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満月に狂う君と  作者: 川端睦月
夜襲
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47


 ──確かに、そうだ。


 糸原の血の気が一気に引いていった。膝から崩れ落ちそうになる。


 今回の事件の犯人は、道具を使わずに上階の窓から侵入している。そんなことが出来る人間は、そうそういるものではない。


 昨日、拉致事件とMA1ウィルスの関連に気がついたのなら、犯人が廉である可能性にも気がつくべきだった。


 しかし、昔からの逃げ癖で、その可能性を無視してしまったのだ。


 糸原は両の手をギュッと握りしめた。


「仮に、廉くんが侵入者だとした場合、何の対策も取っていなければ非常に危険です」


 糸原を真っ直ぐに見つめ、葛西が続ける。


「彼は驚異的な身体能力の持ち主ですから。……あっという間に瑞樹くんを連れ去ってしまうでしょう」


 葛西はそう言って、顔を顰めた。


「昨夜は、マンションの駐車場で見張りをしていましたが、やはりそれでは不十分だと感じました」


「マンションの駐車場……」


 葛西はそこまで瑞樹を気にかけていたのか、と驚く。

 誰に命令されたわけでもないのに、そこまで出来るのは、彼の信念によるものなのだろう。


「──ですので、時間稼ぎと、素早い連絡体制作りが必要だと思いまして、本日、お伺いしました」


 葛西はいつもの和かな笑みを浮かべた。


「私は後悔はしたくありません。何もなければそれでいい。ただ、できる限りのことはしておきたい。……それだけです」


 葛西は毅然と言い放った。


 *


 おそらく侵入者の来襲は、窓に取り付けた防犯ブザーの通知機能で、葛西たちに伝わっているだろう。


 糸原は窓を睨みつけ、身構えた。


 葛西たちが駆け付けるまで、格子は持ち堪えるだろうか。

 未だ激しく響く衝撃音に、糸原はゴクリと唾を飲み込んだ。


 ──このままでは、壊れるのも時間の問題だ。


 ふいにブルブルッと左手首に振動を感じ、腕時計を見る。四角いディスプレイにメッセージが表示された。


『今、エレベーターです』


 エレベーターの中なのか、外なのか。どちらにしろ、葛西たちが到着するまで、あと数分はかかるだろう。


 糸原は時計の横のボタンを押し、ディスプレイの灯りを消した。


 依然、襲撃者は激しく格子を打ちつける。その音が微妙に変化していくのが分かった。


 きっと格子が外れかかっているのだ。


 糸原はリビングの由佳と瑞樹を振り返った。不安そうな表情を浮かべている。


 ──部屋の外に出るべきか……。


 しかし、部屋の外が安全かは分からない。


 ──まず、状況を把握しなければ。


 糸原はベッドの陰から立ち上がり、ゆっくりと窓際へと近づいた。


 いつの間にか音と揺れは止んでいた。


 ──諦めた?


 儚い希望を抱きつつ、そっとカーテンに手をかける。緊張にゴクリと喉を鳴らした。少しの躊躇いのあと、覚悟を決め、糸原は勢いよくカーテンを開ける。


 瞬間、赤い目と、目が合った。


 猫の目のように怪しい光を放つ双眸が、外れかけた格子の隙間からこちらを覗いていた。


 赤い目はニヤリと嫌らしい笑みを浮かべる。


「……廉」


 部屋の灯りに浮かび上がるその顔は、葛西の予想通り、廉だった。糸原の背筋に冷たいものが流れる。


 廉は糸原が怯むのを見逃さなかった。


 格子の隙間から素早く右腕を伸ばすと、糸原の胸ぐらを掴み取り、圧倒的な力で窓へと引き寄せる。

 抵抗する間もなく、糸原は昆虫標本の蝶のように、格子の内側に張り付いていた。


「……クッソっ」


 糸原は両手をつっぱり、格子から体を剥がそうと試みる。


「……あッ」


 が、ギリギリと胸ぐらを捻じり上げられ、ぺシャリと腕から潰れる。


 それでも廉は捻り上げる力を緩めない。


 格子に押し付けられた肺が徐々に圧迫され、声にならない呻き声が漏れた。


 そんな糸原を、ゆらゆらと炎のように揺らぐ赤い瞳がわ冷たく見下ろす。


 やがて廉は左手を格子の隙間から伸ばし、糸原の喉元を鷲掴みにした。その指一つ一つにゆっくりと力を込めていく。


「……ッ」


 指の腹が次第に喉に食い込み、息苦しさを増す。糸原の顔がどんどん赤黒く変わっていくのを、廉は愉快そうに眺めた。


「晴人さんっ」


 堪らず由佳が声を上げた。瞬間、そちらに気を取られ、廉の指の力がわずかに緩む。


 ──今だ。


 糸原は首を締め上げる廉の左手を、両手で引き剥がし、身体を捩って胸ぐらの右腕を外した。


 勢いでベッドへと倒れ込む。


 一気に空気が肺へと流れ込み、ゲホゲホと激しく咳込んだ。それから数回深呼吸をして、息を整える。


 チラリと窓を一瞥すると、廉は格子の隙間から由佳のいる方向を凝視していた。


 ──ここにいるのは危険だ。


 糸原は直感的に悟った。


 格子はかなりひしゃげていて、あと数撃も加えれば、外れてしまいそうだし、なにより廉の興味が糸原から逸れた今、由佳の身が危険だ。


「由佳、外へっ」


 叫ぶと同時に、ベッドから転がり降りる。


 由佳は頷き、瑞樹の手を取った。


 直後、廉が再び格子を叩き始める。その音に驚いた瑞樹は、由佳の手を振り解き、耳を抑えてその場にしゃがみ込んだ。


「……瑞樹くん」


 恐怖に震える瑞樹を抱きしめ、「大丈夫よ」とそっと彼の背中を撫でる。それから糸原を見て、ユルユルと首を振った。


 どうやら部屋からの脱出は望めない。


 格子はメキメキと、今にも外れそうな音を立て始める。


 ──それなら、とにかく傍へ。


 ふらつく足で立ち上がり、リビングへと向かう。背後で金属同士がぶつかる大きな衝撃音が響いた。


 振り返ると、ベッドの上に横たえるひしゃげた格子が目に入った。


 ゴクリと唾を飲み込み、ベッドから窓へと視線を移す。


 ゆらりとカーテンが人の形に揺れ、赤く目を光らせた黒い影が、ゆっくりと姿を現した。


 廉はリビングの由佳たちを見て、ニヤリと顔を歪めた。


「由佳っ、逃げ……」


 糸原が最後まで言葉を発する前に、影は横をすり抜け、由佳をジャンプで躱し、彼女の前に躍り出た。


 由佳は目を見開き、ワナワナと身体を震わす。


「……廉くん」


 掠れた声を上げた。その声に、瑞樹も由佳の陰から侵入者を仰ぎ見た。


「お兄ちゃん……」


 懐かしさと恐怖が交錯する目で、廉を凝視する。


 対する廉には何の感情も見えず、ペロリと舌舐めずりをして不敵に笑うだけだった。


 由佳は身の危険を感じ、瑞樹を抱き寄せ、体を丸めた。


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