最終話 終章 元魔術師は彼女を逃がさない
一旦、冷静に戻ったところで、クレシスが手短に事情を語った。
話を聞くフィリウスは、次第に合点がいったという表情を浮かべ出した。しまいには目頭を丹念に揉み解していて、言われてみれば同じ顔だ、と呟く。
「……つまりお前は、侍従の『ピエード』だったのか。俺も数日前までは自分のことでいっぱいだったらしいな、気付いてやれなくて悪かった」
珍しく詫びた彼が、吐息交じりに自分も記憶があることをざっくり口にした。互いに秘密がなくなった二人は、誤解が解けたところで視線を落として沈黙する。
前世の知り合い同士だったのかと改めて考えているような、その無言が重々しい。
それでいて、諸々全部バレた状況が非常に落ち着かない。
ノエルは唐突に始まって、呆気なく終わってしまった男達の短い話しを前にそう思った。二人は動かないみたいだし、もう僕は帰ってしまってもいいかなと怖々と考える。
「あの」
正座姿勢の待機スタイルというのも落ち着かなくて、恐る恐るそう声を出した。
「二人の話は終わったようですし、僕はこれにて退散――」
「させてたまるか」
途端にフィリウスが言葉を遮り、偉そうに足を組み直す。
「で、『俺に恋人を作らせる』とはどういうことだ?」
そのまま高圧的に睨み付けられて、ノエルはたじろいだ。
互いが前世から知り合いだったと分かったら、もう少し思いを整理する時間くらい必要なのではなかろうか。そう思って隣のクレシスを見れば、何故か諦めきった眼差しを返された。
「おいコラ、クレシスを見るな」
「ひぇっ、すみませんでした」
苛々した声を投げ掛けられてしまい、正座したまま背をピンっと伸ばした。
視線が合った途端、フィリウスのピリピリとした感じが下がって「それで?」と問われた。ノエルは、なんで怒られたんだろうなと思いながらもぎこなく口を開く。
「えっと、なんというか、戦友を恋愛と勘違いしているようでしたので、あの、その、手っ取り早く本当の恋愛でもすれば違いが実感出来るかな~っと……」
「ふうん――それで、俺に他の女をあてがおうと?」
なんか、言い方がちょっと俗っぽい気がして返答がしづらい。
ノエルだって、どんな女性でもいいからと思っていたわけではない。彼が恋してくれそうな人で、彼のことを好きになってくれる女性だ。そう思いながらコクリと頷いて見せる。
すると彼が、フッと怒っている感じもなく口角を引き上げた。
「なるほどな。やれやれ、上手く逆手に取ってこっちを意識させてやろうと思っていたんだが、こうこられるとは予想外だったな」
「は……?」
「そもそも俺は勘違いなんてしていない。恋と愛の違いも分かるくらいには大人だ。自分の気持ちが誰に向いているのかも、ここ数日で改めて確認したほどだ」
にっこりと、どこか自信たっぷりの不敵な笑みを向けられた。
警戒心を煽られて知らず腰が引け、ノエルは後ずさろうとした。しかし、長い正座で足が痺れて、あっと気付いた直後に尻餅をついてしまっていた。
「なんだ、足が痺れたのか?」
好都合と言わんばかりに、口角を引き上げてフィリウスが立ち上がる。
それを見たクレシスが「ひぇ」と、嫌な予感を覚えたような声を上げた。おかげでノエルもいよいよ不安感を煽られて、ビクリと見を竦ませて歩み寄ってくる彼を見てしまう。
「あの旅の道中、まだ誰の物にもなっていないお前が、俺以外の誰かに気を許す姿にひどく嫉妬した。俺には向けられない穏やかな声で話しかけられ、笑顔を向けられて、親身になって相談に乗って励まされる相手が、女であろうと男であろうと腸が煮え返りそうだった」
昔話を言い聞かせるように口にしながら、目の前まで来た彼が、しゃがみ込んで目を合わせてくる。
「そんなにも求めていたお前がいるというのに、他の女に目がいくとでも?」
「ま、待て待て、待ってください。やっぱりそれは愛じゃないと思うんですけど!? というか、あんたこんなに強烈な俺様性格じゃなかったですよね!?」
ノエルが叫ぶ横で、青い顔をしたクレシスが、今にも死にそうな声こう言った。
「昔からそうでした」
「そうなの!?」
その時、フィリウスが片膝を付いた。ハッとして目を戻してみると、彼が艶のある笑みを浮かべてまっすぐこちらを見ていた。
「俺がどれほどお前が好きであるのか、そろそろ実感出来ているんじゃないかとも思っていたが、伝わっていなかったようだな。何度でも言おう、俺はお前のことが好きだ」
「い、いやいやいや、まさか、僕のことが好きだとか、そんな」
その時、両脇にフィリウスの腕が差しこまれ、痺れる膝の裏に手を回された。そのまま抱え上げられてしまって、「えっ」とノエルの言葉が途切れる。
「結構、分かりやすいようアピールしたつもりだったんだがな」
言いながら立ち上がった彼が、呆気に取られた顔をしているクレシスを見やった。
「クレシス、今の俺を見て想いが嘘だと思うか?」
「いいえッ。前世から、その、ずっと本物でした」
正座しているクレシスが、緊張したように背筋を伸ばしてそう答えた。ノエルは反論しようとしたものの、フィリウスに歩き出されて「うわっ」としがみつく。
彼がベッドに腰かけ、そのまま膝の上に座らされた。
正面には、床で引き続き正座しているクレシスの姿が見える。なんでココに座らされたんだろうかと戸惑っていると、後ろから抱き締められた。
フィリウスの吐息がこめかみに触れて、ノエルは包み込んでくる温もりに途端に緊張した。存在を確認するように、窮屈な距離感のまま更に強く抱きすくめられてしまう。
「こんなにも愛しいのに、伝え方が悪いのだろうかと思うのだが。――クレシスとしては、どうだ?」
自分の物であると見せつけるようぎゅっとして、フィリウスは問う。
ノエルはこの状況に困惑した。なんだか、見ておけと言わんばかりの彼の口調が気になった。クレシスは怯えながらも、どうしてか食い入るようにこちらを見つめている。
不意に、熱い吐息が触れて頭に口付けを落とされた。
なんで頭の上にキスされたのだろうか、と、ノエルはしばし固まってしまった。しかし、続いて頭の横、頬、と口付けを落とされてびっくりした。
無意識に身体が強張ると、より強く抱き締められて顎のあたりにもキスされた。
目の前には、ポカンとして目を見開いているクレシスがいる。その顔がじわじわと羞恥から赤くなっていくのを見て、ノエルも遅れて実感が込み上げてぶわりと赤面した。
「ちょッ、何してんの何してくれちゃってんの!?」
慌てて手足をバタバタさせて言うものの、ガッチリと拘束する腕は離れてくれない。
フィリウスが笑うような吐息をもらして、もう一度、柔らかい唇を耳に押し付けてからこう言った。
「好きだ。ずっと、出会った時から好きだった」
「ぅえ!?」
「もう一度出会えるのなら、こうして触れてみたいとずっと思っていた」
近くから見つめ返してきた彼が、ひどく柔らかな声で言って穏やかに微笑んだ。それは、好きで好きで、こうしているのが幸せでたまらないのだという男の表情をしていた。
あ、とノエルは気付かされて言葉が出なくなった。絶対に違う、なんて決め付けて勘違いしていたのは自分の方なのか。この人、本当に僕のことが好きなんだ……。
頭の中がぐるぐるしていると、フィリウスがクレシスへ目を向けるのが見えた。
「クレシス、これなら鈍いノエルにも伝わっていると思うんだが、それとも唇へ直接愛を語る方がいいか?」
「伝わります! 恥ずかしいくらい伝わりますから、これ以上は勘弁してくださいッ」
こちらを見つめるクレシスは、もう耳だけでなく首まで赤くなっていた。ノエルはひどく恥ずかしいところを見られているような気がして、より顔に熱が集まってしまう。
フィリウスは妖艶な笑みを深めると、ノエルの顔を覗き込んで「だ、そうだ」と甘い声で言った。
「ここに証人がいるように、俺は一人の男として、お前の全てを好いている」
そう耳元で囁かれたノエルは、顔が熱過ぎて「あの」「その」とすぐに返事も出来ない。自分が、一人の女の子として、誰かに愛されるなんて考えたこともなかった。
「あの、えぇと、唐突過ぎて、ちょっと頭の整理が追い付かないというか」
可愛いと言わんばかりに注がれている彼の視線を意識してしまって、ますます恥ずかしさが込み上げる。うまく言葉も見付からなくて、どうしようと心底困って彼を見てた。
「僕、あの、今、死にそうなくらい胸がドキドキして、うまく考えられないほど緊張しているし。だから、その、好きとか、どっちとか今、分からなくて」
すると、ノエルの視線を受けとめたフィリウスが、蕩けるような微笑みを浮かべた。
「全力でお前を俺に惚れさせるから、そのまま好きということにしておいて問題ない。これからよろしく、俺の愛しい恋人」
「えっ、ちょ、ま、もう恋人枠なの!?」
「今後の婚約について考えないとな。なに、こう見えて気は長い方だ。紳士として既成事実に持ち込むことはしないから、安心して俺の愛に慣らされるといい」
「安心出来る要素が一つもないんですけど!? というか、僕の選択の自由はどこいった!?」
思わず真っ赤な顔で叫んだら、騒ぐ声を口ごと塞がれた。
しばし、室内に沈黙が漂った。
「まずは、『ファーストキス』ごちそうさま」
顔を離していくフィリウスが、言いながら満足げに唇をペロリとする。正座してこちらを見ていたクレシスが、沸騰したみたいに真っ赤になって、ふらぁっと崩れ落ちた。
ノエルは、もういっぱいいっぱいで、でもキスが意外と優しくて女の子っぽい気持ちで胸が騒がしくなるし、幸せそうに笑っているフィリウスにドキドキが止まらないし、
「あの……、まずはお友達からでもいいですか?」
だからひとまず、この姿勢を解除してください、とどうにかそう答えたのだった。