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1. 魔女の秘薬

「――それでも魔女の秘薬をお望みかい? 代償は高くつくよ。あんたにその覚悟はある?」

 

 甘ったるい香が焚きしめられた部屋に、しわがれた声だけが響く。張りのない骨ばった、しかしすらりと細長い指を眼前に突きつけられた貴族の男は、額に汗をかきながらついに立ち上がった。

 

「もういい、不愉快だ! 何が魔女だ、ペテン師が!」

 

 そう怒鳴り散らし、巨体を揺らしながら不快感を隠すことなく扉を出て行く。年老いた魔女は目深に被ったローブのフードの奥でけらけら笑いながら見送った。

 それと入れ違いに今度は青年がやって来て、魔女に声をかける。

 

「すみません。こちらにクラリッサさんという方はいますか?」

「今日はお客さんが多いねぇ。アタシがクラリッサだよ」

「え? でも……」

 

 青年は訝しげに魔女を見た。魔女がぱちんと指を鳴らすと老婆は一瞬でうら若い娘へと変わり、室内を包んでいた濃密な香の匂いも消え失せた。魔女がフードを取り払うと豊かなストロベリーブロンドがふわりと広がった。

 

「私を知ってるのね。何の御用?」

 

 魔女は髪をかき上げながら猫のようににこりと微笑む。

 青年は目を瞬かせて立ち尽くしていた。

 

 

 

 街外れの小さな小屋には魔女が住んでいる。

 十年ほど前、その魔女は突然この街に引っ越してきて薬屋を始めた。初めこそ街の人々は怪しんで近寄らなかった。だが数ヶ月経ったある日、一人の子供が恐る恐る扉を叩いた。そこで渡された薬がよく効いたと評判になり、それをきっかけに今では大繁盛……まではいかないものの、そこそこ流行っている。

 そんな店を一人で切り盛りしているのが、このクラリッサという魔女だった。

 

「あの、先ほどのご婦人の姿は……」

「雰囲気づくり。あの手の客はすぐ舐めた態度取ってきて面倒だから」

「なるほど」

「それで、あなたの用件は? ああ、風が入るからドアを閉めてくれる」

 

 すみません、と青年は開けっ放しにしていた扉を閉めた。蝶番が軋む軽い音がして、上部に取り付けてある黒いベルが揺れた。

 薄暗い店内は壁も床も家具も黒で統一されており、棚には瓶入りの薬草や丸薬が並んでいる。天井からはドライフラワーが吊り下げられていて、かすかに花の甘い香りが漂っていた。店の奥では怪しく光る緑色の液体をくつくつ煮詰めている最中だ。

 

 クラリッサはローブを脱ぐと適当に畳んで椅子に置いた。カウンターに片肘をついて本日二人目の客を眺める。かなり緊張した様子で視線をあちこち泳がせ、中々本題を切り出そうとしない。歳はまだ成人したばかりといったところか。上質な生地の服に身を包んでいるが、手に剣ダコがあった。

 

 青年は一度大きく深呼吸してから、覚悟を決めたようにクラリッサと視線を合わせた。

 

「……その。万能薬を求めて参りました」

「万能薬」

「はい。何でも、どんな怪我や病にも効くとお聞きしました。誰にでも売ってくださるわけじゃないことも知っています。ですが、どうか俺に売っていただけませんか」

 

 クラリッサは頬杖をついたまま、反対側の人差し指でカウンターをトン、トンと軽く叩いた。目を細め、青年の頭から爪先までを値踏みするように見る。小さく指を鳴らせば、花とは違う甘い香りがわずかに漂い始めた。

 

 ――魔女の秘薬、というものがある。恋の病から不治の病、四肢欠損の大怪我までたちどころに治してしまう万能薬。

 先ほどの腹がはち切れそうな貴族が求めていたのもこれだった。対価を提示した途端に()()()怒り出し、お帰りになってしまったが。もっとも、彼以外も秘薬を求めてやって来た者のほとんどが同じ反応をして帰っていく。さて、この坊やはどう出るか。

 

「魔女の秘薬のことね。何に使いたいの? ママの病気を治したい? 恋人が怪我でもした?」

「ち……違います。両親は至って健康ですし、恋人はいません」

 

 そのまま何も言わずにじっと見つめていると、青年は決まりが悪そうにしながらも話を続けた。

 

「俺の名前はリドル・フェインといいます。……両親から結婚を急かされて、今度見合いをすることになりました。でも、俺には他に想っている方がいるんです。だから……、その人への気持ちが、なくなれば、と……」

 

 最後の方はごにょごにょ小声になってしまい聞き取りづらかったが、要するに恋の病を治したいらしい。いつの間にか、店内はあの甘い香の匂いで満ちていた。彼の目がとろりと虚ろになったのを確認してから質問を重ねていく。

 

「ふうん。でもそれならご両親にそう言えばいいじゃない。好きな人がいるからお見合いはしないって」

「相手方はうちよりも爵位が上なので断りにくいんです。それに、俺の好きな方はその、貴族ではないので……」

「色々と面倒ね」

「子供の頃に一度助けてもらったことがきっかけで好きになって……でも、その方には全く相手にされていません。というか、そもそも俺のことなんて覚えていないと思います」

「へえ」

 

 目の前の坊やはだんだんしょんぼりしていき、ついにはしおしおになってしまった。ずいぶんと自己評価が低いようだ。

 

「何も行動しなかったの?」

「出会った後、すぐに全寮制の学校に入学してしまったんです。その後は校則が厳しくて外出が難しく、一目見に行くことすらできませんでした」

「それでもずっと好きだったなんて泣ける話ね」

 

 からかうように言うと、なぜだか彼は少しだけ嬉しそうに頬をかいた。

 

「ねえ。魔女の秘薬を使うなら、わざわざ恋心を消さなくても媚薬として使えばいいのに。何にだって効く万能薬なんだ。どんな相手だって思うままにできるかもしれないじゃない?」

 

 魔女の言葉は魔法になって心の隙に入り込んでいく。クラリッサにしか見えていないが、今リドルの周りには言葉が光の帯となって纏わりついている。

 

「それは……」

 

 一瞬リドルの瞳が揺れて、目に光が戻る。むせるほど甘い香りがかき消えた。

 

「もしそれが可能だとしても、俺はそんなことしたくありません」

 

 彼はそうはっきり言い切り、真剣な眼差しでクラリッサを見つめた。

 

「残念、今のに頷いていれば適当な胃薬を売り付けていたところなのに。あんまり正直者だと今に馬鹿を見るよ」


 魔女は肩を竦めて苦笑する。

 そうかもしれません、とリドルは曖昧に笑って髪をかきあげた。それからふっと真剣な表情になり、勢いよく頭を下げる。

 

「お願いします、クラリッサさん。どうか俺に秘薬を譲ってください」

「別に私は誰に売っても構わないんだけど」

「! じゃあ――」

「ただし、特別な材料が必要だからとっても高い買い物になる。内容を話すとどうしてか断る人が多いのよね。それがないと作ることすらできないのに」

「いくらでもお支払いします、そのために給金は全て貯めていたので」

「ああ、必要なのはお金なんかじゃないの」

「え?」

 

 人間の貨幣などさほど興味はない。頬杖をやめて、首を傾げ口許にニィッと弧を描く。

 リドルは虚を突かれた顔をしてクラリッサを凝視した。

 

「私が欲しいのは、あなたにとって一番大切な存在の記憶。それと引き換えに、魔女の秘薬を作ってあげる」

 

 魔女の指先が楽しげに宙で円を描き、彼の額に向いた。

 

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