ダンジョンの中で入浴ですか?
食事と後片付けがひと段落し、火に薪を追加した。寝袋を広げようかと提案しようとすると、ふいにノワールが小さく手を挙げた。
「あの、先生」
「どうした?」
「やはり教本通り、お風呂と言うのは体を軽く拭くくらいしかないのでしょうか。入浴とまで行かずともお湯浴びなどは?」
なんとも神官らしい、慎ましやかでありながら主張のある言い方だった。
他の三人にしても興味がない訳ではなさそうだ。お湯浴びと言う言葉が出たときにピクリと体が動いた。
「そうだよね。汗と土埃でベタベタしてるし、髪も……見てらんない」
カリアトスが自分の髪を握ってみせる。ほんのり土と焦げの匂いがする。
リーヴェとモマさんも同様に長時間の探索で綺麗な身なりとは程遠くなっていた。
これまでも若い女の子とダンジョン教習を行う度に聞かれる質問だったので、特に困惑したりはしない。心情的に理解もできる。しかし要望を叶えられるかどうかは別の問題だ。
「うーん、現状だと厳しいかな」
清潔を保つのは衛生的にも、クエスト的にも無視できない問題だ。不衛生が良くないのは言わずもがな。クエスト的にも体臭を抑制することは非常に有意義な事。しかしダンジョンという場所は制約が大きすぎるのだ。
色々と課題はあるが、誰しもが思いつくのがまず水の問題。
草原や森のようなコンバット・エリアなら池や湖、川があればどうにかできるが、こんな地下ダンジョンではそうもいかない。湧き水や地底湖なんてそうそう見つかるものじゃないからな。
するとカリアトスがポンっと手を叩いた。
「水ならあるじゃん。オレが魔法で出せばいい。後は火の魔法で温めればいいんだし」
「魔法で供給するのは構わんが、どこに貯めておく? 地面を掘ったって泥水になるだけだ。そんな湯舟はごめんだろ?」
「ああ、そっか…」
発想自体は悪くはないが、やはり現実的に厳しい課題が多いが現状だ。
諦めて体を拭くくらいで我慢してもらう他ない。
そう言おうと思った時、カパタピが自信満々な表情を浮かべて言った。
「待ちなよ。水を貯められればいいんだろ? ならオレ様に任せときな」
カパタピが胸を叩いた。
そしてそのまま俺たちを隣の部屋まで連れてくると、一面に糸を飛ばし始めた。壁、天井、床とやたらめたらに糸を張り巡らせていく。
するときゅっ、きゅっ、と糸が張られるたび、空中に白い線が走っていくではないか。
やがて、糸で編まれた巨大なバスタブが完成したのだ。
「これは…すごいな」
「やりますわね、カパタピ」
「丈夫だし、四、五人入ったところでビクともしねえよ。下に石を敷けば熱も逃げねえし。しかも終わったら捨てていける」
胸を張るカパタピにリーヴェが素直に頭を下げた。
「ありがとうございます、カパタピ。助かりますわ」
ここまで用意されては断る理由もない。カリアトスの提案通り、水を張ると日の魔法と焼き石を使って水を程よく温める。ものの数分で立派な浴場が出来上がったのだ。
長い事ダンジョンに潜っているけれど、風呂を用意したのは初めての経験だ。何が起こるか分からないものだな。
「じゃあカパタピ、俺は見張りをしておく。ゆっくり浸かってくるように四人に伝えてくれ」
「おっさん、覗くなよ」
「当たり前だろ。俺を何だと思ってるんだ」
「独身のモテない中年」
「ぐっ…! だからと言って覗きと因果関係はないだろう。というか、クリーチャーとは言え、お前も覗くんじゃないぞ?」
せめてもの意趣返しに悪態をつく。
しかし、とんでもない返しをされた。
「あん? 女同士だから関係ないだろ」
「…え?」
「ははあ…おっさんはオレ様の事、男だと思ってんだろ。言っておくが立派なメス蜘蛛だぜ?」
そう言い残してカパタピは隣の部屋に消えた。
俺は正しく開いた口が塞がらないと言った様を体現するように、その場に立ち尽くしていた。
やがて正気を取り戻した俺は部屋の入り口に布を一枚かけた。
部屋の構造上、ここを塞げば侵入することはできない。護衛をする分にはかなりありがたい造りだった。
するとタイミングよく、四人が入浴の支度を終えやってきた。
「こっちは気にしなくていいからな。気のすむまで温まっておいで」
「そうそう。食った分は働かないとな、おっさん」
「…ああ。善処するよ」
軽口を言い合い終わると俺は壁を背もたれにして周囲を警戒した。セキュリティ用のトラップは健在。周囲に魔物や他のパーティの気配はない…とは思う。確かな事を言えないのには理由がある。あまり神経を研ぎ澄ませると、入浴中の四人の気配も察してしまうからだ。
その光景を想像すると、非常に不謹慎な絵面になってしまう。
現に今聞こえてくる衣擦れの音だって不敬に当たる気がしてならない。
しばらくすると、和気藹々した雰囲気の中に水面が揺れる音がした。ふわりと湿った空気と熱気が廊下にまで漂ってくる。
◇
◆
◇
我ながらこれは中々の傑作じゃないかと、オレ様は自画自賛していた。
糸製とはいえ、張り巡らせた構造は完璧。湯を張ったってぐらつかないし、むしろちょっとした風呂小屋より丈夫だ。
姫さんもカリアトスの嬢ちゃんもアネキもお湯に浸かった瞬間、ほぉぉっと息を吐いた。やっぱり四人が入ったくらいじゃ湯舟はビクともしなかった。
「気持ちいい…」
「これは……思っていた以上ですわ……」
「素直に称賛ですよ。カパタピ」
普段、豪華絢爛な暮らしのお嬢様方もこんな場所で風呂に入れるなんて初めての経験だろう。
ま、オレ様も風呂は嫌いじゃないから気持ちはよく分かる。
余程気持ち良いのか、カリアトスの嬢ちゃんは女だてらに豪快に腕を広げてお湯に浸かり、鼻歌を歌っている。
「はー…天国じゃん。ダンジョンだけど」
お嬢と姫さんは湯気で頬を赤くしながら、湯の表面に浮かぶハーブの香りを楽しんでいる。
「リーヴェの香草を入れるアイデアも素敵ですね」
「ここに拘るのが密かな楽しみなもので」
と、王宮の浴場でも思い出したのかニコリと微笑んでいた。
楽しんでもらえたなら結構さ。
それに面白いものも見れたからな。今頃おっさんは廊下で精神修行でもしてるんだろう。
さっきの顔を思い出すだけで笑えてくるぜ。
てな具合に、風呂上りに次はどうからかってやろうかと頭をひねっていると、妙な気配を感じた。
……?
(なんだ……?)
そよ風でも入り込んだかと思うような冷気が、背の方からすっと抜けていった。
地下のダンジョンだ、冷えていても不思議じゃない。実際、神殿の中の空気は結構冷たかったからな。
多分気のせいだろう。
オレ様がそう結論付けた瞬間。
ぞわっ! と背筋が泡立つような冷たい気配が、湯船の表面をなぞるように広がった。
(いや違う。これは…霊気だ)
空気が徐々に凍っていく。静寂の中、四人の吐息に混乱の色が混じる。
「……っ? いま、冷た……」
姫さんが身を震わせる。
その瞬間、湯面がふくらみ、そこから白い濃霧のような手が、ぬるりと伸び上がった。
「きゃっ……!?」
「な、何ですのっ!?」
湯気に紛れて感じ取れなかったが魔物に襲われている。
こいつら…幽鬼だ!
幽鬼は死者の霊魂が魔力を帯びて魔物化したものの総称。手っ取り早い話がゴースト系のモンスター。
ダンジョンで死んだ冒険者や魔物そのものの魂が集まってきやがったのか。いや、今は分析している場合じゃねえ。
「お嬢! 幽鬼に攻撃されてるぞ」
「ひゃあ!?」
「やばっ!」
と、四人は奇襲に嵌って見事に混乱した。
こうなったらオレ様がどうにかするしかねえ。
「野郎っ!」
オレ様は叫びと同時にクモの糸を一閃放つ。
けれどすり抜けるだけで、まるで手ごたえがない。
(やっぱ効かねえのか…!)
「っく、この。放しなさい…!」
「あ…うぅ」
霊気はもう部屋全体に回っている。
四人は湯に沈んだ状態じゃ逃げられない。物理的な抵抗はできず、徐々に体力を吸い取られている。
チクショウ…もうおっさんに頼るしか…!
オレ様は恨めしく廊下へ視線を送る。
おっさんの奴、気配を何が起こっているのかは察している。でも入ってこない。
そうだよな……四人が入浴中なんだ。男としての倫理感が足を縫い付けてるんだろう。
(チッ……こうなりゃオレ様がどうにかするしかねぇ!!)
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