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第11回

「精吉つぁんが忙しいので出られんので、あいつが親父の代理で出よりましてな。その折りに、なんやら偉そうなこと言うんで、僕も頭にきて怒ったんですわ。まあ、そのときの記録ですんや。勿論、そのときは興奮してまっさかい、家に帰ってから綴ったもんでっけどね…」と、記録帳を見ながら話を続ける。

「というんは、僕が町内会の役員をやってる関係上、一応、議事進行の議長みたいなことをしとった訳ですわ。議題は香典の廃止についてなんですけどな…。それは塩山はんも正夫はんも知ったはると思いまっけどな。昔からこの町には古いシキタリがありますやろ? ほやけど、最近では新しゅう入ってきた者もおる。それがですな、全然知らへん故人に金を包んで持っていくっちゅうのは如何なもんかと…。まあ、生活改善の一つとゆうことで役員会で詰めようやないか、とゆう話でしたんやが、あのドラ息子がいらんことを言いよるもんで、話が全然進まんようになってしもて、止めなあかんと僕が、『ええ加減にせんかい!』と、まあ奴に言うた訳です」

「そういや、組長の俺のところにも、そんな話が伝わってきたな」

「そうですにゃ。役員会の案を煮詰めて、組長会にかけ、その後、町内総会に諮ると…段取りは大方(おおかた)ついとったんですけどな。ドラ息子でご破算ですわ」

 悟君はそこまで言うと、深い溜息(ためいき)を漏らした。

「あの慣習は、私も以前から疑問に思ってました。見ず知らずの者もいる香典を、一律に二千円というのは実に妙だ。その案が立ち消えですか? 残念だなあ…」と、塩山が同調した。

「…、それはそれとして、書いてきた記録帳をもとに言いまっさ」

 気を取り直して、悟君はまた続ける。

「まっ、僕が冷静にドラ息子の御託(ごたく)を聞いとったら、売り言葉に買い言葉の争いにはなりまへんのやけど…、僕が切れて反論を開始した、そのゴフン前からの観察です」と言って、悟君は自分の観察帳を広げて示す。私と塩山の視線はその紙面へ注がれた。蚯蚓(みみず)が這うような字とはよく言ったものだ。悟君の筆跡は読めるシロモノではなかった。彼もそれが分かっていてか、「汚い字で、よう分かりまへんやろ…すんまへん」と誤りを先に入れる。

「君が辛抱できず遂に切れたというのは、理解が出来るんですよ。でもね、さきほど君が言った“バカ息子”なんですがね」

「あのバカ息子、塩山はんにも何か言いよりましたか?」

「そうじゃなくって、…どう言えばいいんだろ。つまり君が口論になる以前にだ、相手に対して潜在的に抱いていた“バカ息子”という感情なんだ。ということは、先入観として、君に相手を敵視する感情があったかってことだよ、そのトラブルが起こる以前に…」

「……、確かに奴に対しては過去の経緯がありまっさかい、ようは思てしまへんけど…」

「塩山さんの観点は、なかなか鋭いですね。いいところを突いていると思いますよ。確かにそれは、判断の理性を歪めますね」私も短く意見を述べた。

「すると、この観察は余り好材料にはなりまへんにゃろか?」

「…、参考資料ってとこでいいんじゃない」と私。「そうですね…」と、塩山が続き、「データは多いほど好都合だしね」と、また私。

 シュンシュン…と灯油ストーブの上に置かれた薬缶が蒸気を吐いている。夜はすっかり更けて、物音一つしない。

「それじゃ、次に俺のを聞いてくれるかな?」

 私は(おもむろ)に自分の観察帳を開いた。

「この前さ、少し寒かったんだけどね、天上ヶ岳って山へ登ったんだ」

「天上ヶ(てんじょうがだけ)て、あの宝塚に近い箕面(みのお)の滝のとこでっかいな?」

「そう、箕面(みのお)大滝(おおたき)の上に広がる小高い山で、グルッと巡るちょっとしたコースがあるんだ。で、その時の観察記録なんだけどね」と、私は開いた観察帳を二人の前へ示した。二人の視線が走った。

「このとおり、イップン刻みに表がなってるだろ。だから、最初は正確に書こうと思ったんだけど、思い出せないところもある。というのは、何も考えず足だけが勝手に動いていたっていう時間。これは無心の動作だし、書きようがないって訳さ。ここに記録したアラマシを言うと、要は道に迷いかけた、ってゆうか、初めての山だし、ルートが正確に脳へイメ-ジされず、ただガイド・マップだけが頼りで、心細い判断を余儀なくされたってことさ。あのコースは箕面大滝を過ぎ、左右の回りはどちらでもいいんだけれど、一周してまた大滝へ下るっていうコースなんだが、一端、山道へ入ると、道標(みちしるべ)がないと不安になってくる。結果は、まあ何とか無事に頂上へ着いて下山できたんだけどね。まあ、そんなところだ…」

「なら、問題ないじゃないですか」と塩山。

「いや、それがですね。二度だったか三度だったか、迷った…いや、道を間違えた、って思い戻りかけたこともあるんですよ。ルート・マップどおりなら、もうそろそろ分岐路へ出てもいいのに…と思えて不安になったというような心境のメモですよ」

「なるほど、こりゃ事細かに綴られています」「うわぁ~、すごていでんな。僕のと全然ちゃいますわ」と、二人はヨイショする。私の記録に注目が集まるのは別段、構わないが、取り分けて過大評価されるのも噴飯(ふんぱん)ものだ。

「まあ…それはさて置き、人間の思考の閃きなんて、実にいい加減で疑わしいってこと。前もって周到な準備をしていても、目の前に広がる事象に影響されちまう。ましてや、行き当たりばったりなら、衝動的に無造作な行為に走りやすい。俺の場合だって、ここに書いたとおり、今から思えば馬鹿げた判断で迷いかけてるんだな、実にこれが…」と、敢えて自らを批判し、二人の過大評価を打ち消す。“まあ、君らと変わらんよ”ぐらいの意味だ。

「いいや、そんなことはないですよ。山道の単独行の場合、途中で対向者に出会わない限り、何一つとして影響を受ける人の流れがない。存在するのは自分ひとり、当然ながら全てが村越さんの判断に委ねられる。だから、いい観察結果が得られる訳ですよ」

「僕なら、こうは、いかしまへんわ」

「まあ、今回は研究所の正式な立上げ日だし、三人が揃った最初なんだから、余り深く研究しないで資料に目を通すぐらいにしておこう。次回の持ち回りから、今回のケースを踏まえて、本格的に活動することにしよう」と、私は独断専行して二人のヨイショを回避した。

「まだ降ってまんな…、明日は積もるんと、ちゃいまっか?」

「そうだね、早く帰った方がよさそうだ…」

 塩山が悟君に同調して、今回の会合はお開きとなった。二人が帰る間際(まぎわ)、次回の開催日と時間だけは私が指定したのだが、二週間という期間を巡っては、決まるまでに「十日にしよう」「いや、二十日にして欲しいでんな」と、意見の相違があり、私が中庸を指定した経緯があった。

                                                  続

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