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第12話【目標2へ向かう-B】――迷宮の秘宝


 北関東の小さな街。つくばエクスプレスの駅近くにあるカフェ。

 二人の男が、妙な熱の中で打ち合わせを続けていた。

 

 

 「菊花賞に出られなくなった場合、福島の『三陸特別』でリカバリーする、という話だが――」

 

 青年はノータイムで、きた裏菊花、と小声で合いの手。

 

 「これには札幌、8月3週の『阿寒湖特別』に敗退して自動的にBコースに切り替わったケースと、連敗から8月5週の『北辰特別』でリカバリーしてBコースに滑り込んだケース、この2つが考えられる」

 

 「8月の3週か5週どちらかが、北海道シリーズの最終戦、ということですか」

 

 調教師は頷いて続ける。

 

 「目標とする三陸特別は11月2週。前者なら中11週、後者なら中9週ということになるので、準備の方は『4.0+3.5+1.5計画』を適用することで大丈夫だ」

 

 「なるほど。前者だとプラス2週の余裕があるが、およそ同じということですね」

 

 何度聞いても異様なプラン名だが、青年は淀みなく対応。プラン本体の妥当性は、菊花賞のシミュレーションで検証が済んでいる。

 

 「馬の方はこの時点でピークまで持っていけているはずだ。で、今回は福島開催ということで、ギリギリまでトレセンで過ごして、当日輸送で福島競馬場へ入れる」

 

 「福島は当日輸送なんですね」

 

 調教師は頷く。

 

 「より盤石なコンディションが望めるだろう」

 

 会話のテンポが非常にいい。

 

 「福島の2600メートルは、函館や札幌とかなり類似しているが、シーズン的にインコースは芝が荒れて状態が悪いことが多いので、道中は最内に押し込まれないように気を付ける必要がある」

 

 「それ映像で見覚えがあります。内々を避けて走ってますよね」

 

 「うん。……あと、ただでさえ先行有利の小回りコース、加えて内枠を引いた馬がスタートダッシュして外目に位置取ろうとするので、序盤は先行争いがかなり激しくなる」

 

 「なるほど。そうなりそうです」

 

 「なのでここは、周囲より好スタートを切れたらサッと先手を取る、そうならなかったらグッと控えて、先団争いを外目の後ろから見ながら進める、という感じでクレバーに行く方針になる」

 

 調教師は右手をサッと出したりグッと引いたり、手振りを加えながら解説だ。

 

 「柔軟に、ですね。先行有利とは言っても、激しくなるようならこだわらない、と」

 

 「まあ、2600メートルあるわけだし」

 

 「この馬ならそこは無難にこなせそうです。……で、勝ち目の方は、どんなものでしょう?」

 

 ここで青年が一気に核心へと展開。

 

 「そうだな……単に北海道シリーズで結果が出なかったというだけで、強化と育成、踏んできたローテーション、ここまですべてプラン通り。コンディションもピーク。加えて、このシーズンはまだ古馬より2キロの斤量の優遇が貰える。となれば――」

 

 青年は調教師をじっと見つめる。

 

 「アクシデントでもない限り、全く問題にならないだろう」

 

 おお……と唸る青年。

 調教師の名調子は続く。

 

 「スタートから距離損を怖れず外目に付けて、先団を見ながら追走――」

 

 早いラップのまま、一気にレースのシミュレーションに雪崩れ込んでしまった。念のため、11月2週『三陸特別』、福島の芝2600メートルだ。

 

 「向こう正面で臆せず外から先頭に並ぶと、3コーナーでスッとかわして行き足の違い、あとは何も追ってこないまま、騎手が馬に掴まってゴール、というところだろう」

 

 「う~ん……」

 

 青年は目を閉じて上を向く。

 

 「きちゃいましたね。これ」

 

 「出るレースが違うだろ、という感じかな」

 

 「さすが、菊花賞を捨ててここ一本に備えただけあります」

 

 「そういうことだ」

 

 二人は同時にフーッと息を吐く。

 まさに破竹の勢いを感じさせる『裏菊花』勝利だった。

 

 

 

  ◇◇◇

 

 

 

 焦がしカスタードと苺のパフェはかなり美味しかったのだろう、調教師は最後のクリームをスプーンで丁寧に掬って口に運んだ。

 同じくパフェを完食した青年は、またハーブティー貰いましょうか、そう言うと右手を挙げて店員を呼んだ。

 

 「で、少し遅れはしたものの、しっかりと3勝クラスに昇級。ここからは冬の強化計画についてだが――」

 

 調教師のプラン説明はまだ終わっていない。菊花賞断念から春の天皇賞へ無駄なく繋げるまでがBコースだ。

 

 「まずはじめにだが、『菊花賞で敗退、連も取れず』という不測の事態、つまり3勝クラスに留まってしまったケースが、ここでBコースに合流してくる」

 

 「なるほど。……つまりBコースの後半は、菊花賞で3着以下で敗退したケースの受け皿にもなっている、ということですか」

 

 「そうだ」

 

 これは……と青年は噛み締めるように呟く。

 Bコースのただならぬ汎用性。

 

 「なんと重層的な……」

 

 感嘆する青年を尻目に、調教師は使い終わっているはずのスプーンを握り締めて、身を乗り出す。

 

 「そしてここだ。ここからが、Bコースならではの強化プランになる」

 

 「え~と……」

 

 予想と違う調教師の言葉とテンションに、青年は改めて確認する。

 

 「ここはパワー強化にじっくり取り組む期間、ですよね?」

 

 「もちろんだ」

 

 「しかし、違う方法でいく、と?」

 

 「そうだ」

 

 「……」

 

 青年はよく分からず、調教師の言葉を待った。そんな青年の様子を見て、調教師は端的に話す。

 

 「先に結論を言ってしまうと、『ダイヤモンドステークス出走を挟んだ二段階方式』での強化計画だ」

 

 青年は一瞬驚き、数秒して内容を把握するにつれて、意外そうな表情に変わる。

 

 「それは……ダイヤモンドステークスに出る、ということですか?」

 

 「出る」

 

 ダイヤモンドステークスは3400メートルの長距離戦だが、開催は2月下旬。冬の期間は育成牧場でじっくりとパワーを醸成する計画のはずだ。

 青年の疑問を察したように、調教師が説明を続ける。

 

 「集中的にじっくり鍛えて、前哨戦を叩いて本番へと進むか、中間に前哨戦を入れて二段階で強化、そののち本番を迎えるか。それぞれに利点・欠点があり、状況に応じてこれらを使い分ける、ということだ」

 

 「菊花賞勝利のパターンでは、集中型でしたが」

 

 しかも万全と思われた計画だ。

 

 「それは、菊花賞馬となったこの馬にハンデ戦であるダイヤモンドステークスが極めて不向きだからだ。他に適当なレースも存在せず、結果的に集中型の一択になる」

 

 「……Bコースでは馬がまだ3勝クラスだから、ダイヤモンドステークスは選択肢に入る、そういう理屈ですか」

 

 「その通りだ。……いやそれどころか、3勝クラスのこの馬にとってG3は格上挑戦の扱いだから軽ハンデが確実。千載一遇の好機、といってもいいだろう」

 

 おお……と青年が唸る。

 千載一遇、とまで言われれば当然だろう。

 

 「勝ちたいでしょ? ダイヤモンドステークス」

 

 「ええと……何というか……まずは育成重視で慎重に考えて……」

 

 「ダイヤモンドステークスだよ?」

 

 「最高に勝ちたいです」

 

 「よし」

 

 ダイヤモンドのブリリアントな威光で畳みかける調教師。

 3000メートル超級の重賞でありながら、過去の名ステイヤーでも、ハンデ戦であるこのダイヤモンドステークスを獲った馬は多くはない。だからこその、この、微妙に強固なレア感。これこそBコースの真の深淵かもしれない。

 

 「……育成面の評価は、どうなります?」

 

 気を取り直して、青年が本筋の問いだ。

 

 「長い強化期間の中間に実戦レースがあるのは、育成メニューにメリハリがついて効果的だし、レースの高負荷が中間に発生するのは、馬体そのものにもプラスの刺激になるだろう」

 

 「……」

 

 「反面、パワー強化対策の結果を、前哨戦というレースで最終確認することができない。それについてはぶっつけ本番になる、というデメリットはある」

 

 「なるほど……しかし深刻というほどのデメリットではない、そういうことですか」

 

 「そういうことだ」

 

 調教師の言葉に、青年は片頬で笑みを浮かべて謎のサムズアップ。

 何が決め手になったのか、Bコースの冬季強化は二段階方式、ということで合意が成立した。

 

 

 

  ◇◇◇

 

 

 

 「育成牧場で完全リフレッシュから運動再開、徐々にペースを上げて、坂路重点に強化していく。この入りはAコースと同じだ」

 

 「はい」

 

 運ばれてきたハーブティーは、クリームの甘い後味をリフレッシュして、二人に爽やかな落ち着きを運んでくる。

 

 「これを1月いっぱいとし、2月頭に関東の外厩に入れて、ここから芝3400メートル戦に向けた仕上げに移る」

 

 「強化の前半が終わった、ということですね」

 

 調教師はそうだ、と頷いて続ける。

 

 「春の天皇賞はまだだいぶ先なので、ここではダイヤモンドステークスに集中してビッシリの仕上げ、直前のトレセンは軽く追って良し。当日に府中入りして、レースに臨む」

 

 このあたりはいつもの段取りだ。

 

 「早くもレースですか。しかし府中は近くて安心ですね」

 

 「そうだ。輸送の負担が軽くて日程的なロスがほぼない、これがダイヤモンドステークスを選ぶメリットのひとつでもある」

 

 「なるほど。いい条件が揃ってますね」

 

 調教師がハーブティーを口に運ぶのを見て、青年も一口飲む。先ほどと同じ、バラの香りのハーブティーだ。

 

 「府中の3400メートルは、向こう正面からスタートして1周半するコースだ。直線に坂があるが、全体的に起伏は小さい」

 

 「……」

 

 「コースは広いしコーナーも大きいので、どんな戦術でも有利・不利がない、紛れの少ないコースといっていいだろう」

 

 なるほど、と理解してから、青年が問う。

 

 「一応ですが、勝算はどんなものでしょう?」

 

 「そうだな。ハンデ戦だけに実績馬がおらず、自身は格下ゆえの軽ハンデ、そして3400メートルというこの馬には望むところの超・長距離――」

 

 「……」

 

 「まあ、回ってくれば先頭でゴールだろう」

 

 おお……と唸る青年。

 

 「というわけでレースだが、バラッとしたスタートから、長距離戦らしい各馬ゆったりとした序盤――」

 

 またしてもいきなりレースのシミュレーション突入だ。2月4週、ダイヤモンドステークス、東京の芝3400メートルだ。

 

 「特に行こうとする馬がおらず、自然の行き足で先頭に立つと、コーナーを左にカーブしながらマイペースのまま正面スタンド前、直線も気持ちよさそうに先頭を進む」

 

 「おお。逃げですか」

 

 「1コーナー、2コーナーを過ぎ、向こう正面と淡々と流れて体勢は変わらず。3コーナーを過ぎ、残り1000の標識でペースアップ、徐々に差を広げて2から3馬身リードで4コーナーを回ると、ここで騎手が後方を確認。持ったままで坂を登り切ってから、残り300で気合を付けてラストスパートだ」

 

 「……もう大丈夫そうですね」

 

 「追い込んでくる馬を再加速で寄せ付けず、3馬身差でゴール、というところだろう」

 

 青年は目を閉じてう~んと唸った後、

 

 「盤石です」

 

 満足気にそう言った。

 春の天皇賞に向けてまずは視界良好、ダイヤモンドステークス・G3制覇だ。

 

 

 

  ◇◇◇

 

 

 

 「ところで――」

 

 青年が問う。

 

 「パワー強化の成果はどうでしょうか?」

 

 忘れてはいけないメインテーマだ。

 

 「それは、ここではまだ分からないな。強化計画は半ばだし」

 

 「ですよね。積み重ねということでしたし」

 

 「うん。レースも、直線半ばまで仕掛けを待って、坂を上り切ってから追い出す安全策だったし」

 

 「今回は勝ちを優先した走りだった、と?」

 

 確かに、いつもより丁寧な走りに感じた。

 

 「そうだ。ここは勝ってオープン入りしておかないと、春の天皇賞の出走が確実ではなかったから」

 

 春の天皇賞がフルゲートになることはあまりないが、仮になった場合は抽選が発生する。

 

 「確かに。ならばなおさら、条件的に有利なダイヤモンドステークスに出ておきたかった、ということになりますね」

 

 調教師はその通りだ、と頷いて続ける。

 

 「そしてこのあとは、外厩に戻して、レースの疲れが取れ次第、そのまま外厩でパワー強化計画の後半をスタートする」

 

 「後半は外厩なんですね」

 

 「そうだ。さすがにここで北海道に再輸送するのは、ロスが大きすぎる」

 

 「ですね。確かに」

 

 調教師が説明を続ける。

 

 「3月を丸々、あと4月初旬まで、じっくり強化を続けて、その後はそのまま外厩で春の天皇賞に向けた仕上げに入る」

 

 「なるほど。スムーズです」

 

 「あとはいつもの段取りだ。4月の最終週にトレセンに入れて最終調整、レース週は軽めに追っておいて、前日輸送で京都へ入れる。あとはレース本番、春の天皇賞を待つだけだ」

 

 ここまで一気に話して、調教師はフーッと息をついた。

 菊花賞断念から無駄なく春の天皇賞に繋げるまでがBコース。どうやら終点が来たようだ。

 

 

 

  ◇◇◇

 

 

 

 二人はしばらく黙ったまま、ハーブティで一息入れた。辿ってきたBコースの道のりを、それぞれに反芻しているのかもしれない。ほのかなバラの香りが、高揚した心を落ち着かせていく。

 

 やがて青年が言った。

 

 「すごいですね。万全な状態で、見事に春の天皇賞に到達しました」

 

 「裏道だったBコースも、重賞ウイナーとして春の天皇賞の有力候補、スポットライトの中央に躍り出たわけだ。当日も上位人気は確実、むしろ『遅れてきた大器』感が効いて1番人気もありえるだろう」

 

 「もう裏道とは言わせませんね」

 

 誰も言ってないけどね、と言って調教師は笑った。

 

 「で、どうだった? Bコース」

 

 改めて調教師が尋ねる。

 

 「はい。カバーする範囲が広くて、中身はダイナミックでありながら緻密。素晴らしいバックアッププランだと、心底感じました」

 

 青年は大満足のようだ。

 

 「だろ? そしてこのバックアッププランがあるからこそ、メインプランで果断な判断ができる、ということなんだ」

 

 「本当にそうですね。これなら躓いても倒れても、頂点を目指して何度でも立ち上がれそうです」

 

 青年の絶賛に、今度は調教師が、謎のサムズアップで答えた。

 

 

 

 「さて、そろそろ話を元に戻そうか。菊花賞勝利からの、阪神大賞典、そして春の天皇賞・本番だ」

 

 「はい! いよいよ強化対策の結果がでるところ、ですね」

 

 長い探索を終えた二人は勇躍、元の世界線へと戻っていくようだ。

 

 

 

  ※※※

 

 

 

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