第5話【実戦が始まる】――限界の彼方へ
北関東の小さな街の、駅近のカフェ。
そろそろ2時間を超えた二人の打合せは、むしろ熱量を増しながら続いていた。
長くなりそうだというので、二人はカフェのランチメニューを注文していた。
ミニサラダとライスがワンプレートになったハンバーグセット。充実したバリエーションの中から選んだトッピングの目玉焼きは、色合いも良く食欲をそそる。
「いよいよデビュー戦ですが」
ハンバーグを口に運びながら、青年は期待を込めた眼差しで言った。
「そうだね――」
調教師は、こちらもハンバーグを口に運びながら、目線もハンバーグから離れない。思ったより空腹だったようだ。
「――まずそもそも今のこの馬に、未勝利クラスでどの程度の勝ち目があるか、という点だけど」
「はい」
青年が頷きながら促す。
「目標はともかく、デビュー前にここまで準備を積んできた馬は他にいないだろう。地力では最有力と断言する」
「そうですか。うれしいですね」
青年は本当に嬉しそうだ。
「次に血統的にダート向きか、という点なんだけど、これははっきりいって、無類のダート巧者だと思われる。ステイヤーじゃなくダート路線に進んでも、列伝に名を刻めそうな血統だ」
「そうですよね。実は私もそう思ってました」
青年は目を輝かせて続ける。
「母親は地方のダートで長く活躍してるんですよね。その父に至っては知られたダート王ですし」
当然だがこの馬の血統はよく調べているようだ。
調教師は同意するように頷いて続けた。
「地力よし、血統よし。あとは、実戦に行ってどうかだけだが……」
調教師はここでじっと間を置く。そして
「こればかりは、走ってみないとわからない。どんな馬でも」
普通のことを言った。何かあるのかと思ったが、単にライスを食べていただけのようだ。
「……」
「結論を言うと、1戦、少なくとも2戦の実戦を踏ませれば、未勝利クラスなら全く問題にしないはずだ」
調教師は論理的に、しかしかなり自信ありげに言った。
青年はおお……と唸る
「なので我々の仕事は、しっかり実戦を踏ませてやる、つまり、きちんとしたローテーションで3戦走らせてやること、ということになる」
「そうすれば、あとは馬が結果を出すだろう、ということですね」
青年は満足そうだ。
「そうだ。そうなんだよ。……で、それが実は簡単ではない、という話になる」
目玉焼きハンバーグとライスきれいに片付けた調教師は、紙ナプキンで口を拭き始めた。
「……前に言ってましたね。除外が多発するって」
早いな、といった様子で調教師を見ながら青年は言った。
「この時期の新馬戦と未勝利戦は、登録してくる馬が多くて大幅な定員オーバーになる。新馬戦で定員に対してだいたい2倍近く、未勝利戦だと3倍近くになってしまう。あくまで純粋な倍率で」
「そんなにですか!」
定員オーバーの場合は、出走できるかどうかは抽選で決まる。
「さらに『優先出走権』というのがあって、それを持ってる馬たちが枠をどんどん持っていく。何もなしにエントリーすると、残ったわずかの枠をその他大勢の馬たちと抽選で奪い合うことになり、あっさり除外されてしまうわけだ」
「すごく大変じゃないですか」
「そうなんだ。だから、事前に計画を立てて、何らかの優先出走権を取って、予定のローテーションで出走できるように進めていくわけだ」
「想像以上に大変そうですね……」
調教師は少し考えてから続けた。
「このあたりは細かく話すとキリがないから、ここからこの馬の具体的な出走計画と、その想定結果を追いながら話していくよ」
「分かりました。いよいよですね」
「レースはどれもダート1800メートル。前に話した通り、無理矢理先手を取って、スタミナに任せて押し切る、という戦法でイメージしてくれ」
「はい」
ついに実戦が始まった。
◇◇◇
「では初戦だ。12月1週、新馬、中山のダート1800」
「はい!」
「……が、いきなりだけど、除外されて出られないこととする。これは現実でもそうなる可能性がかなり高い」
「そうなんですか?」
いきなり除外から始まった。
「想定倍率は約2倍だが、除外優先権を持つ馬がある程度いると思われるので、出られる確率は3割程度と思われる」
「除外優先権、ですか?」
「レースで除外されてしまった馬は除外回数がカウントアップされて、これが多い馬ほど次回は優先されるルールだ」
「なるほど。公平ではありますね。……では」
青年はタブレットに何やら入力し、そして調教師に見せた。
「まずはこうですね」
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12月1週 新馬 除外
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「うん。実はこれは想定内だ」
調教師はセットのサラダをフォークで突つきながら続ける。順番食いのようだ。
「新馬戦は除外されてしまったので、いったん外厩に戻してリフレッシュする」
「戻しちゃうんですか」
「うん。レースに向けて仕上げた状態を維持し続けるのは馬の負担が大きいので、一度リフレッシュして、また仕上げなおす」
「なるほど」
「で、年明け早々にトレセンへ入れて、次走、今度こそデビュー戦だ。今度は自分が除外優先権を持っているので、出走できるものとする」
「除外優先権があれば安心、ですか?」
青年が尋ねる。こちらはハンバーグとサラダが共に最終段階だ。行儀が良い。
「確実とは言えないが、たぶん大丈夫だ」
「……」
何かあるようだが、とりあえず先を聞くことにする。
「で、仕切り直しのデビュー戦だ。1月3週、未勝利、中山のダート1800」
「はい!」
「デビュー戦はもちろん勝ちたいところだが、初レースでもあり、ここは計画上は悲観的に見ておいて、敗戦、しかし5着以内には入った、という想定とする」
「残念。初戦は黒星ですか」
「まあ最初だし。スタートで後手を踏んで後方からのレースになり、向こう正面から動いて4角で先団、直線もしぶとく伸びたが突き抜けるまでは行かず、というところだろう」
スタート出遅れかぁ……などと言いながら、青年はまたタブレットに入力し、そして調教師に見せた。
「こうなりました」
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12月1週 新馬 除外
1月3週 未勝利 除外優先で出走 5着
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「これもまあよしだ。ここは、掲示板に載ることがとても重要なんだ」
5着までは競馬場の着順掲示板に表示されるため、5着以内に入ることを『掲示板に載る』という。
調教師は続ける。
「5着以内は、次走の優先出走権が与えられるんだ」
「そういう優先権もあるんですね。だから掲示板に載ることが大事、ということなんですね」
「そうだ。この『前走で5着以内』の優先権は、除外優先権よりも上位の優先権なので、勝てないとしてもこれを狙って廻していくのが基本になる」
「なるほど。逆に掲示板は絶対外せない、ということですね」
調教師は何度も頷く。
ここがポイントのようだ。
「で、レースが終わったので、ここでまた外厩に戻してリフレッシュだ。予定している次走までは中3週しかないので、短期リフレッシュのあと日程ギリギリまで外厩で仕上げて、トレセンで最終調整する」
「中3週、というのは何かあるんですか?」
ここでは敢えて具体的な間隔が指定されている。
「実はある。5着以内の優先権には、レース後4週間まで、という有効期限があるんだ。だからこれをいっぱいに使うと、中3週ということになる」
「なるほど……しかし中3週は忙しそうですが、それでも外厩には戻すんですね」
「うん。リフレッシュはとにかく外厩だ。トレセンは出走を待つ馬たちでザワザワと落ち着かない環境だから」
外厩も馬にとって重要な拠点のようだ。
「で、2戦目だ。2月3週、未勝利、東京のダート1800」
「お。府中ですね」
東京競馬場は、府中と呼ぶのがむしろ普通だ。
「で、ここは2戦目なのでぜひ勝ち上がりたいが、計画上は悪い方に予測して、惜敗だったものとする」
「惜敗ですか……う~ん」
「もう負けようがないけどね。敢えて不安要素を探すならやはりスタートだろう。出負けして中団からのレースになり、3角から無理矢理動いて4角を先頭で回る必勝パターンに持ち込んだが、そこが響いてゴール前でギリギリ差し込まれた、かな」
ギリ差されたかぁ……などと言いながら、青年はまたタブレットを使う。
「こうですね」
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12月1週 新馬 除外
1月3週 未勝利 除外優先で出走 5着
2月3週 未勝利 5着以内優先で出走 2着
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「うん。初勝利が見えてきたね」
「はい。次がリミットですしね」
逆算で設定された未勝利脱出のリミットが、3月3週だ。
「それでも焦らず油断せず、いつも通りだ。中3週なんで、外厩で短期リフレッシュと仕上げ、トレセンで最終調整だ」
「今度も『前走で5着以内』の優先出走権を持ってますしね」
青年の反応に、調教師は満足そうに頷いて、続けた。
「いよいよ3戦目だ。3月3週、未勝利、中山のダート1800」
「はい!」
「で、ここで計画通り、初勝利だ」
「来ましたね!」
「デビュー3戦目の走り頃でもあり、好スタートから終始スムースなレースで、最後はスタンドがどよめくほどの圧勝劇だったことだろう」
青年はおお……と唸りながら、軽いタッチでタブレットを操作する。
「おめとうございます!」
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12月1週 新馬 除外
1月3週 未勝利 除外優先で出走 5着
2月3週 未勝利 5着以内優先で出走 2着
3月3週 未勝利 5着以内優先で出走 1着
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「うん。おめでとう」
お互いにセットのコーヒーに口をつけて、初勝利の余韻に浸る。
店員が来て、テーブルから食器を片付けて行った。
二人でタブレットの画面をしばらく眺める。
「さて……どう思った?」
おもむろに調教師が問いかける。
「いや、よくできているな……と。特に12月に除外されたのがその後のキーになっていて、秀逸です」
「そう。そういうことなんだよ。本来この未勝利シリーズは、1月から3月までの3ヵ月なんだ。で、その3ヵ月を予定通り出走するために、育成期間を1ヵ月削ってでも12月デビューとしたわけだ」
「……その新馬戦の除外から、1月のデビュー戦まで、ここだけ少し間隔が開いていますよね?」
「いったん出走すると、以降は優先権を使って中3週で廻していくことになるから、中3週で目的のレース、ダートの中距離戦が開催されている日にすべてがきっちり合うように初戦の日を選び、ここでそこまでの日数を調整しているんだ」
「ここは日が開いてもいいんですか?」
「除外優先権は2ヵ月間有効なので、急がずに、ここできっちり合わせていく」
「……抜け目ないくらい計画的です……」
青年はタブレットに入力した自分の文字を見つめながら言う。
「ただ……例えば12月の新馬戦で出走できた場合や、途中で早く勝ち上がった場合とかは、また変わってきますよね?」
当然の疑問だ。
「うん。そうだな……それを説明しなきゃいけないよな」
ここで調教師はコーヒーを一口飲んて、フーッと息をついた。
◇◇◇
「この未勝利シリーズには、実は未勝利を脱出する以上の、大きな目的があるんだ」
「そうなんですか?」
話が意外な展開になった。
未勝利戦を勝ち上がらなければその先の夢には進めない。ここはそれをクリアするためのシリーズであるはずだ。
「まず、本番のレースというのは馬にとって、これまでのどんなトレーニングよりも、圧倒的に負荷が高いものだ」
「そうでしょうね。真剣勝負ですし」
「うん。で、ここで想像してみてくれ。春から始まった育成期間、特にフェーズ2の真夏の強化期間、ここでこの馬の能力はグイグイ上がったはずだ」
「ええ。そうだと思います」
「そして、この馬の成長限界にまでかなり近づいたのではないか、とする」
「成長限界、ですか?」
急にファンタジーな用語が表れて、青年は面食らう。
「イメージだよ。あくまでイメージ」
「あ、はい。……イメージ的には、なんというか、パラメータがパンパンになってる感じ、ですか?」
「おお、いいね。そう、パラメータが上がり続けて、もうパンパンだ」
「……」
「そういうパンパンの状態で、この未勝利シリーズまでやってきたところで、これまで経験したことのない高い負荷が――」
調教師は一瞬間を置いて――
「ドカーン!!」
急に音量が上がり、驚いた店員がカウンター越しに二人を見る。
「――とかかる」
青年も一瞬ビクッとしたが、目を見開いて固まっている。何かを感じているようだ。
「そして~ 中3週あいて~ また~」
調教師がややリズミカルに続ける。
青年は調教師を凝視している。
「ドカーン!! ……だ」
「……え……いや、まさか……」
青年は何かを確かに感じたようだ。
「そしてそして~ また中3週あけて~」
調教師がよりリズミカルに続ける。
青年は調教師を凝視して――
「「ドカーン!!」」
今度は青年も、小さいが声を合わせた。声を出した後、茫然としている。
「……どう? これで、この馬の体に何が起こったと思う?」
調教師はいたずらっぽい表情で青年に問う。
「……まさか……そんなことは……」
調教師は、茫然としている青年に向かって、アゴを2回しゃくりあげる。
ほら、言ってごらん、と。
青年は、うわ言のような口調で、
「限界……突破……」
と呟いた。
「そうだ。トレーニングではもう頭打ちになっていたこの馬の能力が、実戦という、未経験の強烈な負荷を受けることにより、限界突破して爆発的に引き上がるんだ」
「……爆発的に……」
「効果をブーストするために、負荷は一定の間隔で、複数回だ」
「それは――」
青年は顔をやや上方に上げて、超回復か……と呟くと、目を閉じて左右に小さく顔を振る。相当な衝撃を受けているようだ。
「分かった? つまりこの未勝利シリーズは、本番のレースという舞台を使った、大きな育成イベントだったんだ」
「先生、凄すぎです……」
「限界突破をきちんと発生させるためには、レースにおいて馬が自分の限界に限りなく迫る走りをすることが必要だ。そのためには、計画的で定常的なローテーションを組んで、中間にリフレッシュと仕上げをしっかり入れて、ベストのコンディションでレースに送り出すことが必須となる」
「……そのための、周到な除外対策だった、と?」
「そうだ」
「1ヵ月繰り上げた12月デビューも、フェーズ2の5月開始のこだわりも、更にはそれを実現するための育成レポートの口実も、すべてはこのための伏線だった、ということですか!?」
「その通りだ」
そこまでは違うだろう。
青年は何事か呟きながら、しばらく左右に小さく顔を振り続けている。限界突破というワードが相当に深く刺さったようだ。
「で、何が言いたかったかというと――」
調教師が続けた。
「――ここでは結果は二の次で、とにかく本番レースを全力で2走もしくは3走すること、そしてこの先の勝負処となる北海道シリーズの前に、限界突破を果たしておくことが目的だったということだ」
「……はい。ようやく整理できてきました。実戦を使った育成だったとは」
青年はまだ頭を軽く振っているが、徐々に回復してきたようだ。
「うん。なので話を戻すと、この未勝利シリーズは、勝ちも負けも関係なしに、所定の間隔で3戦するのが基本だと思っていてくれ。仮に早めに勝ち上がったときは、ダート中距離の1勝クラスに出走する。数は少ないけど」
「1勝クラスも、場合によっては使うんですね」
「あと、気になるだろうから話しておくけど、仮に、ここで未勝利を脱出できなかったとして――」
それは気になるところだ。
青年がグッと乗り出す。
「――まったく、とは言わないが、そう気にせずに、予定通り北海道シリーズへ向かう。菊花賞もまだ射程範囲内だ」
「まだ未勝利のままでも、ですか?」
「そうだ」
「菊花賞までに3勝が必要だと思いますが……」
それを踏まえた、3月3週の未勝利脱出のリミットだったはずだ。
調教師は一つ頷いてから、答える。
「要は北海道シリーズで3勝してしまえばいいわけだ。これは計画段階ではリスクが高くて選ばないローテーションだけど、実際のところ、ここまでの育成メニューがこなせていて、この先の強化も計画通り進むなら、達成は十分可能だ」
「……なるほど」
言われてみればそうかもしれない。限界の向こう側へと足を踏み入れたのだ。
「それよりも――」
と調教師が続けた。
「――初勝利を追ってここでさらに出走を重ねてしまうと、そこで夢は終わると思ってくれ」
調教師は、淡々と怖いことを言った。しかしそれが競走人生に響く悪循環を招きかねないことは、青年にも想像がつく。
「まだ可能性があると先生が言ってくれるなら、涼しい顔で北海道へ行きますよ」
「お。いい感じにまとめたな」
二人はお互いに、いい感じの笑顔を見せ合った。
打合せが始まって2時間半を超えた。
しかしランチも済ませた今、希望の地・北海道へ二人の足取りは軽いようだ。
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「限界の彼方へ」いかがでしたでしょうか。
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次話「8分の1の神話」もぜひお読みください。




