱなしになっとる。いったいどうゆうことなんや?』って言うんですわ。正夫はんは、ちゃんと伝えてくれはりましたわな?」
「言ったよ…。来月の第四木曜が工事なんだろ?」
「ええっ!!」
悟君は驚いた。その表情が受話器から手に取るように分かる。
「違うんか? 宮野さんから、そう聞いたんだけど…」
「僕はそないなこと言うてまへんで。宮野はんがそう言うたんですか? 怪しいなぁ…。僕は昨日やと言うたんでねぇ…」
「ふ~ん、それは妙だなあ。悟君は『昨日や』って言った訳だな?」
「……、ちょっと待てよ。そうや、そうは言うてえしまへんわ。第四木曜って言うたんでした」
「第四木曜なら昨日じゃないか。それでいいんだろ? あっ!」
私はここで、双方の間違いに気づいた。
「悟君、明日の木曜って念押ししたかい? いや、もしそう言ってないとしても、今月のとか…」
「言うてえしまへん…」
「それだな…。宮野さんは来月だって思われたんじゃないか? そうだ、そうに違いないぜ。それで俺んちへ『来月の…』って、かけられたんだ」と、私は自らの推理を電話向こうの悟君に説明する。私は続けて、「それで、収集場はどうなってるの? 今」と訊ねた。
「そっちの方は、さっき片づいたらしいんですねん。難儀なのは町内きっての煩型の小堀はんと槙原はんでんにゃ。ついさっきも、役員会に諮るって言わはって困っとるんです。もし、正夫はんとこにも苦情が入ったら堪忍して下さい」
そう言われて、「ああ、分かった…」と私は電話を切った。その後、私はさして気にも留めなかった。仕事を終えて帰宅すると、玄関に人影があった。 続




